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2010年04月13日(火)

ついさっきまで雨が降っていたのだろう。アスファルトの色が艶めいている。大気の中にまだ雨の気配が残っており。冷たいながらも、何処かぬるい。まだ空は暗いが、天気予報では、今日は晴れると言っていた。気温も高くなると。久しぶりの洗濯日和になってくれるといいのだけれども。私は空を見上げながら思う。
ゴロが起きている。後ろ足で立って、こちらを見上げている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロは鼻をひくひくさせながら、扉のところに近づいてくる。餌箱が空っぽになっている。おかしいな、昨夜ちゃんと娘があげたはずなのに。そう思いながらゴロのほっぺたを見ると、思いっきり膨らんでおり。なるほど、今まさにそのほっぺたの中に、全部の餌が入っているということね、と納得する。そのうちにココアまで出てきた。ココアも餌箱が空になっているのをアピールしながら、こちらに近寄ってくる。困った。さて。ここで餌をやっていいものなのだろうか。私はとりあえず、私の手は空っぽだよ、という仕草をしてみる。納得しないふたり。私は苦笑しながら、ほんのひとつまみだけ、とうもろこしやひまわりの種を餌箱に入れてやる。ミルクにだけあげないのは申し訳ないと、ミルクの餌箱にも入れてやると、その音を聴き付けて、ばっと小屋から出てくるミルク。思わず笑ってしまう。
イフェイオンにもムスカリの葉にも、雨粒が残っている。きらきらと葉の上で輝く雨粒は、世界中の鏡を集めても足りないくらいに透明に輝いており。ちょうどベランダから見える街路樹の萌葉を映し出す。この雨で、ぐんと新芽が伸びた。萌黄色のその葉はやわらかく輝いて、まさにこれからという具合。私は手を伸ばして、そっと触れてみる。ほんのちょっとの力で他愛なく折れてしまいそうな、その柔らかさ。
雨のおかげで若葉は伸びたが、うどん粉病の具合がひどい。パスカリにも粉の噴いた葉が見られる。私は大急ぎで見えるもの全部を摘んでゆく。左手にいっぱいになるほど在った。これを放っておいたらとんでもないことになるなぁと、左手を握り締めながら思う。マリリン・モンローの葉にも一枚、粉のついたものを見つける。とうとうきたか、という感じ。でも、新芽じゃない、もうすでに在った葉に白い点がついたという具合だから、まだいけるはず。マリリン・モンローの強さを信じよう。
顔を洗い、鏡の中を覗く。昨日は仕事を切り上げて早めに横になった。にもかかわらず、うまく眠れなかった。それが影響しているのだろう、目元がだるい。もう一度水でばしゃばしゃと洗ってみる。その後少しマッサージして。これでだめなら仕方がない、と諦める。そうして目を閉じ、自分の内奥に耳を傾ける。
もやもやは、少し薄くなって、でもまだそこに在った。でも何だろう、緊張している。そんな気がする。あぁそうか、叔父の手術は明日だ、そのことを思い出す。二度目の手術が明日なのだった。どのくらい時間がかかるのだろう。その結果はどうなるのだろう。それらすべてが気にかかる。でも、私がじたばたしたからって何も始まらないことも、分かっている。
今まで見送ってきた、多くの人たちの顔が、走馬灯のように甦る。病気で亡くなった人もいれば、自ら命を断った人もいる。自然に死を迎えた人の、なんと少ないことか。
ねぇあなたは、今、一番私に何をしてほしいの? 私は尋ねてみる。もやもやは、まだ何も言わない。言わないが、その代わりなのかもしれない、微かに揺らぐ。もやもやが、揺らぐ。
多分、もやもやも、分からないのだ。そう思った。私にどうして欲しいのかは分からない。分からないけれど、ある種の虞を抱いていて、だから私に気づいて欲しかったのだと思う。
ねぇ、私はあなたを、一旦包んでちょうどいいところに置いておきたいと思うのだけれども、それでいいかな? 私は尋ねてみる。もやもやは、何も言わないが、それを否定も、しなかった。
だから私は、それを一旦、仕舞うことにした。私の右肩の、鎖骨の下あたりに。締まっておくことにした。
それから私は、しばらく目を閉じ、私の中にあるいやな感じを見つける。それはちょっと木の実のように固く、しこっていて、とげとげしていた。
あなたは私に何を伝えようとしているの? 私は尋ねてみる。私の手のひらに乗せると、ちょうどいい大きさのそれは、でも、ちくちくと私の手のひらを刺すのだった。
あぁ、と思い至る。私は自分が利用されているように思っているのだ、と気づいた。いいように利用されて、振り回されている、と。
それがちょっと今、たまらないのだな、と、思った。
突然連絡をよこす人たち。自分の状態だけ、垂れ流すかのようにただひたすら話し、一方的に話して、去っていく。自分に必要なときだけ、こちらに声を掛ける。こちらの具合など、全く無視で。そしてこちらの心の中を引っ掻き回して、そうして去ってゆく。
聞き流しておけば、それでいいのかもしれない。やり過ごしておけば、それでいいのかもしれない。でも何だろう、昔ほど、以前ほど、そうできない自分がいることに、気づいた。時間がもったいないのだ。
自分にとってその相手が、必要な相手なら、いい。必要と思えないほどもう遠く離れた存在だというのに、向こうの都合でこちらを引っ掻き回されるのは、どうなんだろう、と思ってしまうのだ。
母の言葉を借りれば、人生には限りがあるということを、私ももう、嫌というほど感じる年頃になってきた。だからかもしれない。同時に、あぁ自分は心が狭いなぁとも思う。
どちらであっても、そういうことに関わっている気力は、自分にはないのだなということを、痛感する。
自分が本当に大切なものは何なのか、それを見定めて、それをこそ大切に育んでいくことの方が、今の私には、大切なのだ。
そういえば。あの頃私は、すべてが大切に思えていた。自分が関わるすべてが、かけがえのないものなのだと思っていた。そこに優劣などなく、すべてが平等に大切なのだ、と。順序をつけるなんて、とんでもないとさえ思っていた。
孤独だったんだと思う。或る意味、孤独だったんだな、と思う。だから何もかもを追いかけていた。追って縋って、必死だった。
でも今、私は或る意味での孤独も好む。そういう時間がなければ、やっていけないとさえ思う。そういう自分に、変化してきている。
だから、関係に縋りつくことまでは、したくないし、もうする余力も、ない。すべてが平等に大切だとなんて、だからもう、思えない。私には大切にしたいものは数えるほどしかなくて。だからそれらをこそ、愛し慈しんでいたいと思う。
うまく言えないが、私は多分、あの頃とはもう、違うのだと思う。
まだ、うまく言葉にすることができないが、私は、自分と自分の大切なものをこそ大事にしていくべきであって、そうでないものにまで、自分のエネルギーを費やす必要はもう、ない。
単に心が狭いのかもしれないけれども、それでも、私は有限であって、無限じゃぁない。私の心には許容量があって、無限じゃぁない。何でもかんでも背負い込んでいたら、私は歩いてはいけない。そのことを、私はもう、いい加減、しかと認めるべきだ。
私にはできない、と、言えるようになれたら。
あぁそうか、このちくちくは、そういうことを言いたかったのか、と、思い至る。
そう思い至ったら、ちくちくはもう、ちくちくじゃぁなくなった。私の手のひらを刺してくるものじゃぁなくなった。何というかこう、丸くなって。まさに私の手のひらの中、しこりになった。
大丈夫だ、と思った。私は私の限界を知れば知るほど、きっと或る意味で自由になるんだな、と思った。まだそこに到達するには、遠い道のりがあるけれども、それでも。私にできることと、できないことと。しっかりわきまわえれば、私はさらに自由になれる、と。そう思う。
しこりを私は一旦、胸の奥にしまうことにした。そうやって、もやもやもしこりも片付けると、胸の辺りに風が吹くのが分かった。すっとした空間が、そこに開けた。その分私は、自分で自分を自由にする空間をもつことができたということでもあった。私はしばらくその空間を味わい、また来るねと挨拶して、その場を去ることにした。
テーブルの上、水切りしたばかりの山百合とガーベラとが咲いている。もうだいぶ花びらの勢いは弱くなってきているけれど、もうしばらくもつだろう。私はお湯を沸かしながら、もう一度ベランダに出て、今度は挿し木だけ集めたプランターを見やる。友人から貰った白薔薇の挿し木は、順調に芽を膨らましているところで。このまま芽が出れば、一段階はクリアだな、と、楽しみにしている。他の、名前も忘れてしまった、どんな色の花が咲くのかも分からないものたちも、それぞれ新芽を湛えており。さて、ここからどれだけ枝葉を伸ばしてくれるのだろう。

