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2010年04月19日(月)

灰色の空が広がっている。でもそれは明るい灰色で。空一面を覆う。私はその空の下、ひとつ深呼吸をしてみる。冷気が肌に気持ちいい。
イフェイオンはこの週末、ずいぶん花が枯れた。いや、枯れたというより、終わった、というべきか。茶色く縮れた花殻が幾つも。私はそれを順々に摘んでゆく。ふと思う、イフェイオンにとって、あの霙はどんな感じだったんだろう。思ってもみない出来事だったんじゃぁなかろうか。私はその霙を越えて、雪の降り積もる場所へ行った。それはようやく現れ始めた緑や咲きかけの桜に降り積もる白い雪の景色で。いつも見る雪景色より何故かそれは寒々しく感じられ。雪に埋もれる美術館に入ると、しんと静まり返っていた。かつんかつんと、私の靴のかかとの音が響き渡る。その音と共に私は作品を見て回る。中でもガラス絵に惹きつけられ、何度も繰り返し見てしまう。その間も雪は降り積もっており。廊下に出ると、ガラス窓の向こうは一面真っ白で。思わず目を細めた。二つ目の美術館もすっかり雪に埋もれており。美術館の前に広がる大きな大きな池には薄い氷が張っており。私が雪を投げると、ぱしゃっと割れて雪球が水の中に落ちる。でも次の瞬間には雪球は浮かび上がり。氷の間にふわりと浮かんだそれは、溶け始めたカキ氷のようで。そこだけ鮮明な色合いを帯びて浮かび上がっていた。見回すと山々はみな頂に雲を抱いており。そこには一体どんな景色が広がっているのだろうと、私は思いめぐらした。一羽の鳥の姿さえ見られない、雪の中だった。
ミミエデンは今朝も裸ん坊のまま、そこに在る。新芽らしい新芽は今のところなく。だからうどん粉病の具合がどうなっているのか、まだ分からない。パスカリたちは、一番新しく開いた新芽に粉をもっており。私は早速それを摘む。ぐるりと見渡して、向こう側、マリリン・モンローの蕾がもうだいぶ膨らんできた。こんな天候のもとでも、こうやって律儀に膨らんでくるのだから、生命の力というのはなんて偉大なんだろう。私はその蕾をしばらくじっと見つめる。葉の色よりも一段、二段明るい緑色のそれは、張り詰めたようにそこに在った。
部屋に戻り、すっかり散り落ちた山百合を片付ける。この留守の間に、ひっそり落ちたのだろう。ありがとうと声を掛けながら、私はそっとゴミ箱へそれを落とす。ガーベラはまだそのままに咲いている。だいぶ丸みを帯びた花びらではあるが、それでも明るい煉瓦色のその色味が、テーブルの上、輝いている。
鏡の中、自分の顔を覗く。まだ少し眠り足りない顔がそこに在った。昨夜は娘がじゃれついてくるのを相手にしていたら、あっという間に時間が過ぎた。そういえばそんな中で彼女がこんなことを言っていた。自分は夢をしょっちゅう見るのだけれども、それは必ず現実になるんだ、と。二、三日すると、必ず夢であった出来事が現実に起こるんだ、と。やけに真剣なまなざしで、そう言っていた。
私にも昔、そういう時期があったなと思う。夢の出来事がそのまま、本当にそのまま、現実に現れる。そのたび、気が遠くなるような思いがした。またか、と思った。それがいい夢ならばまだしも、たいがい私の夢はしんどい夢で。だから、それが現実になることが、たまらなく嫌だった。娘はどうなんだろう。娘にとってその夢と現実とは、つらいものなんだろうか。それともまた、違ったものになっているんだろうか。
顔を洗い、目を閉じて、自分の内奥に向き合う。
「サミシイ」は、少し哀しげな目をして、そこに在た。ずっと遠くを見やる目で、そこに在た。私はそっと隣に座って、ただ黙って座ってみる。
「サミシイ」は思い出しているのだと思った。いろんなことを、思い出しているのだ、と。一昨日見たガラス絵や版画が引き金になって、いろいろなことを思い出しているのだな、と。
それはもう、戻らない日々だった。過ぎてしまった過去だった。それを「サミシイ」はただじっと、見つめていた。
私はその隣で、自分がしてきたことを、改めて省みる。もう取り戻しようのない時間を。あの事件が、大きく私を変えた。あの事件を境に、私の人生はこれでもかというほど転がり堕ちた。そのことはもう、厭というほど分かっている。
じゃぁ今更、「サミシイ」は何を見ているのだろう。それが気にかかった。今改めて「サミシイ」が訴えたいことは何なんだろう。
ふと思った。「サミシイ」は今に満足なんて、これっぽっちもしていないんだな、と。まだまだ、今に生きてはいないのかもしれない、と。
「サミシイ」を今に生かすには、どうしたらいいんだろう。私は考える。
私が私を、生きること。単純に言えば、そういうことなんだろう。でもそれは、果たして、とてつもなく難しい。
私は掛ける言葉もなく、ただ隣に座っていた。「サミシイ」が見つめるコトがどんなことなのか、少し分かる気がした。もうそれだけで、胸が一杯になった。
私は、しばらくそうして座っていたが、今掛ける言葉が見つからず、その場を後にした。今は「サミシイ」に何も、不用意に言葉を掛けない方が、いいように思えた。
そうして私は今度、穴ぼこに会いにゆく。穴ぼこは穴ぼこのまま、そこに在った。私はおはようと声を掛ける。そうして、穴ぼこの中の怒りにも、一緒に声を掛ける。
穴ぼこは、少し膨らんだかのようだった。大きさがどうこう、じゃなく、気配が、こう、膨らんでいる、そんな感じだった。
私は穴ぼこに寄り添い、そこに座り、話しかける。ねぇ穴ぼこさん、あなたは私の中のいろんな負の感情を、こうして食べて、ここまで来てくれてんだよね。今食べようと努力しているのは、きっと、不安って代物なんだよね。違う?
私に見せないように、食べてしまおうと思っているのでしょう? ありがとうね。でも、見せてもいいんだよ、だってそれは、私が抱いた代物なのだから。アメーバーさんとも約束したの、もう見ないふりはしない、って。
穴ぼこは、ごぼごぼと音を立てた。何だろうと思って見やると、穴ぼこから、黒い、どす黒い何かが、吐き出されてくるところだった。あぁ、穴ぼこは、こんなものまで内側に溜めていたのか、と、改めて思う。かわいそうに。
いろんなことが不安で。だからいらいらもするんだよね。それで自分を崩しちゃいけないと思うから尚更、体がぎしぎし鳴るんだよね。
ごぼごぼと穴ぼこから出てきたどす黒いものは、私の足元までやってきて。私の足を呑みこんでゆく。
羨ましい羨ましい羨ましい、何もかもが羨ましい、どうしようもなく羨ましい、どうしてみんなそんなふうに生きていられるのか、それ自体がもうすでに羨ましい。そう思っているのでしょう? 私は声を掛ける。
もちろんその人たちにも苦しいことはあって、しんどいことはあって。そんなこと分かっているし、だから、あなたは羨ましいなんて思うことまでも否定して、自分がおかしいと否定して、泣いているんだよね。
羨ましいって思ったっていいよ。私は言ってみる。思ったって、いいんだよ。あなたがしんどい分を、私にも分けて。それで、いいんだよ。
つらいよね、しんどいよね、たまらないよね、どうしてこうなってしまったんだって思うよね、私もずっとそう思ってた。どうしてこんなになっちまうんだろう、ってそう思ってた。そう思う自分も、厭で、たまらなかった。いや、そう思う自分が一番、厭だった。だから、口を噤んだ。
羨ましいし妬ましいし、たまらないよね。でもそれ、噤む必要なんて、ないよ。ね。そうやって比較してしまう自分がいることを、認めれば、それでいいよ。それでいいと思うんだよ。違うかな? そこからまた、始めれば、それでいいんだよ。
泣いていいよ、喚いていいよ、しんどいって言っていいよ。そろそろ、ここから脱しよう。ここから卒業しよう。そうして、またここから、始めよう。
ごぼごぼは、まだごぼごぼ、ごぼごぼと、何かを吐き出していた。穴ぼこは震えるように泣いていた。私もまた、泣いていた。
それはまだ当分、時間がかかりそうだった。だから私は、そのままでいいんだよ、ともう一度声を掛けて、立ち上がった。
零れた涙を拭うのが躊躇われ、もう一度顔を洗った。私の中にはもっともっと、どす黒いものが、在ると思った。それを出し切らないと、次にはいけない、そんな気がした。

