弁護側の主張
逮捕時の暴行
なぜ被告の血が現場にあったのに被告は現場にいなかったと主張できるのかと誰もが訝るだろう。証拠が捏造されたからだと弁護側は推測する。
被告・堀口氏は以前の服役時に口腔内細胞からDNAを採取・記録されている。約2年後、一晩のうちに新宿で侵入事件が相次いだ2019年4月15日未明、ピースビルからの通報で駆けつけた警察は堀口氏の保険証を持った怪しい男を取り逃してしまった。このポカミスを挽回したいところへ守・ワールドビル事件が発覚する。ミス挽回に加えて連続事件解決の功名のために堀口氏を逮捕したい。そこで警察が真っ先に頼れるのはこのDNAであり、証拠を作るべく現場に血痕様のものを配置して逮捕状を請求。逮捕時に暴行を加えたところ出血したので、流用してDNA型を抽出。その資料の日付を現場検証時に遡って書き換えた……とでも考えないと「ないはずの血が現場にある理由」は説明できない、と弁護側は言う。
弁護人による被告人質問によれば、被告は2019年11月1日に大阪で逮捕され新宿署に護送されたが、酩酊状態で意識がなく、指紋を採られる段になって初めて気づき、何が起きたかわからず暴れた。このときの出血がDNA証拠の捏造に使われた可能性が示唆されている。
捜査側の「捏造」疑惑に関して、被告はそれが「たられば論」なのは承知であり、捏造のタイミングや手法の証明にこだわるつもりはない、と述べている。しかしこのような捏造は可能だった、その動機があった、と主張する。
自白の誘導
このような主張に沿えば、証拠捏造に踏み切った捜査側が引っ込みがつかず上塗りを重ねてきた要因の一つは、DNAという強力な証拠にもかかわらず被告が自白しなかったからである。
自白の誘導というか強要と並行して「客観的な証拠」が作られたり隠されたりすることは過去の冤罪事件でしばしば明らかになっており、弁護側の主張に沿うならばこの事件でもそうである。DNA以外の証拠がなく自白もない侵入・公然猥褻事件がわずかながら他人の可能性があるとして最高裁で無罪となった2018年の判例もあるように、確実に有罪とするには血液以外の証拠も必要だ。たとえば──
防犯カメラ映像は別人
細かい違いを無視してざっくり似ている人影の映ったものがピックアップされる一方、似ている人が登場しなかったり誰も映っていない映像は隠蔽された、と弁護側は言う。
たとえば、守・ワールドビル事件現場への侵入口とされる隣接ビル入口の映像や、エステ店事件現場周辺の映像を「収集していない」という捜査員の証言は嘘だ、収集して確認してみたが見立てに沿うような内容ではなかったので収集した証拠を出さなかったのだ、と弁論で主張している。
職質は別人
そもそも堀口氏が逮捕されたのは、冒頭で触れたように、侵入事件の相次いだ2019年4月15日未明、そのうちの一つピースビルからの通報で駆けつけた警察の職質した男が堀口氏の保険証──によれば半年前に失くしていた──を持っていて、この男が職質をぶっちぎったのがきっかけであり、弁護側によればそこから警察がミス挽回のため血痕証拠の捏造に走った元凶であり、検察側によればこの男は堀口氏本人であって単に被告有罪を補強する出来事である。ぶっちぎられた状況をもう少し詳しく見ると、その男が「ヒロキ」ではなく読み違いの「ユウキ」と名乗っていたことから、「読み」だけで照会した警察は堀口氏本人のデータとすぐには結び付けられず、犯歴も出てこないし侵入に使えそうな道具も持っていないので嫌疑は低いと判断、念のため一人の若い巡査に引き留めを頼んで現場を見に行った間に、男はこの巡査を無視して去ってしまった。同日中に「裕貴」だと察した警察は「犯歴等が該当し、同日の守ビル事件の犯人を被告と思い、職質で見失った失態を隠すために検挙した」と弁論は述べる。
このときの巡査が法廷で証言するのを傍聴したが、ぱっと見おとなしそうな人で、なるほどナメられそうだと思った。
この保険証の件は裁判の争点になっていないが、わけがわからない。「とにかくこの男は堀口氏ではない」というのが弁護側の主張で、じゃあ誰なんだという疑問は残るがその挙証責任は弁護側にはない。
侵入は無理
相次いで起きた守・ワールドビル事件はいずれも隣接するさんらくビル入口から屋上に上がり、屋上伝いにビル間を移動し、それぞれの事件現場のガラスを割って侵入した、と検察は見ている。この見立てどおりに2つの事件現場を発生時間に沿ってルートに組み込むと、犯人はさんらく〜守というアクロバティックな空中移動を短時間で2回クリアしなければならない。現場検証ではぎりぎり可能だったが、服装や天候を考えるとやはり不自然だと弁護側は言う。#157
そもそも同一犯による連続事件ではなく別々の犯行ではないかと弁論は示唆している。守ビル事件は日常的に屋上に出入りできる鍵を持っていたテナントの人の犯行と考える方が自然だ、と被告は推測する。#248
指紋がない?
