見出し画像

「煌びやかに美しく生きる」という生き方の本質🌹私にとって努力と呼吸は同じです🌹


昨日の記事に感想をもらいました🌹

なるほど!と思うことがあったから、シェアして解説🌹



「一般的に、という言葉はあまり好きではないのですが、
多くの人たちが

「煌びやかに美しく生きる」と聞いて

パッとイメージするのは
お金に恵まれていて、身に付けているものが煌びやかで豪華で、美人で強くたくましい女性として生きることを想像しがちです。


だから何となくハードルが高くて、自分とは無関係で、他人事みたいに聞こえてしまうんだと思います。


でも、この言葉がそんなに単純で、簡単なものではないということを


「煌びやかに美しく生きる

って、

何回立ち上がったか?を
大切にすることでもある🌹」


この言葉で再認識させられました。





”お金に恵まれていて、身に付けているものが煌びやかで豪華で、美人で強くたくましい女性として生きることを想像しがちです。”


これって、本当の意味で美しくない女性でも、なんとなく外見でそれっぽく見せることができるけど
本当はそれだけじゃなくて、

たくさん転んで立ち上がって、泥臭く努力して、誰よりもつらい思いをして、

その積み重ねでしか手に入らない

「煌びやかさ、美しさ」


なんだと思いました。


偽物の美しさを纏うことは、できるし世間にはそういう人も多いけど


SAORI YAMAMURAが、

そんな偽物の美しさではなく本物を追求していることがよく伝わる記事だと思いました。



私は、どんなに苦しくてもたった一度きり授かった人生を絶対に諦めない、無駄にしない、
いつだって自分の力を誰よりも信用して、
自信を持って、努力し続けて、何回も立ち上がって、
私が大切だと思う人たちに愛を与え続けられる人間でありたいと記事を読みながら強く感じました。



この記事が一人でも多くの方に響いてほしいと思いました!!



ありがとうございます🌹

感想が名作🌹


”お金に恵まれていて、身に付けているものが煌びやかで豪華で、美人で強くたくましい女性として生きることを想像しがちです。”


ここを読んで、そうやったん??と、
ビックリはしてないけど、

「えー、私の伝え方不足やん!」と、確認。


「煌びやかに美しく生きる」は、

内面のことです🌹


外見の装飾は、いくらでもできます。

が、外見の装飾って、中身が伴っていないと

ただ、虚しいだけになるし、

装飾品が美しくても、美しく見えないんです。


内面が美しい人は、外見も美しいけど、
装飾された美しさは、

そもそもの美しさがあって、輝くもの。


外見が残念な人は、内面も残念だし、
外見にこだわる余裕もないから、
余計に残念なことは事実だけど、


外見は、内側の1番外側です。


だから、


内側が、


煌びやかに美しいことで、

外側も、自然に、

煌びやかに美しくなる。


だけです。


そして、

内面の、

「煌びやかに美しい」

って、

なんにも失敗しないで、
傷つくことなくスマートに生きることではないです。


「傷つくことから恐れる」

なんて、ダサいことはしないのも、


煌びやかな美しさ。


ダイヤモンドは磨かないと美しくならないし、

磨く時には、傷をつけています。


たくさん傷ついた人は、優しくて、
愛に溢れている。


傷つくことから恐れる人は、
ちゃんと人を傷つけて復讐して汚い。


傷ついた経験をどう使うか?

