2010年09月29日(水)
起き上がり、窓を開ける。すぅっと晴れ上がった空が広がっている。薄い雲が所々あるものの、美しい水色の空。私はひとつ大きく深呼吸をする。風は強く流れ、街路樹の緑がその風に翻っている。東から薄く伸びてくる陽光に、きらきらと緑が輝く。
なんだかとても久しぶりの晴れ間のような気がする。そんな長雨だったわけでも何でもないのだが、この明るさが懐かしく感じられる。私の心がちょっと曇っていたせいだろうか。それもあるのかもしれない。
しゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーを見つめる。デージーはあの雨にも負けず、ちゃんと今も咲いてくれている。黄色い黄色い、小さな花。母にこれもデージーなんだよ、といったらすかさず正式名称を言われ、デージーとはちょっと違うのよと言われてしまったことを思い出す。でもこれもやっぱり、デージーなんだよ、と私は心の中、今更だけれども言い返してみる。ラヴェンダーは、這うように伸びながら、要所要所から枝葉を伸ばし、ぴんと天に向かってそれらが伸びているという具合。
弱っているパスカリは、それでも新芽をひょいと伸ばしてきており。まさにそれはひょいっと、子供の頭髪の、寝癖のようにひょいっと。ちょっと笑ってしまう。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からぐいっと新しい枝を伸ばしてきており。それが二本も。よかった、元気なんだな。私は心の中ほっとする。
横に広がって伸びているパスカリ。あまりに横に広がりすぎて、枝は重く撓っている。その先っちょにふたつの蕾。蕾は器用に、くいっと首をもたげている。他の枝からも、新芽がちょこちょこと出てきており。これから開いてくるだろう紅い縁取りのある新芽。楽しみだ。
そしてその脇に、何の枝だったか、挿したものがふたつ。新芽を出してきた。まだまだ油断はならないが、新芽を出してくれたそのことに感謝。
ミミエデン、紅い新芽が徐々に徐々に緑色に変わってゆく。そのグラデーションはいつ見ても不思議な感じがする。ほぉっと溜息をつきたくなるような、そんな感じ。
ベビーロマンティカは丸くぱつんぱつんに膨らんだ蕾を中央に湛えており。他にもあちこちから蕾や新芽が萌え出てきている。本当にこの樹は元気だ。羨ましくなるくらい。萌黄色のきれいな新芽が、艶々と輝いている。
マリリン・モンローもまた、あっちこっちから新芽を萌え出させており。この位置から今見ると、東から伸びる陽光を受けて影を描いている。そのくっきりとした輪郭は、もしモノクロの写真に撮ったなら美しいだろうなと思えるような、そんな様を描いている。
ホワイトクリスマス、今、綻び出した蕾を湛えており。昨日の強風と雨とで、外側の花弁がちょっと傷ついてしまった。かわいそうに。それでも蕾は凛と天に向かって立っており。その立ち姿にしばし見惚れてしまう。
そして。
球根類を植えっぱなしにしているプランターみっつから、それぞれムスカリの芽がぶわっと吹きだして来てしまった。早い、早すぎる。私は呆気にとられてその芽を見つめる。それにしても、なんて勢いのいい芽の姿だろう。手入れをしていなかった私がいけないな、と反省しつつ、今年も元気にこうして芽をだしてきてくれたことに感謝。途中で葉を切り詰めれば、何とかなるだろう、うん。そう思うことにする。
そして、挿し木だけを集めて育てている小さなプランターの中、あちこちから新芽が吹き出して来ている。昨日の雨が、彼女たちには喜びの雨だったんだろうか。なんだかちょっと嬉しそう。
部屋に戻り、お湯を沸かす。濃い目に生姜茶を入れる。ふと見ると、お弁当箱が流し場に伏せてある。あぁそうか、娘が自分で洗って伏せてくれたのか。これはちょっとした感動。先日、確かに私は、そろそろ自分でお弁当箱を洗おうね、と言ったものの、彼女がそれを実行してくれるかは分からなかった。昨日、具合の悪かった私を気遣ってのことなのかどうか分からないが、とにかく嬉しい。
マグカップを持って、机に座る。PCの電源を入れてメールのチェック。大切なメールが数通、届いている。時計を見、まだ時間があることを確認し、一通一通目を通す。
ふと、窓の外を見やると、水色の空に薄く赤い筋が伸びている。珍しい。私はしばし、その筋を見つめる。やがてそれは水色に溶けて消えた。僅かな時間のことだった。
