人生を反映できること。

昨日は春なのに雪が降った。雪は本格的な大降りで、しばらくすると、雨になっていた。家の中で雨音を聞いていたかった。新型コロナウイルスへの危惧もあり、外に出るのが億劫だった。雨音を聞きたい一方、人と話したい気分でもあった。そこで私は友人に「午後、LINEでビデオ通話しない?」とメッセージを送った。10分もしないうちに「いいよ。私も暇してたところ。」と返事がきた。

午後3時。外にはまだ雨が降っていた。久しぶりに友人の顔をスクリーン越しに見て安心した。友人は舞台女優やナレーションの仕事をしていて、最近は声の仕事がうまくいっているとのことだった。彼女はことばでは形容しがたい独特な明るさを持っていて、いつも顔を見るとこちらも元気が出てきた。

私は熱々のコーヒーを飲みながら(彼女はチョコレート味のプロテインを飲みながら)、最近のこと、仕事のこと、人間関係のこと、芸術のこと、音声のこと、コトバのことなど、色々と話した(私たちはとめどなく話すことがあるのだ)。


先ほど私の友人は声の仕事をしていると述べた。以前彼女と会ったときに、彼女はその声の仕事について確固たる納得を持てずにいたと話していたことを思い出した。彼女が一番好きなのは芝居で、芝居がやりたくてやりたくて仕方ないという子だった。芝居を心から愛していた。


声の仕事、主にCMのナレーションの仕事だそうで、なぜ彼女がその仕事に納得できなかったのかというと、「人生を反映するには、あまりに時間が短すぎるから。」とのこと。つまり、15秒間のCMにおいて、声のみで自らの喜怒哀楽や人生で行ったさまざまな出来事を詰め込めないと考えていたそう。一方、芝居はそれが存分にできるから好きだし、声のみならず身体全身で表現できるから好き。だからこそ、彼女は芝居をやりたいと思っていた。

そんな彼女は最近、声の仕事が増えてきて、自分でも納得できるようになって、楽しくなってきたとのこと。そのきっかけとなったのは、ある食品関係のCMの仕事をしてから。普段はエゴサーチをほとんどやらない彼女だけど、その仕事のときは興味本位でエゴサーチをして、そのCMの評判をTwitterで調べたんだって。

CMの評判は賛否両論で、「感動した!」という意見から「最悪。声きもい。」という意見まであったそう。悪い意見には全然落胆しなかったそう。それ以上に自分の声を吹き込んだたった15秒間のCMが、そこまで人の感情を揺れ動かしていることに、むしろ感動してしまったんだって。たった15秒間だけど、「私の人生反映することできるじゃん。」って思えてから声の仕事も楽しくできるようになったと。

この話聞いて、私、感動しちゃった。彼女の明るさとか素直さについてはもちろんなんだけど、彼女の「自分自身の人生を肯定する力」って半端なものじゃないな、と。

高校のときからの友人で、私は彼女の生い立ち、父親との確執、小中学校でのいじめとか。彼女の壮絶な四半世紀を知っているからか、余計に尊敬の念が強くなってしまう。半端に生きている奴らとは、訳がちがう。彼女の人格的魅力は、誰にも押しとどめることなんてできないな、と毎回思うんだよね。「明るくていい子」なんて安っぽい単純なコトバじゃ片付けられない。どちらかというと彼女は複雑で、かなり絡み合っている感じ。オーラも不安定で、ギラギラしている時もあれば、雨にたたずむ口裂け女みたいな時もあって。ほんとうに見ていると面白い子。

私も彼女のように自分の人生を肯定して生きていきたい!自分の持つ魅力を最大限に活かして、社会と関わりたい!そんな風に思ったなあ。私も自分の人生を、生き様を反映できるようなことできるようになりたい!

END

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