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2010年04月02日(金)

夜半に電話で眠りを邪魔され、それから再び寝入ることができなかった。迷惑至極な電話だった。こういうとき、電話というものを恨みたくなる。こんな便利な機器が発明されなければ、私の眠りは妨げられることはなかったのに、なんて思う。自分の都合だけで掛けて来て、自分の言い分だけ言って切る、という電話ほど、感じの悪いものはない。電話を掛けるとき少しでも、相手のことを思いやるという気持ちが沸かないのだろうか。私には理解がしづらい。
不愉快な気分を引きずったまま、そうして朝を迎えることが、もっと嫌だった。何とか気分転換の方法はないか、探してみる。だか頭の中はそれに捕えられており。全くもって厭な気分だ。
それでも私は窓を半分開ける。半分、というのは、あまりに風が強くて、それしか開けられないから。何なんだ、この風は、と思うほどに強い。あまりに強くて、物干し竿が落ちたくらいだ。強く、ぬるい風がびゅうびゅうびゅうびゅう吹いている。私の髪の毛は瞬く間に嬲り上げられる。でも、目を閉じて、嬲られるままにしていると、何となく、気持ちが落ち着いてくる。自分にとって害悪にしかならない人との縁を持ち続ける意味はあるだろうか。正直、もはや、ない気がする。昨日の電話で、それは決定的になった気がする。私は基本自分から人との縁を切ろうとは思わない性質だが。なんだかもう、いい、という気がしている。そう思ったら、少し、楽になった。あぁ私はもう、手放していいんだと思ったら、少し楽になった。
目を開けると、イフェイオンがこれでもかというほど風に嬲られている姿が映る。支える術もないから、私はただそれを見守るのみ。イフェイオンを見つめながらも、私は今、自分が思ったことを反芻している。私が私の心の中でその縁を切る。その意味を、考えている。
雨雲が、びゅんびゅんと空を往く。まさに、空を駆け巡っているといっていいような様相。今に空全体が雨雲に覆われるのだろう。そんな気がする。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中覗くと、すっかり疲れ果てた顔が映っている。あぁだめだこりゃ、と私は笑ってしまった。あぁ、彼女の件に関して、私はもう、気分が悪いというだけじゃぁないんだなぁと痛感してしまった。限界だ、それを知った。私は改めて、反芻する、縁を切る、ということ。自分がぼろぼろになるんじゃぁ意味がないのだ。
人との縁というのは、授かりもの、というような気がする。大事な大事な授かりもの。だからこそ、そう簡単には切らない。何年も保留しているものももちろんあるけれど、でもその緒もどこかに繋がっていると思えば、こちらから手放しはしない。そういうものだと私は思っている。でも。
今回はもう別だ、と思った。
そうして気持ちを切り替え、自分の内奥に目を向ける。耳を澄ます。穴ぼこさん、おはよう。私は声を掛けてみる。穴ぼこは今朝も眠っているようで。とくん、とくんと脈打つ姿がそこに在る。母に拒絶された瞬間に空いた穴ぼこだった。あんたさえ、あんたなんか、と言われたその言葉によって、繰り返されるそうした言葉によって、空いてきた穴ぼこだった。穴ぼこが声を出して語ることはないけれども、私にはそれが、ありありと伝わってきていた。今ならその言葉の意味を、母の側に立って捉えることができるけれども、あの幼かった頃の私には、それができなかった。自分を全否定されたのと同じだと思えた。だから私はこの穴の中に、入って隠れて、いなくなってしまいたいと願ったのだ。だからこその、この、底の見えない深い穴なのだ。ごめんね、私は彼女に言ってみる。守ってあげられなくてごめんね。あの頃の私は、自分が立つのが精一杯で、あなたを省みてあげることができなかった。そしてあなたにだけ、荷を負わせた。だからあなたはこんなふうになっちゃったんだよね。ごめんね、と。穴ぼこが一瞬、ざわっと動いた気がした。でもそれは一瞬で。一瞬の後には、またとくんとくんと脈打つだけの、遥かなる穴ぼこがそこに、在るのだった。
また来るね、と挨拶し、私はその場を離れる。そして今度は「サミシイ」に会いにゆく。「サミシイ」は昨日姿を明らかにしてから、少し、落ち着いたようだ。もう見えてしまったのね、というような具合。柔らかい砂の上、横たわり、半ば砂に埋もれた姿の「サミシイ」は、相変わらずこちらをじっと見つめている。だから私も見つめ返す。私の位置からじっと、ただ見つめ返す。私の中で幼い頃分裂した、その片割れだということは、もう分かっている。私の片割れなのだ。この「サミシイ」は。そう思う。私が必死に、父母の望む姿になろうと足掻いているときに、置き去りにした、私の中にあったおとなしい穏やかな子。私と比べると、少し甘えん坊なところがあったのかもしれない。そう、父母に甘えたかった。ただ笑い合いたかった。他愛ないおしゃべりがしたかった。私はこの子を置き去りにすることで、この子のことを守っているつもりだったのだ。でもいつの間にかこの子の存在を忘れてしまった。そうして過ごしてきてしまった。その間にこの子は、置き去りにされたと思うようになってしまった。守られている、のではなく。それは間違いなく、私のしたことだった。ここに閉じ込められて、この子は窓もないこの空間で、ただひとりずっと、いたんだと思うと、たまらない思いがした。
でも大丈夫、もう気がついたからね、思い出したからね、だから、また来るよ、私はそう言って、立ち上がる。「サミシイ」は相変わらず、こちらをじっと見ていた。そう言われても、困る、簡単に信じることなど、もうできない、というような表情だった。だから私は、それも分かっているよ、と微笑み返す。だからまた来るね。そう言って、目を開ける。
昨夜水切りした白薔薇は、また少し元気を取り戻したようで。でももう開かせた花びらを支えているのが重たいといった風情でもあり。私は指でその花弁をなぞる。もう少し、咲いていてね、と声を掛ける。その隣で、ガーベラたちが凛々と咲いている。まるで白薔薇にエネルギーを送っているかのような勢いだ。私はその姿に励まされる。
お湯を沸かし、お茶を入れる。オレンジスパイシーなどという名前のついたハーブティー。先日友人が分けてくれたのが、とてもおいしかったので買ってみた。多分強い香りがしているのだろう、それを口に含み、口の中転がしながら思う。匂いをもうちょっと感じることができたらなぁ、と。
椅子に座り、支度を始める。さぁ朝の一仕事。

