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2010年05月15日(土)

起き上がると、窓の外が明るい。窓を開けてベランダに出る。くっきりと陰影のついた景色が目の前に広がっている。粉っぽさのない、澄んだ景色だ。私は大きく息を吸い込む。ひんやりした澄んだ空気が、胸いっぱいに広がるのがありありと感じられる。
風はそよそよと流れており。街路樹の葉たちも、静かに止まっている。街路樹の足元のポピーも、今朝はしんと静まり返っており。どこもかしこもが、しんしんとしている。耳を澄ますと、その張り詰めた静けさの中、きぃーんという音が響いてきそうな気さえする。
しゃがみこんで、ベビーロマンティカを見つめる。今咲いている花は二つ。ぽっくり、ぽっくりと丸い花が咲いている。明るい煉瓦色をほんのり残した濃い黄色。見ているだけでこちらの胸の中があたたかくなってくるような、そんな色合い。ベビーロマンティカに病葉は見られない。今のところ、蕾の首のところに、白い粉が噴いている、それのみ。このままでいってくれると嬉しいのだけれども。今日帰ってきたらこの二つの花も切り花にしてやろう。まだ残りの蕾も待っている。
マリリン・モンローの蕾は綻んではいるのだが。今のところ、綻んでいる、というだけで、まだまだ開くのには時間がかかりそうな気配。芯が固くまだ閉じている。薄いクリーム色のはずが、今では濃いクリーム色になってしまった。この花の色の違いというのは、どこから生じてくるのだろう。何が違うのだろう。私が育て続けているというのに、違いが生じる。それが、自分でよく分かっていない。
ホワイトクリスマスはしんしんとそこに在り。でも何だろう、悠然としているから、私もあまり焦ることがない。時々心配になるものの、でも、どこかで大丈夫だろうと信じていることができる。そんな安心感が在る。
パスカリの病葉を昨日摘んだばかりなのだが、また新たに、小さな顔を出したばかりの新芽が粉を噴いている。まだ摘めるほどの大きさでもない。どうしよう。鋏で切ろうか。一瞬迷ったが、しばらくそのままにしておくことにする。それにしても、この違い。ベビーロマンティカやマリリン・モンローの勢いとの違い。それは呆然とするほど。
桃色の、ぼんぼりのような花の樹の蕾。またひとまわり、大きく膨らんでいる。私は今朝も、彼女を拭う。拭ったからとて病気が治るわけじゃないなんてことは、百も承知で。今のところ他に花芽の気配はなく。だからこそ、これを何とか咲かせてやりたいと思うのだ。
玄関に回り、ラヴェンダーを覗き込む。少し復活したかな、と私はまだ垂れている葉に触れてみる。少なくとも昨日よりは復活したかもしれない。でも。昨日母に言われた。怪しいと思うなら、掘り返してごらんなさい、もしかしたらまた幼虫に根を食われているかもしれないわよ。確かにそうだ。今根元を指で掴んで揺らしてみても、抜けてくる気配はないが、でも、この状態は確かに怪しい。今日帰宅したら、早速掘り返してみようか。いや、それはできない。今デージーが芽吹いている最中だ。それを全部台無しにしてしまうことになる。私は頭を抱える。さて、どうしたもんだろう。このままラヴェンダーを放置したくはないが。でも。デージーはどうする。
母の言葉が頭の中くわんくわんと回る。しかし。今掘り返したらすべての芽が駄目になってしまう。それはやっぱりできない。私は、掘り返すのは諦めて、さらに様子をうかがうことに決める。あぁこんなことになるなら、ラヴェンダーのプランターに種を撒くんじゃなかった。今更後悔しても、もう遅い。
もう一方のラヴェンダーの枝は元気で。ちょっと斜めに立ってはいるものの、それは最初私が挿したその挿し方が多分斜めになっていたというだけだと思われ。私は指先で枝を軽く弾いてみる。とんっという見えない音がして、枝は揺れ、でも、ちゃんと元の位置に戻ってくる。あちこちから新芽を芽吹かせ、それでもちゃんと立っている。