思考の美しさが必要。


そこそこ勢って、自分に対して、
そこそこだから、基本的に思考停止なんです。


無自覚に。


煌びやかに美しく生きる。って、思考停止では無理です。


美しい蓮の花🌹


こちらから借りました🌹


蓮の花は、泥の中から咲くけど、

ひとつの泥もつけずに、

美しく咲き誇る。


泥から咲いたことを見せないところに、

美しさと美学を感じる。


「煌びやかに美しく生きる」

って、こういうことです。


冴えない愚民は、「泥臭さ」を知らないから
汚いし、咲くこともない。


美しさ、美しい人って、
泥臭いです、必ず。



ハスの花言葉のうち「清らかな心」と「神聖」は、汚れに染まらない気高さから。


汚れに染まらない気高さ。

こんなの、煌びやかに
美しい。でしかない。


簡単に、命を雑に扱い汚れていく人が多い中、

周りがいくら汚かろうと、


「汚れに染まらない気高さ」

を、持ち続けるって簡単じゃないです。


庶民道徳勢は、

清く美しい心を持つ人を
批判したい生物だからね。


「みんなで醜いから怖くない」みたいな。


汚れに染まらないって、
信念と美学が必要。


揺らぐことのない「美学」が
ないと、
人は簡単に汚れ、諦め、


簡単に自分にも人にも嘘をつく。


「変わります」という寝言がいい例。

まあ、言うだけ言って、何もしない人は、
頭が悪いか、精神疾患なので専門の病院しか
行き先はありません。


何度、立ち上がったか?

って、

「何度でも立ち上がって、
成し遂げたいことがあると
決めている強さ」
の表現でもある。


「ハスは泥より出でて泥に染まらず」――。


「11世紀、中国の儒学者・周敦頤(しゅう・とんい)は、ハスが汚れた泥の中に育ちながらも、気高い美しさを保っていることを、こう賛美しました。

親鸞(しんらん)もハスを仏教の理想そのものとみなしました。

また、ハスの花は形が円形に整い、昼には閉じて朝に再び開くことから、さまざまな宗教で、太陽や再生・創造の象徴とされました。

極楽浄土は聖なるハスの花にあふれ、仏たちもヒンズー教の女神たちもハスの花に座していると考えられました。」


美しい🌹


私、tattooを入れる時に、
蓮の花を入れようか薔薇を入れようか
真剣に悩んで、薔薇にしたけど、
そろそろカバーアップしたいから、
蓮の花も追加しようと思った、やっぱり。


九星気学という、東洋思想を学ぶならば、

蓮の花の美学を体現しないと🌹


九星気学を学んで、

いつも通りに勇気も出さず、失敗から恐れる。

なんて、

学んでないのと同じですから。


九星気学が、私の思想とピッタリなのは、
ここでも語れる。


煌びやかに美しく生きる。


人のことを、よーく知ろうとしないと、

「煌びやかに美しい」

のは、なぜか?

なんて、死んでもわかりません。



「私は、どんなに苦しくてもたった一度きり授かった人生を絶対に諦めない、無駄にしない、
いつだって自分の力を誰よりも信用して、
自信を持って、努力し続けて、何回も立ち上がって、
私が大切だと思う人たちに愛を与え続けられる人間でありたいと記事を読みながら強く感じました。」


読みながら強く感じた。


嬉しいね〜🌹


「諦めない人」は、
「諦めない理由」を持つ人。


「諦めない理由」を持っているって、
幸せです。


なんでも簡単に諦めるバカは、
諦める理由は、山ほど持っていて、

諦めない理由を持てない、
つまらないくだらない人生を選択した人。


愛がない人。


私、ムスメズに、

アホみたいな顔して、あっさり諦める姿なんて絶対に見せたくないですし、

「諦める言い訳を保有するママ」

ではいたくないです。


信念と美学を持ち、
諦めない理由を持つ愛を

私は、ムスメズに魅せ続けている。


2017年の昨日のムスメズ🌹
次女がムチムチしてる笑。可愛い♥️
ママの出張に一緒に🌹

本当に忙しくて
一緒にいる時間が少なくて、出張に連れてって遊んでた時期。

もちろん、ベビーシッターさんにお願いして。

シッターさんさまさま時代も、
今も、変わらないのは、

私は幸せだし、
バカみたいに諦めるなんて、
バカみたいなことはしていないってこと。

愛に溢れた毎日が続いているということ🌹


私が表には絶対に見せない努力を、
1番知っているのは、もちろん、ムスメズです。

私は努力とも思っていないし、
ムスメズも小さな頃からずっと見ているから
努力とも思っていないと思うよ。

でも、「一般的」に言えば努力です。


私にとっては、

呼吸と努力は同じです。

わざわざ語ることでもない。

当たり前にしていることだから。

「努力したのに〜」とか言ってる人って

努力に特別感を持っているだけ。

そんなものは、努力とは呼ばない。


ただ、「努力した自分に酔いたい」だけ。



サポートしてくれたお金は、動画の編集など、 観てくれてる人がより楽しく学べることに使います!