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2010年05月07日(金)

窓を開けると、一面薄く雲に覆われ、くぐもった空が広がっている。風が思ったよりも強く吹いており、私は手首にはめていたゴムで急いで髪の毛を結わく。そのくらい風が強い。街路樹の若葉たちも、全員が全員、裏側を見せてひらめいている。裏側の緑は、表の緑色よりずっと白っぽい色。毛羽立っているから触るとざらざらする。街路樹の根元に植えられたポピーの花たちも、一斉に揺らいでいる。時に花が千切れそうになるほどの勢い。もちろん決して千切れないしなやかさを花たちは持っているのだが。ああした姿を眺めていると、私は清宮質文の葦の絵を思い出す。葦の茂みの中、小さな小さな赤子を抱いて立つヒトガタ。あの絵を思い出す。
ステレオからは小さくSecret GardenのElanが流れている。私はその音を耳の遠くで聴きながらしゃがみこむ。マリリン・モンローの茂みも風に揺れている。いつも天を向いている蕾も、今日はゆらゆらと揺れながらそこに在る。もう私の親指の頭ほどの大きさに膨らんできた。もし今これを包丁で二つに割ったなら、ぱつんっと弾ける音が聴こえてきそうなほど。きっと今、この内側にはぎっしりと花びらが詰まっているはず。触れる指先に、その重さがじわりと伝わってくる。
ベビーロマンティカもこれまた風に揺れている。揺れるほどの緑を湛えているということか。私はその様を眺めながら、ひとつも病葉のないこの力強い姿にほっとする。四つの蕾は、それぞれに揺れながらも力を漲らせており。私はそのひとつを指でつまんでみる。ぎっしりと花びらの詰まったそれは固く固く閉じており。今か今かとその時を待っているのが伝わってくる。
ホワイトクリスマスの大きな葉も、揺れている。ベビーロマンティカやマリリン・モンローと比較すると何分の一かしか茂っていない葉だけれど、その大きさゆえ存在感がある。濃暗緑色をしたその葉たち。
桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹は、風を避けて小さく縮こまっている。花芽はやはり白く粉を噴いており。本当はここで摘んでしまわなければならないのかもしれない。でも私には摘めない。もう少し、せめてもう少し。そう思ってしまう。こんなんだから病気がなかなか治らないんだろうか。申し訳なくなる。
パスカリも、僅かに揺れながらも、必死に体をちぢこませている。新芽はとりあえず粉が噴いてはいず。このまま開かせても大丈夫そうだ。私はほっとする。
玄関に回り、ラヴェンダーを見やる。びゅんびゅんと風に撓りながらそこに在るラヴェンダーたち。でも根っこは、しかと地中に張り巡らせているんだろう。びくともしない根元。私は何となく羨ましくなる。こんなふうに地面に足をしかとつけて立っていることができたら、どれほど力強く歩けることだろうと思って。そしてちょっと笑う。そんなこと羨ましく思ったってどうしようもないのに、と。
校庭の端っこ、プールはさざなみだっており。深く強く風にあわせて刻まれる紋様。まるで水中に何かが潜んでいるかのような、そんな様相。見上げれば雲はぐんぐんと動き流れ。止まることを知らないかのようだ。埋立地の高層ビル群が目の前に幾つか広がっている。そのビルの後ろ側でも、雲が渦巻いている。薄い灰色のものもあれば、濃い灰色のものもあり。入り混じり、重なり合いながらぐいぐいと流れ動いてゆく。
部屋に戻り、顔を洗う。水はずいぶんとぬるくなった。あの冬場の冷たい水がちょっと懐かしい。私は顔を洗うときほど、冷たい水を好む。ぬるいと、なんだか顔がだらけてきそうな感じがして、苦手なのだ。
誰かが回し車を回している。その気配を感じながら、私は目を閉じ、体の内奥に耳を澄ます。
私はざわざわが在た場所に出掛ける。そこでゆっくりと息を吸い込み、気配を感じ取ろうと試みる。
ざわざわはもうざわざわではなくなっており。肩に圧し掛かる、重たい鈍い痛みのようなものに変わっていた。
私はその鈍色の痛みを見つめながら、それが何かを発するのを待っている。
重い。
最初にそのことが浮かんだ。そりゃぁ重たいだろう。どれほどの思いがそこに詰まっているかしれないのだから。重いに違いない。
鈍色の痛みは、じっと黙ってそこに在った。しこっているような、痛みだった。しこっている。そう、しこっているのだ。解きほぐされない何かが、そこに在った。
その時、連鎖的に別の痛みが飛び込んできた。何だろう。私は振り返る。そこには、下腹部の、鋭い痛みがあった。でもこれらはまるで、連動しているようだった。だから私はそのままそこに座り、ただ感じるままにしてみる。
私の性の在り処が分からない。その痛みたちは、そのことを言っていた。
私は一瞬にして参ってしまった。どうしよう。そう思った。分からないのは、私も同じなのだ。いやむしろ、私は否定しているところが、在る。
痛みたちは、疼いていた。疼いて、懸命に何かを主張しようとしていた。私は少し慄きながら、それを眺めている。
私は果たして、女でよかったんだろうか。女に生まれてよかったんだろうか。間違いだったんじゃなかろうか。痛みたちは、まずそのことを謳っていた。女に生まれなければ、父母が惑うこともなかった。女に生まれなければ、あんな事件に遭うこともなかった。それはそうだ。でも。
でも。そう言ってしまって本当にいいんだろうか。私は問う。それでいいのか。
そうだ、女でなければ、私は娘を産むことはできなかった。女に生まれたから、それができたんじゃぁないのか。
痛みたちは、疼いていた。疼いて疼いて、泣いていた。女なんかに生まれたから、私はこんなに辛かった、と。
でも、そんなもの、取り替えようがない。どうしようもない。悔いたって、何にもならない。私は言ってみる。
だったらどうしておまえは女を誇らない? どうして誇りをもとうとしない? 逆に私は問われた。女であることを否定しているのは、おまえ自身じゃぁないか。
私は閉口した。確かにそうなのだ。誰よりも何よりも、私自身が、自分が女であることを今でさえ受け容れかねているところがあるのだ。それは、事実だ。
女であることを認めると、私はまるで、さらに弱くなるように思えるのだ。崩れていくように、思えてしまうのだ。どうしてだろう、どうしてなんだろう。
今女であることを受け容れたら、私は崩れてしまう。女でも男でもないところで、生きている方が楽で。だから私は、自分の性を蔑ろにしている。
痛みたちは言っていた。自分を受け容れろ、と。自分が何であるのか、そのことをしかと見ろ、と。
正直、見れない、と思った。私は崩れたくないから。これ以上弱くなりたくないから。今見ることはできない、と思った。
その思いが言っていないうちからもう伝わってしまったのだろう。痛みたちは、一瞬の沈黙の後、さめざめと泣きだした。それはまるで涙の川のように、私に伝わってきた。哀しい涙だった。
だから考えてみた。折り合いをつけるには、どうしたらいいんだろう。
少し時間をちょうだい。私は言ってみた。私になりに考えてみるから、少し時間をちょうだい。痛みたちは、じっと私を見つめていた。黙ったまま、見つめていた。
また来るね。そう言って私は立ち上がった。また必ず来るから。待っていてね。そう言って、その場を後にした。
目を開けても、痛みはそこに在った。じんじんと痛かった。私はその痛みを手で撫ぜてみた。なんだかこちらも泣けてきそうな気がした。どうしていいか分からなかった。
女だからこそ、子供を産めた。そのことは、分かった。そのことには感謝している。でも何故だろう。諸手を挙げて、喜ぶことができない。そのことには感謝している、と、限定でしか言えない。とてもじゃないけど言えない。
鏡の中、映る、ぼんやりした自分の顔を眺めながら、ふと思い出す。髪をおろした私を見て、友人が、女っぽいんだねぇ、本当は、と、声を上げたことを。それが女友達だったから、私はこそばゆさを感じながらもありがとうと言えた。でもあれが男友達だったら、とてもそんな反応はできなかった。途端に髪を結わいただろう。
自分の中に女という要素が残っている。そのことだけで私はすでに罪悪感を覚えている。汚らわしささえ覚える。そう、汚らわしいのだ。罪悪感というよりも、汚らわしい。
こんなにも嫌悪する自分の性。私は自分自身、戸惑っている。

