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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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#天地

天地の神様がお守りくだされてある

天地の神様がお守りくだされてある

畳の上に寝起きしておるが、畳の藁(わら)や藺(い)の生長したもとを考えてみよ。

百姓は藁や藺をはじめいろいろ作りおるから、人間の力ばかりでなく、四季を天地の神様がお守りくだされてあることはわかりましょう。

 金光教教典
 366頁
 山本定次郎の伝え
 8

おはようございます。

綿、水、鍋釜、かやと色んな事例を出して、四季を通じて天地の神様がお守り下さってあることをお話ししてこられました。

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夏のかやを用意するのも

夏のかやを用意するのも、夜安楽に寝て、昼働くためである。

 金光教教典
 366頁
 山本定次郎の伝え
 8

おはようございます。

子どもの頃、かや(蚊帳)を吊って寝ていました。かやの中で寝ると蚊に刺されることがありませんので、安楽に寝ることが出来ました。
その安心感は、言うに言われぬものがありました。

かやは麻で作られていたよう思います。
その麻は、天地のお働き、お百姓の丹誠、職人さん

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水を使うには、おけ屋が調えた道具を用い

水を使うには、おけ屋が調えた道具を用い

水を使うには、おけ屋が調えた道具を用い、食べ物を煮るには鍋釜を用いる。この鍋釜は、鋳物屋が調え、その他、人間が食い飲みする道具あまたあり。

 金光教教典
 366頁
 山本定次郎の伝え
 8

おはようございます。

事細かなことを教えてくださいます。そういう意味教えが続きます。

今日は、桶、鍋釜が話題にされ、そして、飲食に必要な道具はすべて、天地の間にあるものを使って、それぞれの人が作った

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寒さの時は格別に綿をもって用意いたし

百姓が、春の末、綿の種を田畑に植えつけ、夏作り、秋綿がふき(繊維が生ずること)。

種と綿は分け。

この綿を種々様々に使用し、寒さの時は格別に綿をもって用意いたし、人間、不自由をせんようにする。

 金光教教典
 366頁
 山本定次郎の伝え
 8

おはようございます。

綿は、当時のお百姓にとって貴重な換金作物でした。教祖様もお百姓の当時、綿を作っておられました。覚書には「摘むのに早し、選

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薪(たきぎ)の恩を知りて食べ物の支度をいたす者少なし

薪(たきぎ)の恩を知りて食べ物の支度をいたす者少なし

毎日薪の恩を知りて食べ物の支度をいたす者少なし。

天地の神様のおかげで、四季に応じ水気があがりおりするゆえ、春、芽を出す。秋は木の葉が落ちるを見て、神様のおかげであるということを知らねばならぬ。

 金光教教典
 365頁
 山本定次郎の伝え
 7

おはようございます。

わたしが子どもの頃、台所は土間でした。床下に薪を用意し、その薪を使って竈(かまど)でごはんを炊いていました。

今日、薪

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木の恩を知りておる人少なし

木の恩を知りておる人少なし

木の恩を知りておる人少なし。

木の生えるはじめ双葉であるが、おいおい成木するのは天地の親神のおかげである。田畑に植える物には肥やしを施すが、山には肥やしを施す者なし。日に月、年を重ねて大木となる。

これを用材として家屋建築するにつきては、第一、天地の神のご恩を知らねばならぬ。

 金光教教典
 365頁
 山本定次郎の伝え
 7

おはようございます。

門納屋、風呂場・手水場、母屋など、教祖

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何もかもありがたい

何もかもありがたい

毎年春、鯛、鰆(さわら)を買い祝うも、体の修繕をするために天地の神様がお与えくださるのであります。

おばの所に行くより秋の山に行けということがあるが、山に松茸その他いろいろの茸を取りに毎年楽しんで行けるのも、天地の神様のおかげである。

春はたけのこというて楽しみ、山に種々の楽しむ物がある。

人間が肥やしを入れて作らんでも、人間の楽しむ物がたくさんある。このように話せば、何もかもありがたいよう

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四季に応じて、毎年、人間が楽しみ待ちておる物ができる

四季に応じて、毎年、人間が楽しみ待ちておる物ができる

四季に応じて、毎年、人間が楽しみ待ちておる物ができる。それを買い求めて食い、身体丈夫にしていただけるのである。四季の変わりは人の力で自由にならん。
 
 金光教教典
 364頁
 山本定次郎の伝え
 5
 
おはようございます。

春から夏にかけては、さくらんぼ、スイカ、ももなど。秋になると、柿、梨、栗など。冬にはりんご、ミカンなど。

書き切れないほどたくさんあります。
全部が全部、天地のおかげ

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人間は小天地

人間は小天地

人間は小天地で、自分の頭をいつも天地の神様がお守りくだされてあるゆえに、自分の体を思うように使われるのである。

 金光教教典
 362頁
 山本定次郎の伝え
 2

おはようございます。

天地とは何であるかと言うと、それは色々に表現できます。




神様

祈り

これは神前拝詞にあることでもあり、わたしの頂く所でもあります。

小天地とは、ここに記したことが皆、人にある、人に備わっ

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天と地と人とのこと

天と地と人とのこと

三宝(さんぼう)様ということは、天と地と人とのことをいう。

神も人なければ用なし。また、まつる者もなし。米麦も人なければ用なし。また、作る者もなし。

 金光教教典
 329頁
 島村八太郎
 16

おはようございます。

三宝とは、もと仏教用語で、仏・法・僧をさしていましたが、ここにあるように、天・地・人を指したり、また、穀物を指す場合もありました。

教祖様は、日天四・月天四・金神を三

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社の中に住むものと思うな

社の中に住むものと思うな

神が社の中に住むものと思うな。亭主が家の内にばかりいては、家は立つまいが。

 金光教教典
 327頁
 島村八太郎
 3

おはようございます。

神様のお社はこの天地です。どこにでもおられます。
ですから、車に乗っていても、道を歩いていても、お手洗いで用を足していても、神様のお体の中でおかげを頂いていることになります。

*

この神様は、私たち一人ひとりの徳、心に応じてその働きを現して来

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悟るべし

悟るべし

日乃大神のお照らしを受けずば、地におることもならぬものぞ。悟るべし。

 金光教教典
 324頁
 佐藤範雄
 21-23

おはようございます。

太陽光を体に浴びることがどんなにいいことで、だからこそ人もすべての生き物もこの大地に生きていることができます。

それは言うまでもないことですが、これはそのことだけを言っているのではなかろうと思います。

*

太陽は科学的分析の対象ですが、日乃大

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人の力にもおよばぬ

地震の時には書物にも人の力にもおよばぬことを悟りみよ。

 金光教教典
 317頁
 佐藤範雄
 5

おはようございます。

2018年(平成30年)9月6日、北海道胆振(いぶり)東部地震がありました。
ちょうど2年前ということになります。札幌でもけっこうな被害が出ました。

揺れた時、飛び起きてその場で「金光様、金光様」とご祈念しました。それしかできませんでした。

まことに書物(学問)、人の

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毎月悪い種をまいてあるから、先では生えるなり

毎月悪い種をまいてあるから、先では生えるなり

下の洗い水を捨てる時には、つぼへ捨てるとか、穴を掘りて捨てるとか、川で洗い来るとか、いろいろに言うて、あなた(神)のご地内にご無礼いたし。

それでも、氏子は神様にさばらねば(触れねば)きんとう(義理堅いこと)のように思うておるけれど、それはきんとうにはならん。

それがご無礼となり、毎月のが重なりて、末では、女が言うことには、血の道とか癪とか、長血(月経過多)とか白血(白帯下)とか、いろいろに言

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