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2010年05月11日(火)

体に気だるさを感じながら起き上がる。何となく体が重く鈍い。眠りが足りなかったんだろうか。いや、私にしてはそれなりに長い時間横になっていたはず。でも十分に眠り足りたという感がない。夢に魘されたという記憶もない。私は首を傾げる。
窓を開ける。重く暗い雲が一面に広がっている。こんな雲は久しぶりだ。私は思いながらそれをじっと見上げる。今にも雨粒が落ちてきそうな気配。風が少し吹いている。その風は十分に湿気を含んでおり。どおりで私の髪の毛の具合がおかしいわけだ。湿気を含んで何となく膨らんでいる感じがする。でも、もし雨が降るなら、植物たちにとっては恵みの雨だろう。このところ照り続けだったから、きっと喜ぶに違いない。そう思う。通りにはまだ人も車もなく。街路樹はしんしんとそこに立っており。若葉は空の色を映して僅かに灰色がかっている。何処もかしこも灰色。
しゃがみこんで、私は開き始めたベビーロマンティカの花を見つめる。明るい煉瓦色に濃い黄色をたっぷり混ぜたような、そんな色合い。香りは、私には殆ど分からない。分からないけれどきっと、本当は香りがあるんだろう。私は想像する。どんな香りだろう。何処か懐かしいような、それでいて軽やかな香りだったらいいな、と思う。昨日のうちに半分開いてきたから、きっと今日明日で満開になるんだろうと思う。小さめの、本当に小さめの花だ。マリリン・モンローやホワイトクリスマスに比べたら、え、と驚くほどに小さい。でも、その小ささがかわいらしい。こんなに濃厚な花だからこそ、小さく咲いてちょうどいい。そんな気がする。
その隣で、マリリン・モンローの蕾は、徐々に徐々に綻び始めている。こちらは薄いクリーム色の花弁で。ベビーロマンティカの厚めの花びらよりもずっと、薄い。でも開くと、この花びらは本当にたっぷりとした量感を湛えるのだ。その姿がもうじき見られると思うと、楽しみで楽しみで仕方がない。
そういえば、私は最初、マリリン・モンローという名前が好きになれなかった。花の形で選んだものの、どうしてこの花にマリリン・モンローなんて名前がついているんだろうと不思議に思っていた。だから最初のうち、あまりこの樹をかわいがることができなかった。でも、おかしなもので、マリリン・モンローの、精神科医との記録を読んでから、その見方が変わった。あぁそうだったのか、と、私は知らなさすぎたのだなぁと思った。そして去年、あの大きな大きな花を見てから、一層この樹がいとしくなった。まるでこちらのそうした心の動きを読んでいるかのように、この樹は育っていく。縦に、というより、横に育っていくのがちょっと可笑しい。
ホワイトクリスマスは相変わらずしんしんとしている。ちょっと私のことは放っておいてね、と言っているかのようだ。あまり見つめられたくない、と言っているのかもしれない。でも私は彼女が気になる。だから見つめてしまう。
パスカリたちは、今日もこじんまりまとまってそこに在り。紅い新芽をのぞかせている。私はその新芽に、指先でちょこんと触れてみる。紅色の新芽。まだまだ頼りない柔らかさがそこに在る。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹の、蕾を見やる。昨日私が指で粉を拭った、その痕がそのままに残っている。もちろんこれで病気が拭われたわけでもなく。きっとまた粉は現れる。分かっている。分かっているけれども。でもできるなら、開かせてやりたいのだ。できることなら。
そしてその間、名前をすっかり忘れてしまった、薔薇の樹が二本。こちらも今は小休止状態で、新芽の気配はあるものの、じっと黙ってそこに在る。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。昨日先がくねっと萎れた一本。水をやったのだが、遅かったんだろうか、まだ復活していない。私はだんだん心配になってくる。これは、早々に先を切ってやった方が、今後のためになるんじゃなかろうか。そういう気持ちになってくる。どうしたらいいんだろう。こういうとき、どうしてやるのが一番この子の為になるんだろう。この先っちょには、もう花芽がついており。だからできるなら切りたくないのだが。でも。こんなにくたっとしてしまっていて、水を遣っても元に戻らないなら、切ってやるべきなんじゃなかろうか。迷う。どうしよう。
もうじき雨が降りだすんだろう、そんな気配の空の下、ビル群が立ち並ぶ埋立地。高いビルの、上の方はすでに雲の中に隠れてしまっている。あの雲の中歩いたら、どんな感じがするんだろうな、と思う。もし娘と二人あの場所へ行ったなら、きっと娘は体中で踊り始めるに違いない。そんな気がする。
校庭は、昨日集っていた子供らの足跡でいっぱいだ。あの中に、娘の足跡もあるんだろうか。あるとしたらどこら辺に残っているんだろう。私はあちこち目をやる。もちろんそれが分かるわけもなく。そんなことは分かっているのだが。でも。この校庭のどこかに娘の足跡もあるのかと思うと、なんだかいとおしくなってくるから不思議なものだ。
校庭の周りに立つ樹木の緑も、ずいぶんと生い茂ってきた。今にもこもこと緑の森が現れるんだなと思うと、楽しみでならない。そう思った瞬間、飼育小屋から鶏の劈くような声が響いてきた。そういえばまだ娘が二年生だった頃、夏休みに飼育小屋の世話に行ったっけ。オスの鶏が、いばりくさっていて、メスたちを従えてこちらを威嚇してきた。それを板で抑えながら小屋の掃除をしたんだった。思い出すとちょっと笑える。
部屋に戻ると、こちらもがらがらと回し車の音が響いており。あの音はミルクだなと思いながら近づくと、やはりミルクがでっぷりとした体で一生懸命回し車を回しているところだった。おはようミルク。私は声を掛ける。ミルクは、餌くれるの?という顔で、こちらに近づいてくる。だから私は手が空っぽであることを身振りで示す。もちろんミルクはそんなことお構いなしだ。がしがしがし、と、扉の入り口のところを齧り始める。ミルクの場合、扉をちょっとでも開けると、自力で這い出してきてしまうから、私は扉は開けず、声を掛ける。もうちょっと待っててね。娘が起きたら相手してもらえるから、もうちょっと待っててね。
洗面台に向かい、顔を洗う。何となくくすんだ顔色。やっぱり何処か疲れが残っているのかもしれない、と思う。でもまぁそれはそれ、せっかく朝になったのだから、新しい気持ちで一日を過ごしたい。
私は目を閉じ、体の内奥に耳を澄ます。
胃の辺りに違和感を感じ、私はそれに従ってそこに会いにゆく。穴ぼこだ。穴ぼこは、じっとそこに固まって在った。
おはよう。私は声を掛ける。穴ぼこは、それでも体を固くしている。
どうしてそんなに体を固くしているの? あなたの何がそんなふうにさせているの? 私は尋ねてみる。それとも、これは私の今の生活の、何かに関係があるの?
そしてふと浮かぶもの。それは、私の中の、じんわりとした異物感だった。それはここ最近ずっと覚えているもので。言ってみればそれは、生活に対する不安、だった。
不安、というとちょっと大袈裟かもしれないが。でも、それ以外に今いい言葉が思いつかない。不安というか、何というか、まさに異物としか表現しようがない。
私が勉強を始めたことによって、収入が激減している。その現実が、ありありとそこに在った。激減したことによって、いろいろなところに不具合が出てきた。その不具合さ加減が、最近、とみに明らかになってきており。そうした現実が、私に圧し掛かってきているのだ。
期限は決めている。勉強するにしても、このチャンスは最後で、そしていつまで、と決めてはいる。決めてはいるが、それがちゃんと実を結ぶかどうかも定かではなく。だからこそ、不安になるのだ。こんなことをしていていいのか、大丈夫なのか、生活は成り立つのか、と。
あぁそうか、そうした私の感じが、穴ぼこに影響を与えているのかと、納得した。穴ぼこは、私のそうした感じをそのまま受け取って、今、体を固くして閉じているのだ、と。
また臨時の仕事を増やそうか。そのことは、以前から思っている。でも果たして自分の心と体のバランスが取れるのかと、私はそのことで躊躇していた。でも。
もう躊躇しているような場合じゃぁないのかもしれない。
私は思いながら、穴ぼこを見つめた。どうするのが一番いいんだろう。
しばらくそうして思いめぐらしながら、私は穴ぼこの傍らに座っていた。穴ぼこはもちろん何も言わない。言わないが、心配そうだった。私を気遣ってくれているのだな、と感じられた。
だからこそ私は、方向をはっきり定めなければいけないな、と思った。
穴ぼこさん、大丈夫、考えてみるから。ちょっと時間を頂戴。私は声を掛ける。そうして立ち上がり、手を振って、その場を後にする。