ステレオからは、Divertimentoが流れ始める。軽やかなその旋律に、私はふと救われるものを感じる。重苦しい何かからすっと前に押し出される、そんな気配。
お湯を沸かし、お茶を入れる。今日は授業だから、授業にもっていく水筒にも生姜茶を入れる。今日は怒涛の授業だ。とても居眠りなんてしている暇はない。そんなことをしたらすべてがおじゃんになる。そのくらい重要な授業だ。だからお茶も濃い目に入れておくことにする。
そうして弁当も一緒に作る。娘がもやしを食べたいと突然言い出した。そこで野菜炒めを作ることにする。もやしと韮とベーコン。塩胡椒で味付けし、まだ固めのうちに弁当に盛り付ける。玉子焼きも一緒に入れる。あとはプチトマトで彩をつけて、おにぎりはしそ昆布で。

ママ、今年から朝練に参加しないといけないんだけどさ、どれに参加すればいいと思う? どれって、自分のやりたいのにしなよ。うーん、じゃぁバスケかなぁ。バスケかぁ。ママはピアノやってたから球技って殆どできなかったの、球技って楽しいっていうから、いいんじゃない? なんでピアノやってると球技できないの? 突き指とかしたら大変だから、球技はやっちゃいけなかったの。えー、かわいそう! ははは。まぁそれはママが選んだことだから。そうなんだぁ、じゃ、私、バスケにするっ。うんうん。でもね、私、試合には出たくないの。え、そうなの? うん、試合、キライ。どうして? 試合になるとみんな、ええかっこしいになるから! えー、そうなの? うん。
ママって、好きな人の前で、かっこつける? ん? かっこつける、つけない、どっち? んー、かっこつけてもしょうがない気がするけど…。私ね、かっこつけないの。それはどうして? だって、ばれるじゃん、どうせ。それなら最初からわかってる方がいいじゃん。あぁなるほどね。うんうん。そうだよね。でもさ、女ってみんな、変わるよね、好きな人の前とかになると、いじいじするっていうかさ、小さくなるっていうかさ、なんかそんなふうになって、かわいこぶりっこになるの。あれ、私、嫌なんだよね。ははは。まぁそういう子もいるわな。ああいうの見てると、何やってんの、と思う。はっはっは。あんたの正体、私、知ってるよって突っ込みたくなる。わはははは。まぁそれはやめときな。そりゃ、やんないけどサ!

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。雲がぐいぐい動いていくのが空を見ていると分かる。私は迷った末、傘を持って玄関を出る。
やって来たバスに飛び乗り、駅へ。傘を持った制服を着た子供らが、大きなランドセルを背負って歩いている。その後について私も歩く。
駅前の喫煙コーナーはぎゅうぎゅうづめで。あんなところで煙草を吸っても、全然味わえないだろうにといつも思う。もうどうしようもないときは仕方なく私も吸うけれど、それでなければ入りたくない。
橋を渡るところで立ち止まる。ちょうど川の中ほどに、光が降りているところで。濁った緑色の川の水は、止まることなく流れ続け。
さぁ今日も一日が始まる。私は勢いよく、歩き出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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