検察は「指紋は照会不能なのであって採取しなかったわけではない」と述べるが──
なお、自分がこの事件に注目し始めた時は知らなかったのだがワールドビル事件では現場に人糞らしきものが残されていたそうで、犯人像が謎である。警察がこれを調査した記録がなく、指紋と同じく不問とされていることに弁護側は疑問を抱く。#239 逆に、強力な証拠とされているのはピンポイントで見つかった血痕なのだが──
血痕は不自然
その「血痕」は警察が現場に配置したのだと弁護側は言う。動機は、冒頭で述べたように──
警察の「捏造」動機
弁論で弁護人は「血痕は血痕でなかったということ?」という裁判官の質問に「血痕でないか第三者の血かわからないが、少なくとも被告の血ではない」と答えている。
「疑わしきは被告人の利益に」は刑事裁判の鉄則とされているが、この事件の場合、検察の各証拠が疑わしいという弁護側の指摘は捏造の告発に直結するので、裁判官としては慎重に確認したいところだろう。
被告の「犯行」動機
意見陳述で被告は、逮捕時の所持品記録に見覚えのないネカフェ会員証があり、照会したところ知らない人のものだったと述べ、警察の粉飾を示唆している。また警察の取調べ中、「ネカフェ難民をしている内に生活が立ち行かなくなり悩んでいる時に今回の犯行を思いつき、実行に至りました」という「自白調書」にサインを迫られたがこのように供述した覚えはなく、警察の「作文」だと言っている。#26 これらを批判しつつ、逮捕時は経済的に困っておらず、犯行の動機がないと主張する。
この陳述書は被告人意見陳述で読み上げられたが、「生活に困っていないどころか奢ったり、困っている人の相談に乗っていた」「仕事で忙しく、働き者だった」と10数名の人が述べており、捜査側の設定する犯行動機を否定するものとなっている。
検察側の疑い
「動機がない」は嘘だ
休憩を挟んで検察による反対尋問は、被告が当初は住所不定だと述べていたと指摘し、犯行の動機があったことに加え、被告が嘘を吐きがちな人物だという主張を強調する。
「警察の暴行」は嘘だ
また検察は、逮捕時の警察による暴行の話は嘘だとし、暴行の出血が証拠捏造に使われたという弁護側の主張は言いがかりだとしている。
これらを踏まえて論告は「被告人は詭弁を弄しており弁護人の主張も謂れがない」「不合理な弁解をしていて反省の色がない」「被告の弁解は信用できない」と結論し、弁論は「捜査側が被告を犯人と誤認し、偽装した」として証拠捏造を告発する。
双方の言い分はいったんわかったとして、では第三者がこの事件をどう考えればいいのか。
(雨イジングスパイダーマン事件裁判【6】私見 雨イジングスパイダーマン事件裁判【6】公判記録 につづく)
被告の情報:Instagram「獄中便り」(ハッシュタグ #雨スパグラム)
担当/事件番号:刑事係7部/令和元年(わ)3108号等