娘がレギンスが欲しい欲しいとのたまっている。試しに、私の七分丈のレギンスを、手渡してみる。彼女が履くと十分丈なのだが、それでも履けないことはない、というか、結構いい具合かもしれない。「私って足が太いんだよねー! でも太いおかげで得した、これ、頂戴ね!」娘がのたまう。私は、どもりながら、い、いいよ、と言う。
本当に、いいんだろうか。娘よ、それがちょうどいいってことは、ママの足に近づいているってことで。それをそんなに喜んで認めていいのか、おい。心の中、結構焦る母であるのだが、娘はそんなこと、関係ないらしい。
それにしても。太さはまぁ置いといて、娘の足は本当に真っ直ぐだ。去年骨折して、一時期足が外向きになって大変だったが、でも今はもう、真っ直ぐだ。これは幼い頃バレエをしていたせいなのかもしれないが。私の足とは違う。正直ちょっと、羨ましい。足が真っ直ぐというだけで、すっとして見える。
そういえば胸も、少し膨らんできた。まだブラジャーが必要なまでにはいかないが、あのぺったんこの幼児体型に、ぷくん、と、胸が。なんだか不思議な感じがする。この娘を産んだのは確かに自分なのだが。何処か遥か彼方から、彼女はやってきて、いきなり年頃になっている、そんな気がする。
その異星人は、徐々に反抗期にさしかかっているらしく。最近口答えがはっきりしてきた。おお、こんなことも言えるようになったのか、と思うことしきり。面白がってはいけないと思いつつ、でもやっぱり面白い。まだまだ反抗期はこれからと知りつつも、結構楽しみでならない。どれだけ荒れ狂うのかな、と、それが楽しみ。私はもうこれでもかというほど荒れ狂ったのだから、この子も負けてはいないんだろうな、と、そういう意味で、覚悟はしている。

じゃぁね、それじゃぁね、手を振って別れる。ドアを開けると、目の前は光の洪水。私は思わず手を翳す。世界が光ってる。そんな感じがする。まだ残る雨粒全部が、輝いて。
自転車に乗り、坂を下る。公園の桜はこの雨ですべて散り落ちたようだ。その代わり、葉がぐんと伸びた。この前まで薄桃色の洪水だったところが、今萌黄色の洪水だ。
郵便ポストに郵便を投げ込み、大通りを渡り、埋立地へ。
銀杏が新芽を噴き出した。光を受けて輝くその新芽は、まさに萌黄色。今飛び出してきたばかりの勢いでそこに在る。あぁ、若葉の季節なのだと、改めて思う。緑が目に沁みる。
信号が青に変わる。私は思い切りペダルを漕ぐ。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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