さらら、あらら
2022年12月に、茨城県取手市へ移住してきました。 夫婦共々、東京の出身で、取手とは縁もゆかりもないのですが、 魅了され、土地を買って、家まで建ててしまいました。 空気がおいしく、子育てしやすく、いいところです。
いつから私は素直さをなくしてしまったんだろう。 傲慢、虚栄、意固地。 これが今の私を表すのに相応しいことばだ。 素直さというのは、ありのままの自分を認める力だと思う。 分からないことに対しては「分かりません」。 過ちをしたことに対しては「ごめんなさい」。 感謝したことに対しては「ありがとう」。 他人の褒めるべき行いに対しては「素晴らしい」。 こういうことばがすぐに口から出なくなってしまった時、 私には素直さが欠けているという。 大人になればなるほど、 「
ずっと言語とイメージは一致するものだと考えてきた。 四半世紀の人生を経て、 言語とイメージは違うということが やっと腑に落ちたという感じ。 高1のとき、現代文が面白かった。 なぜかというと、 ことばが自分の身体へと入っていくような感覚を覚えたからだった。 本を読むとき、ものすごく集中する。 一言一句取りこぼさぬよう、読む。 横や水平方向に読み流すのではなく、 縦に、垂直に。 しかし、この頃、私は「読む」ことは「描く」ことと同義と考えていて、 ことばを読
大学生のとき、モダンジャズ研究会に入部した。 それまでクラシックピアノしか知らなかった私にとって、ジャズは新鮮で、かっこよくて、粋な感じがした。 早くジャズピアノが弾けるようになって、かっこよくなりたい! その一心で結構練習したし、レコードとCDも片っ端から聞きまくった。 でも、一向に弾けるようにならなかった。 スウィング感が掴めない。ビートが分からない。フレーズ作れない。。。 周りはどんどん上手になっていくのに、ぜんっぜん弾けない。 結局、挫折した。ジャズ研に
体調がすぐれないとき、 気持ちが沈んでいるとき、 もやもやしてるとき、 わけもなくイライラしているとき、 なんとなく人に意地悪したくなるとき、 人の話を聞く気になれないとき。 こーんなときが私にはよくあって、 いつも頭ぐるぐるして、 気持ちの整理ができず、わけもなく泣いたりする。 感情に振り回されて、頭ぐるぐる。 悩んで、悩んで、悩んでも、答えが出てこなくて、 結局いつも時間が経つのを待って、 気持ちを落ち着けさせる。 でも、実は、こんな時、つまり,
今日は朝からものすごい雨で その雨は風とともに窓にむかってドンドンという音をたててぶつかってきていた 雨はひとときも休むことなく強いシャワーのように降りつづけていて このままコロナウイルスも流れて 平成という時代の名残もすべてぬぐい去って あたらしい世界の幕開けというかんじがした 夕方4時くらいから雨はだんだん弱まって やんで また強まって やんで また降って・・・を繰り返していた 5時くらいから急に太陽がふりそそいで オレンジ色の光が窓から指してきて なん
何もない雨の日の朝。 今日は何もないから、目覚ましをかけない。時間も気にせず、ゆっくり起きる。ぐっすりとよく寝たので、目覚めが気持ちいい。目が覚めたのと、鳥がぴちゅぴちゅ鳴いたのが同時だった。 ベランダの雨戸をあけると、雨が降っていた。土と雨のにおいがした。雨の日には雨のにおいがする。雨にはにおいなんてないはずなのに、雨の日には雨のにおいがする。不思議だ。土のにおいだけではなくて、他の色んなにおいがする。雨のにおいって、何なんだろう。そんなことを考えながら、2階の寝室から
朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん。 私は特に昼ごはんが好きで、午前中集中して頑張った自分へのご褒美として好きなものを腹がはちきれそうになるまで食べる。 そして食後にコーヒーを飲むのが私の至福の時なのだが、食後は眠気と倦怠感で午後の仕事を気持ちよく始めることがなかなかできない。 食後は腹ごなしとして頭を使わないように携帯をぼーっとながめているのだが、気づくと1、2時間も携帯をながめているということがある。 仕事を始めようと思うんだけど、なかなか腰が重い。ずーっと携帯をながめ
