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2010年04月12日(月)

暗い空が広がっている。広がっているというより、横たわっている、という方が当たっているかもしれない。そのくらいどんよりと重たげな空がそこに在った。いつ雨が降り出してもおかしくはない濃鼠色の雲。私は手を伸ばしてみる。まだ私の手のひらに落ちてくるものは、ない。気配だけがありありと、そこに在る。
そんな中、イフェイオンの青色だけが鮮やかだ。私はしゃがみこんでその花に触れてみる。体温、というわけじゃないのだろうが、僅かな、花ならではの温度が伝わってくる。その目をそのままベビーロマンティカとマリリン・モンローへと移す。
もう花芽が出ていることに、気づいた。早いものだ。隣のミミエデンがこれほど迷走しているというのに、彼らは元気だ。二つ、いや、三つ、四つ、花芽をつけている。花芽の色はだいたい二種類とも同じ、萌える緑色をしている。涼やかな色合い。ベビーロマンティカの方が黄味がかっているが、大きさもほぼ同じ。これならベビーロマンティカが先に咲くんだろう。マリリン・モンローは大輪だ。膨らむまで、まだまだ時間がかかるに違いない。
部屋に戻り、灯りをつけようか迷いながら、そのまま洗面台に向かう。顔を洗い、鏡の中、自分の顔を覗く。少し頬のあたりが汗ばんでいる。そういえば昨日は寝汗をかいた。娘が隣に眠っていたせいかもしれない。娘が隣に居ると、布団の中の温度がぐんと、上がる。
自分の内奥に耳を澄ます。最初に現れたのは、もやもやとした、煙のような、でもそれが、胸の中、充満している、というようなイメージだった。
何がそんなにもやもやしているのだろう。いろいろな、不安。同じ不安でも、びくびく、とは、またちょっと違う。もっと漠然として、寂寥とした、そんな不安、だ。
あぁもしかしたら、私はこれをいつも、どこかで持っているのかもしれない、と、ふと思う。いつも後景にあるのが、この不安だったかもしれない、と。
たとえば、この生活をこの底辺でいいから保っていけるのかどうか、とか、たとえば自分の病気が悪くなって娘に迷惑をこれ以上かけやしないかとか、そういったものが含まれている。
そして、今ありありと在るのは、身近な者の死、だ。いや、まだ死んだわけじゃないのだから、死とはいえないのかもしれない。死の、気配、だ。
死の匂いというのは、どうしてこう、色濃く立ち上るものなのだろう。まだその人は生きているのに、その人の内奥から立ち上ってくる気配。忍び寄る死の気配。それは、どうやっても拭うことができない。
大叔父が、肺癌になり、その癌が脊髄に転移した。そのおかげで今、半身不随だ。ベッドの上、治療のために禿げ上がったつるつるの頭を光らせながら、横たわっている。おしゃべりは普通にまだできるが、その背後から立ち上るのは、死の気配、一刻一刻刻まれてゆく時の音、だ。
そして叔父も。舌癌はすでに別の場所にも転移しており。その手術が今週在る。切り取った部分に別の場所から移植して舌を繋いだものの、もちろん喋りはたどたどしく。意思疎通が思うように取れない。叔父の顔に、それに対するもどかしさや情けなさが浮かんでいる。
大叔父は、大叔母を看取ったばかりだ。白血病、C型肝炎、全身への癌、それらを経て死んだ大叔母を看取ったばかりだというのに。ようやくそれが一段落し、これからまた自分の人生を楽しもうとしていた矢先だというのに。
叔父は叔父で、子供がようやく手を離れ、自分なりの時間を持てるようになった、そういう年頃だ。仲のよい妻との時間を、どれほど楽しみにしていただろう。
父母は基本的に、親戚づきあいというものをしてこなかった。そんな中、私や弟に残ったのがこの大叔父や叔父たちだけだった。その人たちが今、死と向き合っている。
癌はいつでも、私たちから多くを奪っていく。
私は自分の中のもやもやをじっと見つめる。私は不安なのだ。とてつもなく不安なのだと思った。そうして見つめていると、もやもやの煙が、娘の顔のようになった。不安げな、情けなさげな、そんな表情。私は胸が鷲掴みにされるような感覚に陥る。彼女を今残して私がどうこうなるわけにはいかない。確かに私はすでに病気持ちだ。それは仕方ない。でも、せめてこれ以上、具合が悪くなるわけには、いかないのだ。死ぬわけにも、もちろん、いかない。私は当分、生きていかなければならない。
そう思ったとき、あまりに不安なことが多すぎて、反吐がでそうになった。私の生活、私たちの生活というのは、どうしてこうも細い糸の上を綱渡りしているかのような代物なんだろう。
もやもやは、私に何を教えたいんだろう、何を伝えたいんだろう、そう思いながら、再びもやもやを見つめる。
もやもやはさらに色濃くなって、そこに在り。でも、私はもうそれだけで、圧倒されて、何を感じていいのかが分からない。
だから、イメージしてみることにした。これらが全部片付いて、なくなって、すっきりしたら、どれだけ私は気持ちがよくなるんだろう、ということを。
そういえば、そんな気持ち、私は味わったことがあるんだろうか。こうした不安が全くないことを思い出すことができない。
思い出すことができないことに気づいて、私はふと笑う。なくなったら、なくなってしまったら、私は今の私じゃぁなくなってしまうかもしれないということに気づいて。
そうか、私は自分が変化してしまうかもしれないことが怖いのかもしれない、それが一番怖いのかもしれない、だから、この後景を、本当は抱いていたいのかもしれない、と。
でも。でも、もし片付けることができたら。なくすことができたら。どんなに晴れやかな気持ちになるだろう。私はその晴れやかなものを想像することができないが、でも、もしそうなったら。
それはもしかしたら、蒼く広がる空みたいなものかもしれない。何処までも何処までも高く澄み渡る空のような、海のような、そんな代物かもしれない。
生活がこれ以上どうしようもなくなることも怖ければ、今死ぬことも怖い、ありとあらゆることが言ってみれば怖い。私は今、そういう状態なんだな、と思った。
そうして、自然、笑っている自分に気づく。あぁ人はとことん追い詰められると、笑うのかもしれないと思った。でも同時に、笑う余力が残っているうちは、私はまだやれる、とも思う。
もやもやを今日これ以上見つめるのは、正直できそうにない。ごめんねと謝って、また会いに来るよ、と告げる。そうして私はその場所を後にする。