下腹部を軽く押してみる。まだ痛みは去らない。昨日からちょっとおかしいのだ。腹部と下腹部とに、今までにない痛みを感じる。特に下腹部が酷い。痛み止めを飲んで最初凌いでいたものの、それだけでは足りず、モーラステープを貼ってみたりもう一度痛み止めを服用してみたり。でも、一晩休んだおかげで、昨日よりはずっと楽だ。昨日は脂汗まで出たほどだったから。
とりあえず朝の仕事に取り掛かることにする。私は椅子を引いて、仕事のモードに自分を切り替える。
どんなことを為そうと、誰もが諸手を上げて喜んでくれるわけではない。中には誹謗中傷を容赦なくしてくる人たちもいる。それはどんな場合でも。
重々承知だ。だから、今回のことも、そういう誹謗中傷はあるだろうな、と予測していた。でも実際されると、やっぱり私も人間だ、へこむ。
でも、何だろう。確かに一瞬へこんだのだが。復活するのも早かった。自分でも笑えるくらい早かった。そんなもんさ、そんなもんよ、だから何なの、それでも私はこうするんだよ、と、言わずにはいられなかった。
そしてまた、今私には、仲間がいる。気持ちを分かち合ってくれる仲間がいる。このことは、本当に大きい。
その存在に、深く感謝する。そしてその仲間に何かあったときには、間違いなく私は駆けつけるだろう、と、そう改めて思う。
最近、娘の足のサイズが、徐々に徐々に私に近づいてきた。私は25か25.5。彼女は23.5か24。このでかすぎる娘の足のサイズは、私の遺伝なのか。苦笑してしまう。確かに、私が彼女の年頃、私ももうすでに靴のサイズは24センチだった。
ママ、これ私にくれる? ママ、これ、履いてもいい? 玄関口でその会話が必ず為される。娘は私のお気に入りの、大事に取っておいた靴をすかさず見つけて、それを狙ってくる。それはちょっと早いんじゃないの? それはちょっと大きすぎるんじゃないの? と私が言うのだが、彼女はそんな私の言葉に構わず、とりあえず履かないと気がすまないらしい。履いてみて、やっぱりちょっと大きいとなると「これ、絶対取っておいてね! 私がいずれ履くから!」と言う。
こうやってどんどん私の靴や服をぶんどっていくのかしらんと思いつつ、でもそれが、嫌ではない。そういうのもいいもんだな、と思う。というのも、私は母の服を着ることが殆どできなかったからだ。母の靴のサイズも洋服のサイズも、私より小さかった。だから、共有することができなかった。母の服は、スーツやタイトスカートが多かった気がする。母が留守の折、母の洋服ダンスを物色したことがある。試しに履いてみたスカート。そのどれもが、私の大きなお尻がひっかかって履けなかった。幼いながらも悲しくなったのを覚えている。
だから、母と共有できるのは、唯一着物、くらいだろうか。それだけでもあってよかったと今は思う。もし母が死んで、その後、私は母の着物を、懐かしく着るんだろう。そしてその着物を娘にも、伝えていくんだろう、そう思う。
じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。強い風が玄関の扉をぎゅうぎゅう押してくる。私は娘の手が挟まれないよう、それをそっと閉める。
階段を駆け下り、自転車に跨る。坂道を下り、信号を渡って公園へ。公園の池にはたくさんの葉や木屑が落ちており。でもその水面は、くっきりと空を映し出しており。私はしばし、池の端に立って過ごす。樹々は轟々と唸るように風と共に揺れており。私は思わず歌いだしたくなる。そんな気分。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。今日も制服警官が何人も歩いている。訓練か何かなのだろうとは思うが、こう毎日会うのは、正直いい気分じゃない。
埋立地には光と風が舞い踊っており。銀杏並木の葉は全員が全員、きゃぁきゃぁと風に嬌声を上げているようで。ちょっと笑ってしまう。
信号を渡って左折する。そうして真っ直ぐ走る私とすれ違いに、たくさんの通勤の人が歩いてゆく。ビルに飲み込まれてゆく人、さらに歩いて遠くのビルへゆく人、みんなそれぞれ。
おはようございます、駐輪場でおじさんに声を掛ける。今日は晴れたねぇ、風が強いけど。そうですね、でも気持ちがいい。そうだねぇ。駐輪の札を貼ってもらい、自転車を停める。
さぁ今日も一日が始まる。歩道橋の上に立って見つめる先には、風車がくるくる回っている。
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