ママぁ、ココアに噛まれた! ありゃまぁ、珍しい。大丈夫? えーんえーんえーん。娘が珍しく声を上げて泣いている。そんなにココアに噛まれたのがショックだったの? うん。ココアは噛まないと思ってた? うん。そっかぁ、でも、ココアもハムスターだからなぁ、噛むときもあるよ。でも、でも…。大丈夫、このくらいだったらすぐ治るよ。明日にはまた、いつものココアに戻ってるさ。…うん。
ママ、人って勝手だね。どうした、突然? だってさ、自分の気分をこっちにぶつけてきても平気な顔してたりするじゃん、平気どころか、まるで自分の方がかわいそうなのよ、みたいな顔してたりするじゃん。ああいうのって、私、信じられない。あぁ、そういうの、あるねぇ、うんうん、ある。被害妄想っていうんだよ、そういうの。そりゃぁさぁ、いい気分のときだけじゃないから、うまく誰かと行かないときだってあるけど、そういうときって、悪いなぁってどこかで思いながらしてるじゃん、普通。そうだねぇ。でもさぁ、そういうヒガイモウソウの人って、「私は悪くない! あんたが悪い!」って大声で叫んでる感じがする。すごい迷惑。ははは、迷惑かぁ、そうだねぇ。うん。こっちにまであんたの厭な気分を伝染させないでよ、って思う。ははは、まぁ確かにそうだ。こういう人と、ママは、どうやって付き合ってる? ん? ママだったらそういう人にどうやって接するの? うーん、ママは、適当に距離を置く。距離を置くって? どういう意味? そうだなぁ、あぁこの人はそういうところの在る人なんだなぁ、かわいそうだなぁって思いながら、その人のすることを眺めてる。へぇ、そういうもんなの? いや、他の人がどうしてるのかは分からないけど、ママは、そうしてるかも。切っちゃわないの? あぁ、そういうことかぁ。うーん、切っちゃうこともある、もうだめだぁ、と思ったら切る。どういうときもうだめだぁって思うの? うーん、この人と関わってると、自分まで心汚くなってっちゃう、心が狭くなっていっちゃう、と思ったら、もうだめだっていうことなのかもしれない。ママの場合はね。ふーん。そうかぁ、じゃぁまだ、私は切らなくていいのかなぁ。うーん、ママは相手の人のこと何も知らないし、知っても、あなたがどう感じるかはまた別だから。自分で考えて自分が思うようにしてごらん。いや、ママがさ、いつも、人との縁は大切だよって言うから…。あぁ、そうだね、ママそう言うよね。だから、切っちゃいけないのかとも思って。うーん、相手によるよ、場合にもよるよ。だから、その都度考えて、やるしかないよね。ふーん。

じゃね、それじゃぁね、あ、お弁当持ってる? うん、じゃ、また後でね! 手を振って別れる。娘は右、私は真っ直ぐ。
川を渡るところで、立ち止まる。細かな雨が降っている。今だけだろうか、それともこれから降るんだろうか。あやしい雲行き。
暗緑色の水が、それでも滔々と流れてゆく。狭い、コンクリで固められた岸に沿って、それでも流れてゆく。
私は心の中で、その川に向かって、縁を一つ、投げてみた。ひらひらと川面に落ちて、そうしてたぷんたぷんと流れ往く縁。
それじゃぁね、さようなら。私は心の中、言ってみる。

さぁ、また一日が始まる。私は重い鞄を背負い直し、また一歩、前へ進む。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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