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私が影響を受けたもの4 「バレエ」

 小学校1年生よりバレエを習い始めた。
 私は幼少の頃より、音楽がなっていると踊り出していたようだ。芸能ごとに関心がある家庭なら、もっと早くに教室通いをさせていたのかもしれないが、一般サラリーマン家庭のウチは、この頃になって近場の教室を探したそうだ。
(と、偉そうに書き出したが3歳から通っていた幼稚園も登園拒否していた私だ)

 小学校も登校拒否気味な私だが、週1回のバレエ教室だけは休まなかった(この事が発覚したので<ズル休み>とあだ名が付けられいじめられっ子になる)。この教室があるからこそ生きられたと言っても過言ではない。私の夢は「バレリーナになる」であった。

 1970年代初め、女の子の習い事は「ピアノ」「バレエ」が流行っていた。というのも、この頃、ようやく国際的に認められるようになった日本人バレリーナ森下洋子氏(松山バレエ団)の存在が大きかった。森下氏の話題が高まるにつれ、少女漫画、テレビドラマと本格バレエ物が登場した。
 1971年〜山岸涼子作画「アラベスク」(りぼん)。

「アラベスク」


 1972年〜TBSドラマ「赤い靴」全52話 主演ゆうきみほ(牧阿佐美バレヱ団)

ドラマ「赤い靴」主題歌ジャケット


 1976年〜有吉京子作画「SWAN」(週刊マーガレット)。

「SWAN」


 など。
 上記3作は必死になって見ていた。特にドラマ「赤い靴」は、バレエ教室でも毎週話題になり、鬼コーチ役竜崎勝氏の特訓ぶりに話の花が咲いた。(スポ根ものとストーリーは同じである)

 私の通っていた教室は、基本モダンバレエの先生であった。トゥシューズのレッスンもあったし、年1回の発表会では「白鳥の湖」などのクラシック作品もやったが、本当のクラシックの稽古ではない、とわかってきた小学生高学年になると、ショックであったし、クラシックバレエ学校に入りたい、とも親に話した。しかし、ウチでは無理であった(月謝がね)。
 「そうか。バレリーナにはなれないかな」
頭ではそう思い出していたが、心は「踊りたかった」。

 クラシックバレエ作品の物語を読み、わかるようになってくると、ラブロマンス物が土台に多いことがわかる。言葉で伝えず、マイム、踊り、表情でその感情を表すステージ。ヒロインと男性の関わり。その衣装。
 小学校高学年になれば「性」についてわかるし、元から早熟だった私は、「踊り」ということから「エロティック」な面を見るようになっていた。男女の「アダジオ」シーンでは、「あんな風に身体に触られて踊っていたら気持ちいいんだろうな」。「今の表情は感じているのかな」。心が純粋でなくなっていった。

 「踊りたい」思いはもちろんあるが、「ステージに立っている私を見られたい」という思いが強くなってくる。中学生になると私は、舞台裏のスタッフ男性たちの目を気にするようになっていた。もちろん向こうはそんなガキに興味なく、黙々と仕事をこなしているのだが、ステージ写真を撮ってくれるカメラマンに声をかけたり、照明技師さんに声をかけたりなど、衣装を着たまま舞台裏をうろついていた。私の心の中では邪心がたっぷりあったのだろう。「もしかしたら、、、」なんていう。そんな思いが強かった中学2、3年の頃の私は、踊りが全くダメであった。当たり前だ。発表会の写真を何枚か持っているが、全くベストショットがない。

 結局17歳で、このバレエ教室を辞めたのだが、最後の1、2年は邪心を捨て(!)必死に頑張った。ついに先生も認めてくれるようになり最後の年の発表会では主役を当ててくれた。でも私の生活事情が大きく変わったため、発表会に出ることは叶わなかった。

 私が中2、3年で思った事が、のちにずっと尾を引いて、この仕事での快楽を生んでいる。
 「ステージに立って見られたい」
これが露出願望だと悟ったのは20歳も超えてからだ。だから後にグランドキャバレーで踊れるようになった時には、心底嬉しかった。「踊りでステージに立てる」と。

 そして私の想いと似たような映画が登場した。
2010年アメリカで製作された「ブラックスワン」だ。
「白鳥の湖」のプリマに抜擢されたバレリーナ(ナタリー.ポートマン)は、主役のプレッシャーから幻覚が現れるようになり、精神が崩壊していく、サイコスリラー作品だ。
 ダンスレッスンでは、コーチから体を求められているような妄想が生まれる。それと言うのも、「白鳥の湖」は白鳥と黒鳥の2役であり、黒鳥のキャラクターには「妖艶、大胆さ」が求められるからだ。

 このシーンに私は「よくぞ演出してくれた」と拍手した。バレエのエロティックさを映像にしてくれた。クラシックバレエは「神聖」的な扱われ方が多い中、この性的シーンは私の妄想と一致していた。
 この映画が流行った後、いつも観劇していた「牧阿佐美バレヱ団」で「白鳥の湖」の公演があった時、凄く混んでいた。そして近くに座っていた女性二人が「なんだ映画と全然違うじゃない」と話していたのが聞こえた。
 これには思わず吹き出した。映画のようなサイコパス的シーンがあるわけないじゃないか。これは純粋なクラシックバレエである。純粋だからこそ、映画の妄想シーンが面白いのだ。そこが判らなかったようだ。

 私はストリップ劇場でも「トゥシューズ」を履いたバレエ物を何作か作った。バレエに対する憧れは忘れられない。
 厳しい肉体訓練があり、そのボディを見せつけるかのような「衣装」があるからこそ、クラシックバレエのエロテックさを垣間見れるのだ、と感じている。ちなみに私は男性の「もっこり」タイツより、女性のチュチュのエロティックさに惹かれている。

「白鳥の湖」より


  ずっと後になりふと、バレエ教室の先生のことを思い出した。もうご高齢のはず。逢ってみたいな。
 手紙と共に1991年の自主公演「色葉恋流鼠」(脚本山口椿 演出滑川五郎)の招待状を送った。「早乙女」の活動の事も知らないし、SMシーンがあるにも関わらずだ。まさか来ないだろうな、と思いながら。
 そしたら来てくださったのだ。ちゃんと覚えていてくれたのだ。
パフォーマンス後挨拶をすると、
「あんなシーンなくても貴方は踊れるわよ」
こう言って下さった。
 何も知らない先生は、私がやらされている、と思ったのであろう。でも、この言葉は本当に嬉しかった。

「踊り」、、、。バレエ、ジャズダンス、舞踏、日本舞踊と習ってきたが、ジャンルにとらわれず、私にとって「踊り」は切ってもきれない表現方法であると思う。膝がイマイチ良くない今だが、できる限り「踊り」に関わっていたい、と願うのだ。

http://ag-factory.sakura.ne.jp/


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