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映画「夜明けのすべて」に寄せて

雨がしとしと降っているし、何となく映画館へ足が向いた。お財布も中身寂しい状態なのだけれど気になる映画をひとつ、観ることにした。「夜明けのすべて」。

淡々と、でも丁寧に日常が紡がれてゆく、そういう映像と音響で、劇的なものなど何もない日々。それでもたとえば主人公の片方はひどいPMS(月経前症候群)を、もう片方はパニック障害を抱えている。自分を持て余し、時に絶望したり時に怒り狂ったりしながら、少しずつ互いの距離が近くなってゆく。「僕、三回に一回は藤沢さん(上白石萌音)を助けられると思うんですよね」とさらり言う山添君(村松北斗)の言葉がとても印象的に胸に刺さった。ああ、そうだよなぁ、すべてを理解し合うなんて人間同士土台無理、それでも、三回に一回は手を貸すことくらい、誰にもできることかもしれない、それで十分なのかもしれない、と、ふと思った。

結局二人はそれぞれの道を往く。山添君は会社に残り、藤沢さんは地元に帰る。でも、過ごした時間はとても愛おしく残り、これからの藤沢さんと山添君の足元をふわり照らす灯になり得るんだろう。

ひととの距離感って、いつだって難しい。近づきすぎて踏み込み過ぎて傷つけたり傷ついたり。かと思えばあと一歩が踏み出せないまま道は交差し遠く離れていったり。そもそも何も抱えていないひとなんて、いないよな、と。そんな当たり前のことを改めて思い出したり。誰もがきっとひとつやふたつの荷物を抱え込みながら、それでも黙々と今日を生きているんだ。それで、いいんだ。

声高に何かを叫ぶ映画でも、劇的に何かが起こる映画でもない。淡々と、さざ波が寄せては引いて、引いては寄せる。そういう映画だ。でも、何と言えばいいのだろう、こう、あなたはあなたのままで、今のあなたのままでいいんだよ、と、映画が向こう側からにっこり、ほほ笑んでくれているかのような、そんな、あたたかな温度のある映画だった。

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