ステレオからはちょうど、George MichaelのHeal the painが流れ始め。私はお湯を沸かす。生姜茶を入れて、椅子に座る。まだミルクの、がしがしと扉を噛む音が響いている。その音をぼんやり聴きながら、私は今日のスケジュールをチェックする。そうだ、今日はお弁当を作らなくちゃいけない。そのことを思い出す。私は慌てて冷蔵庫をチェックし、とりあえず作れそうなメニューを考える。昼に戻ってくれば、間に合うだろうと予定を整理し、再び椅子に座る。
煙草を一本吸い終えたら、朝の仕事に取り掛かろう。躊躇ってなんていられない。

じゃぁね、それじゃぁね。二人してゴミを出し、そこで手を振って別れる。私はバス停へ。バスが遅れているらしい。バス停には長蛇の列。やってきたバスも混み混みで、まっすぐに立っているのも難儀なほど。
晴れていたなら自転車でびゅーんと走っていけるのに、と思いながら、電車に乗り換える。電車の駅三つ分。私はぼんやりと外を眺める。やがて現れた川は濃い深緑色をしており。ゆったりとゆったりと流れている。どんなにゆったりであろうと、流れ続ける川のエネルギーをそこに思う。
しっかりしなければ。私は窓の外過ぎてゆく川の姿を見やりながら自分に言ってみる。私の肩にはいろんなものが圧し掛かっている。それでも、潰れるわけにはいかないのだから。
さぁ一日が始まる。電車はホームに滑り込み、私は勢いよく駆け出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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