私の身の回りには、いつでも死が在った。私自身が死の匂いに溺れたこともあった。その頃、言ってみれば死は、怖いものでも何でもなかった。でも。今は違うんだなと、改めて思う。
私は生きていたいんだ、と、強く思う。だから死が怖くなったんだ。
あぁ。
なんてこった。

テレビ番組を見ながら、娘が尋ねてくる。ママ、赤線って何? うん、そういう時代があったんだよ、赤線ってものが在った時代が。だから赤線って何? うーん、言ってみれば、ほら、今女の人が男の人に声かけたでしょう? そうやって、自分の体を売り物にして、何とか生活していた頃があったんだよ。そうやってしか、生活することができない頃があったんだよ。ママ、これ、昔のあの場所に似てるね。あぁ、あそこね、うん、在ったね、今なくなっちゃったけど。あそこにも女の人がいっぱい立ってたよ。立って、男の人待ってるんだよね。うん、そうだったね。男の人が来ると、声掛けるんだよね。うん、そうだったね。
今その場所は、無理矢理片付けられ、小さなギャラリーなどが押し込められている。でも、私が昔を知っているからだろうか、その場所にあまり、行きたくはない。昔の方があまりに色鮮やかで、そうしてそこで営まれていた女の時間が、あまりに重く立ち込めているから、その場所に今近づくことができない。
そうだった、昔はカメラを持って、歩いたものだった。見つかると、カメラごと河に放り込まれる、そういうことが、多々あった。それでも私は歩いた。カメラを構えると逃げてしまう女がほとんどだったが、それでも、時に、語り合える誰かがいた。その女の人生の一面を、そこでそのたび聴いた。
娘はテレビに齧りついている。私はその娘の肩の辺りを見つめながら、思う。おまえがそういう時代を生きることがありませんよう。せめておまえは。祈りながら、思う。

どうもいけない。思考回路がマイナスの方向を向いているかのようだ。
私はお湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶をマグカップに入れて、机に持ち運ぶ。
こんなふうに、怒りも悲しみも恐れも、何かに入れて、持ち歩くことができたら、楽だろうに、と、ふと思う。そうか、そうだ、とりあえずもやもやは、紙に包んで、何処かしまってしまおう。しまえる場所を探そう。

じゃぁね、それじゃあね、手を振りながら別れようと思った途端、雨が降り出した。ぽつ、ぽつ、ぽつ。私の肩に、娘の頭に、雨が降り落ちる。慌てて傘を取りに戻り、私はバスへ飛び乗る。
徐々に徐々に強くなる雨粒。川を渡る頃には、電車の窓を雨粒が流れる程になっている。空はすっかり濃鼠色。隙間なく。その瞬間、目に飛び込んだ黄色い帯。あぁ。
菜の花だ。菜の花が咲いている。そういえば、先日撮影に来た折も咲いていた。満面に笑う菜の花だ。
それは一瞬で過ぎ、電車は次の駅へと。でも、私の目の中には、あの鮮やかな黄色が、くっきりと残っていた。
不安は不安で、在ればいい。でもそれはあくまで私の一部であって、私の全体じゃぁないことを、私はちゃんと分かっていなくちゃならない。それを見逃したら、私はどっぷり不安に浸かってしまうから。
別れる直前、娘が手を振って投げキッスを送ってきた、その仕草が目の中で甦る。しゃんとしなければ、と思う。
見上げると、顔にぽつぽつと当たる雨粒。街中に傘の花が咲いている。
さぁ、今日もまた、一日が始まる。私は鞄を背負い直し、また新しく一歩を踏み出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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