校庭の足跡を眺めながら、ふと思う。昨日は学校は避難訓練で。連絡網が回ってきて親が子供を迎えに行った。急いで私が行くと、ちょっと早すぎない?と娘に笑われた。その帰り道、学童の指導員さんとすれ違う。お久しぶりですと挨拶しながら思い出す。長いこと世話になったなぁと。思い返せば学童にお願いしていた頃というのは、私は全く娘を迎えに出ることなどできず、ひたすら指導員さん頼みだった。あの頃学童というものが存在しなかったら、私は娘を無事に育てることなんて、きっとできなかった。娘が被害に遭った時も、親身に相談に乗ってくれたのは指導員さんだった。なかなか人の輪に溶け込めない私を、それでも行事のたび引っ張り出してくれて、何かと気に掛けてくれたのは、指導員さんたちだった。私ががりがりに痩せて倒れんばかりの時も、じっと見守ってくれていた。そうして娘にたくさんの遊びを教えてくれた。私が教えられないことを、たくさん。本当に、何と感謝したらいいのか分からない。もし今、卒業式の後、一番に何処へ行きたいかと聞かれたら、それは多分、学童だ。学童に、お礼を言いに行きたい。そう思う。
埋立地に立つ高層ビル群の向こうから、朝の陽光がくっきりと伸びてくる。太陽の位置も、冬とは全く異なる場所。それは自然なことなのだろうが、こうやって見るとその不思議さをまざまざと思う。地球は回っている。その、当たり前のことを、改めて、思う。
昨日は授業だった。マイクロカウンセリングの実習一回目。意志の反映技法と指示とを扱った。それは、とても簡単なものなのだが、簡単だからこそ、その人その人の味が露になるものだった。やってみて、そのことを実感した。たとえば意味の反映でも、カウンセラー役の人が何処に焦点を当てるか、それが、人によって全く異なる。自分ならここに当てるだろうと思うと、その人は全く異なる視点からその人の話を聴いており。あぁこうやって違いが生じてくるのか、と、痛感した。同じ技法を同じだけ学んでも、その人がもともと持っているものによって、その人がどう生きてきたか、生活の中でいつもどんな判断をするのかなどによって、全く進め方が異なってくる。人間性が反映されるというのはこのことなのか、と、改めて実感した。毎日毎日が、いや、生きているというそのこと自体がもうすでに勉強なのだということを、痛いほど感じた。
娘を迎えに行った後、そのまま私はバスに乗る。実家に行くことになっていた。母の今後の病院の予定を聴くのと、それから母が買ったパソコンを設定するのと。その二つの用事で、私は電車に揺られ、実家に向かう。駅から実家へ行くまでの、大通りは、ずいぶんと様変わりした。私がいた頃、この辺りはまだまだ小さな住宅地で、環状線もまだあくまで予定地であり。がらんとした雰囲気だった。それが今はどうだろう。あちこちにマンションが立ち並び、住宅も建て替えられて新しいものばかり。それも二世帯住宅が多く在り。駅から徒歩約二十分。長い長い坂道を上り、公園の脇を通って実家へ。
実家の庭にはたくさんの花が今咲いており。ラヴェンダー、薔薇、ベゴニア、梅の実も今大きく育っているところで。数え切れない花が溢れ返っており。その中に母がいた。庭仕事をしていたらしい。庭に立つ母を見るのは久しぶりだ。私は少し離れて、しばしその様を眺める。病に倒れ、長いこと庭に立つこともできなかった。母の庭が荒れていたあの時期。今もまだ母の庭は、母の手が届かぬところが残ってはいるものの、でも、あの荒れていた時期とは全く様相が異なる。あぁ、母だな、と、そう思った。そうやって庭で自分の愛するものを愛でている、それが、母だ。
声を掛け、部屋に入る。新品のパソコンが、食堂のテーブルに載っていた。母に電源を入れてもらい、説明する。説明していると、母ではなく父が次々質問を飛ばしてくる。苦虫を潰したような顔をする母。私はその父と母の間、挟まれながら、あれやこれや説明を続ける。
父母と三人でこんなふうに時間を過ごすのはどのくらいぶりだろう。覚えていない。覚えていないほど、久しぶりだった。三人とも、それぞれに、年を重ねているんだろうけれども、そういうとき、不思議と年を忘れるものなのだな、と思った。私は父母の娘であり、父母は間違いなく私の父母であり。じじでもばばでもなく父母であり。
長い時間がかかったな、と思う。たった数時間であっても、私たちはこうした時を持つことが、ずっとできなかった。食卓を共に囲むことさえ、できなかった。食事は、食べ物がいくらあたたかくても、食事は、冷たい食事だった。会話も冷え切って、いや、それどころかいつでも張り詰めて、いつ破裂するか分からない、いつ破裂してもおかしくはない、そういうところをいつも歩いていた。今こうした時間が持てる、そのことに、私は幸せを覚える。恵まれているな、と思う。確かにここに至るまでの道程は長かった。長かったけれど。でも、今も父も母も私も生きており、生きて、こうしてテーブルを囲んでお茶を飲んでいる。それができるという幸せ。他に表現する言葉など見当たらない。