人とか友人と会う時、私はいつも相手が楽しんでくれているか気になります。相手が楽しんでくれるために、あらゆることをします。 たとえば、話題選び。相手が興味ありそうな話題や、相手が話していて楽しそうな話題を様子を見ながら常にピックアップします。 相手が話し出すと、私は相手が話しているときに、とても楽しそうに話を聞きます。その時、自分がつまらなそうな顔をしないように努めます。「あなたの話を聞いていて、私はとても楽しいよ」という顔をします。 でも内心、正直なところ、私がほんとう
こんにちは。さらあかです。今日は「人に会うと疲れてしまう」ということについて話したいと思います。 私は昔から友人と遊ぶのが苦手で、いつも約束するたびに後悔していました。 「また疲れるな…。」と。
大学のときの恩師が言ってた。「毎日書き続けなければダメ。ピアノの練習と一緒。書くことは訓練。一日書かないと、三日の遅れ。」と。 私は本格的に書き始めたのが一昨日なので(笑)、今後は毎日毎日、継続的に書いていこうと思う。 幼い頃より”ことば”とか”書く”ということへの興味はあったものの、実際に書いたりすることはなかった。まあ小学生のときに、短編小説みたいなのは作ったけど、どれも完成することはできかった。 中学生にあがると、無駄にプライドみたいなものが芽生えてきて(※人間に
日本語教師という職について早くも七ヶ月。学びが多く、勉強することが好きな私にとっては天職。学生が一生懸命日本語を学んでいる姿が眩しい。応援したくなる。 今日は授業をする上で大切なことについて述べたいと思う。結論からいうと、「明確なことや、分かることを一つでいいから学習者に持ち帰らせること」。外国語を勉強し始めのときって、教師が何を言ってるのか、周りが何を話しているのか全然分からない状態。ザ・カオスモスな世界。 外国語を勉強したことがある人なら、ザ・カオスもスな世界を理解で
世の中には、さまざまな文章が溢れています。インターネットが普及して、作家さんやライターさんの仕事のあり方も変化したかと思います。モノを書く仕事についていなくとも、今は誰もが他者へ自分の書いた文章を発信できるという環境が整っています。だから、私たちは日々無数の文章を目にしているのです。 で、無数の文章がネット上に存在しておりますが、それらの中にも個性はそれぞれです。読みやすいものから、専門性の高いものまで(意外にも、若い人って、よく書くんですよね。活字離れなんていいますけど、
note 便利ですね。 久しぶりに1年以上前に書いた記事を読み直しまして、「あの時の私、こんなこと考えてたんだー。」と感慨にふけっております。記録をしていたからこそ、その時の私が何を考え、物事をどのように捉えようとしてたのかが、よく分かるのです。 Web上で気軽に過去の自分の痕跡が見られるというのは、かなり便利です。私は普段、キャンパスノートとパイロットの4色ボールペンを愛用しており、それを使用しながら研究計画書や、日常で起こったことを書いているのですが、どうしても直筆で
昨日は春なのに雪が降った。雪は本格的な大降りで、しばらくすると、雨になっていた。家の中で雨音を聞いていたかった。新型コロナウイルスへの危惧もあり、外に出るのが億劫だった。雨音を聞きたい一方、人と話したい気分でもあった。そこで私は友人に「午後、LINEでビデオ通話しない?」とメッセージを送った。10分もしないうちに「いいよ。私も暇してたところ。」と返事がきた。 午後3時。外にはまだ雨が降っていた。久しぶりに友人の顔をスクリーン越しに見て安心した。友人は舞台女優やナレーションの
何かを始めたい。けど、何をしていいのかよく分からない。 自分の特技もよく分からないし、自分に何かできることなんてあるんだろうか。 こんな風に思っている人は多いと思う。自分が何をすべきか分からず、定職につけない人も多いと思う。 「今はまだ自分の将来のことよく分からないけど、一応コンビニでバイトしとこ。」とか、「とりあえず目の前の金欠状態をなんとかしたい。バイトしよ。」など。 色々な事情があると思うけど、私はこう言いたい。 「テキトーな動機で働かない方がいいぞ!」 こ
他人に自分のことを分かってほしいと思わない。 自分が何を考え、何を学び、何を思っているのか。分かってほしいだなんて思わない。