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部屋とゲームと私

子供の頃、我が家にはテレビゲームがなかった。
親の方針でもあり、また、私も含めて子供たちもそれほど興味を持たなかった。みんなが夢中になっているから、友達の家でやったこともあったけど、さほどのめり込むこともなかった。

だから、いわゆる「ゲーマー」ではない。
子供の頃からゲームをする習慣は私にはない。

一方で、スマホが普及するようになって、そんな私にもゲームは身近なものとなった。

ポケモンGOはリリース日にダウンロードしたし、今も続けている。…と言うと多くの場合びっくりされるのだけど、私は特にバトルは好きじゃないので、ひたすら集めるのと歩くのに徹している。

そんなわけで、私のゲーム歴は大人になってから始まった。


父が退院して家に帰ってきて、病状が益々悪化していた時、私はあるゲームをダウンロードした。ごく単純な、テトリスみたいなゲーム。それをやって「ポイント」を貯めると、ゲームの中で部屋の模様替えやアバターの着せ替えができる。

言葉にすると何ともバカくさいこのゲームを、私は秋以降毎日のようにやった。父が亡くなってからは益々、空き時間があると没頭するようになった。49日が過ぎるまでは友人とも会わず、とにかく家にいた。

ゲームと私の付き合いは、すでに書いた通り、そう長いものではない。それにも関わらず、興味深い付き合い方をしてきたという自覚がある。

育成系のゲームが好きで、畑で何かを育てたりするタイプも好きだ。こういうタイプのゲームは、とにかく毎日コツコツ続けることが大事。だが、毎日続けていたゲームを、ある日を境に一歳触れなくなったことがあった。

その出来事がいかに自分という人間の「何か」を徹底的に破壊したのか、身に沁みて感じた。普通に仕事を続けていたし、友人とも会えていた。でもゲームだけは続けられなかった。

そういうことはその後も何度か起こった。
ある日を境に、一歳そのゲームに触れられなくなる。自分でも説明し難いが、私にとってそれは何らかの象徴である。


父の病状が悪化する中、今度は逆のことが起こった。それまで毎日見ていたInstagramを見る気にならないし、ポケモンGOも開く気にならない。Xも全く見なくなった。

そうして、単純なゲームに没頭した。
朝起きてすぐゲームをする様子は我ながら異常だったと思う。だけど、それは確実に私の何かを支えていた。

12月になって、犬を迎えることを決めた。
これ以上、ただ思い出して泣いて過ごすのは嫌だった。それで何かを忘れられるとも思わなかったけど、自分を忙しくさせたかったのかもしれない。

犬が来てからは、ゲームに触れる頻度もめっきり減った。だけど完全になくなったわけではない。相変わらず私は何の生産性もない、しょうもないゲームをほぼ毎日している。

きっとこれをやめる時が次のステップなのだろう。それまではこの非生産的な時間を楽しむとしよう。

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