帰り道、ひとり電車に揺られながら、思う。相手が生きていること、生きてこの心に在るということの幸せを、思う。もちろん、生きているからこそだからこそ切ないことも多々あるけれども、それでも。生きているからこそ再び巡り会える、それは幸せ以外の何者でも、ない。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。ステレオからは、Gates of dawnが流れ始める。それを聴きながら、私は時計を確かめる。娘に六時に起こして欲しいと言われたっけ。そろそろその時刻だ。
一本の煙草に火をつけ、深く息を吸い込んでから、もう一度窓際に立つ。向こうの丘の上に立つ団地に、今、燦々と陽光が降り注いでいる。今日は陽射しが思った以上に強い。そろそろ車が通りを行き交い始める頃。バスも走り出す。

ママ、ココア作ってあげようか。え、ココア? うん。ココアの粉、ない? あ、今日じじから貰ってきた、ほら、ココアの粉。よかったぁ、これで家庭科の宿題できる! 何それ? 家庭科の宿題でね、親にココアか紅茶か麦茶を入れてあげるっていうやつなの。何じゃそりゃ。知らない、宿題なんだもん。そんなのが宿題になるのかぁ、変わってるなぁ。はい、できた。飲んで! ん、ちょっと甘いね。ちゃんとここに感想書いてね。え、そんなのもあるの? うん。でないと宿題の証明にならない。分かった分かった。ママ、これ何て読むの? 美味しいは、「おいしい」って読むんだよ。変な字! 美しい味、おいしい、ってことだね。漢字って変だよね。何がそんなに変なの? 何でも意味くっつければいいと思ってる。ははは、そういうことかぁ、そうかなぁ、ママは逆に面白いと思うけど。そうかなぁ、全然面白くないよ。画数多いから書くの面倒くさいし。ひらがながいい。ひらがなはひらがなでママは好きだけど、漢字も好きだよ。漢字でしか伝わらない雰囲気とかあるじゃない。そうかなぁ、だから日本語って面倒なんだね。うーん、ひらがな、カタカナ、漢字、いろいろあるもんね。覚えるのは確かに面倒かもしれないね。でも、ある程度使えれば、それだけで世界は広がるよ。そうかなぁ。私、本読むのは最近好きになったけど、漢字はいらないと思うよ。ははは。それでよく辞書読もうなんて思ったね。いや、辞書めっこってあるじゃん、あれ見ててさ、面白い言葉そんなに辞書に載ってるのかなって思って。たくさん載ってるよ、実際。暇なとき読んでごらん。あ、睡眠薬代わりにもなるかな。何それ? 眠れないとき辞書開いて眺めてると、ママはだんだん眠くなる。何それー?! なんか読むのが面倒になってきて、もういいやって眠る気になる。ママって眠れないの? まぁ眠れないときは全然自力では眠れない。それってどうやったら分かるの? うーん、その時になってみないと分からない。なんで眠れなくなるんだろ、私、いつでも眠れるよ。ははは、それが健康な証拠なんだよ、いいことだ。でもママも、昔よりはずっと眠れるようになったよ。ふーん。あなたがまだ赤ちゃんだった頃は、全然眠れなかった。一日、二、三時間横になれればいい方だった。たったそれだけ? あ、でもね、その頃はさ、あなたがしょっちゅう泣いてたから、抱っこして泣き止ませるのには、睡眠時間なんてないに等しかったからね、眠れなくてちょうどよかったんだよ。ふーん。なんか、納得いかないけど。ははは、そんなもんだ。

じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。娘はバスへ、私は自転車へ。
坂を下って信号を渡り、公園へ。大きく茂る緑。鳥たちの声が響いている。池は今陽光を受けてきらきらと輝いており。陰影の濃い景色が、そこに広がっていた。闇は闇、光は光として、それぞれがきらきらと輝いていた。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。埋立地は思ったより風が強く流れており。銀杏の葉がびゅうびゅう風になびいている。その脇を走り、さらに真っ直ぐ走って海へ。
濃紺色の、いや、少し緑がかった海の色がそこに広がっていた。真っ白な波飛沫が弾ける瞬間、波の音もひときわ大きく響くのだった。
さぁ今日も一日が始まる。私は自転車に跨り、再び走り出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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