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『しょう油値上げします』 そして、そのあとのこと。

お向かいの家で1人暮らしをしていたおじいさん。
もう十数年前に亡くなり、ずっと空き家状態でした。
棟続きの建物が解体になったので、親族の方がやっと整理を決心され、木造2階建の空っぽだった巨大な家は、ほんの数日のうち、たった3人の作業員さんだけで、ガシャン…と解体されました。
建物が建っていた頃は巨大に感じた敷地も、更地になると驚くほど狭く感じるのが不思議です。

それにしても最近のモノの値上げは凄いですよね。
食品に限らず、ホームセンターなどで木材の値段を見ると、いつぞや購入した細~いペラッペラの木材ですら倍以上の値段になっており、工作予定で立ち寄ったものの、総額を考えるとどうでもよくなってしまいました…。
木材売場のおじさんの「こんな小さな木でこんな値段なのに、今から家建てる人なんて正気じゃないよねぇ笑」という話にはウンウン…が止まらなかったです。

そんな木材高級度合い…を理解しつつ、お向かいの解体作業を、日がなジーッと眺めていたのですが、解体中の玄関の土間あたりにはたくさんの立派な建具が積み置かれています。暇な私は、連日、解体現場を熱い視線で眺めているわけですが、こうなると、もう聞かずにはいられません…
解体業のお1人が話しかけやすい女性だったので、おそるおそる、、
「これ捨てちゃうんですか…」と聞いてみると…
「そうなんです、勿体無いですよね~。午後から全部持って行っちゃいますけど、欲しいものがあったらそれまでに何でも持って行ってください」
「!!!」さすが女性ならではの勘の良さ&気遣いのお返事!
(私があまりに物欲しそうに見ていたから…笑)
午後まで時間がない!急いで父親を呼び出し(笑)、目ぼしい建具をえっさえっさと、たくさんもらってきました。

古い立派な家を移築して再興したり、木材を再利用して使ったりする事業や会社もありますが、よくある昔の家はこんな風に、特段だれかに感傷されることもなく、そこに居た人も思い出や景色さえ、まるで魔法のコンパクトへ全て吸い込まれてゆくように、のっぺりとした空間へと収束、片付けられていくのが普通です。

じーちゃんの形見分け(?)でもらった建具ですが、ちょうど庭や通路に「つい立て」が欲しかったので、倒れないよう脚をつけたりし再利用してみました。
雨ざらしになるモノなので新品の木材だと勿体ないし、ちょうどいい感じ。古びた感じもよく、満足・満足。

つい立て1号(山で切ってきた竹をあしらってみました笑)
つい立て1号 利用シーン笑
つい立て2号(通路なのでソーラーライトをくっつけてみた…)
お向かいの解体で露わになった窓用 つい立て3号(建具再利用:これによしずを纏わせる予定)

手作りは不恰好だったりしますが、大工仕事や料理なども「その過程」こそがいちばん楽しかったりしますよね。ある意味、現代社会では、消費行動によって、いちばん楽しい部分を奪われている・見失っているとも言えます。

以前作った竹のベンチ。水に強いし丈夫だし、とても重宝しています。 竹の繁殖力は凄いので、困ってる人も多いはず。普通の人たちが生活シーンで活用・消費したらいいのになぁ…です。
竹垣などによく見られる「いぼ結び」。これが意外に難しい…覚えてもすぐ忘れる複雑さ…

でも女性の私でさえ木材を見るとワクワクするものですが、こんなに木材が高騰している昨今、現役引退して暇そうな近所のおじさんたち(失礼…)、もっとこういうことに興味を持ったり、家のどこかに使おうと考えたり、したくないのかなぁ??なんて思ったりします。
昔はそんな「ありあわせのモノで作る」お父さんやおじいさんが周りにたくさんいた気がするのです。

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私の住んでいる町は木工で栄えた町で、以前は町中に木工所が点在、乾燥用に積み置かれた木材がそこかしこにあり、町には清々しい木の香りが漂っていました。近所の方も木工に関わる職業の人が多く、我が家も木工所を営んでおり、おがくずの中で育ったと言ってもいいほど、ものづくりスピリッツの中で過ごした幼少期です。

その町も今では観光が主産業となり、様子は一変しました。
インバウンド解禁からは、熱を帯び回転の止まらなくなった歯車のように、人も町も冷静さを失っていった気がします。県外者が運営する民泊乱立、オーバーツーリズム、日本中の観光地が弊害も被ったことでしょう。
町で売られるもの、サービスされること、それらは地域と関係性の薄いものばかり…それでも誰も気にも止めず、ただ享楽的な雰囲気が支配し、世界的な流行として、何かの大きな渦に飲まれていくようでした。
その頃からでしょうか、個人的には世界の異様さを以前よりハッキリと、強く感じるようになりました。
そこからのコロナショック。
昼夜問わずの享楽はピタリと止み、町は風の音だけが漂うように静まりかえりました。異様な景色だったのを覚えています。
そして今また、コロナ禍を経てインバウンドは盛り返しつつあり、街や人は再びまたあの熱狂の渦へといざなわれています。

モノの値段が上がり続ける、現世代にはかつて経験のない異常事態。
かたやコロナ明けと称し、うっぷんを晴らせとばかりに消費行動へと誘導され、以前の価値観のまま行動する群衆…
それらを冷静に比べれば整合性が取れておらず、このすぐ先に、何が待つのかは言わずもがな…と思うのですが…

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お向かいの解体前、じーちゃんが昔営んでいた、商店の名残りの古びた張り紙が、そのまま壁に残されていました。
『イチビキしょう油値上げします』
そうして戦争が来て、じーちゃんも、私の祖父も満州へと渡ったのです。

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あの戦争からどれだけの時間が経とうとしているでしょう。
2024年〜25年はちょうど昭和100年と言われます。

疫病、金融崩壊、食糧危機、戦争、それらはなぜか必ずセットであること…
100年も経てば歴史の証人は去り、多くの人はそれを忘れてしまう…
そういえば最近まで疫病問題は活発でしたね、次は…

「歴史は繰り返す」このことを、ある人から知らされ、経済や歴史、世界の構造を学んできた3年間でしたが、じーちゃん家の張り紙、祖父が遺した朱色の戦時国債からも、リアリティと危機感を叫ばれたようで、あらためて備えること・知ることをいちばんに過ごそうと考えるのでした。

ご近所で解体される家があったら、ぜひ木材貰ってみてください(笑)
旅行・グルメ・ゲーム・エンタメ・スポーツ、そんなのよりずっと、有益で楽しい時間が得られるかもしれません。

工作員、オススメです(笑)