表面的に見たら、私は間違いなく、すんなり進んできたように見える。中学も高校も大学も、それだけのところに行っていたら、それ以上何が不満なの、と嘲笑われる。
苦労なんて、これっぽっちも知らないで、ここまで来たんだといわれても、おかしくはない。
今は今で、不自由な生活ではあるが、それなりに生きてる。
恵まれてるね、と言われても、なんら、おかしくない。

でも。一体何が分かる。そこに在ったものの何が、他人に分かる。分かりやしないのだ。分かってくれと言うもの、それはそれでおかしい。分からなくて、当たり前。
そういうことも、分かってる。
だから私は笑っているわけで。それがおかしいとは思わない。
でも。

クルシイ。クルシイと、思う。

私はもっと、自分に近寄ってあげなければ、と思う。もっと自分自身に寄り添ってあげなければいけないな、と。
そうしたら私はもっと、軽やかに、笑える、そんな気が、する。

久しぶりに弟に会う。激変続きだった環境にも挫けることなく、それを乗り越えてきたという自負をもった弟が、そこに在た。私がもう余計な言葉など何もかけずとも、そこにそのまま自分として在る、そんな、弟がそこに在た。
私はだから声に出さず、心の中だけで、よく頑張ったね、と、声を掛けた。
その隣で、私の娘と彼の息子とが、はしゃいで遊んでいた。

じゃあね、それじゃあね。手を振り合って娘と別れる。
久しぶりに乗る自転車。何だかもうそれだけで嬉しくて、私は勢いよく漕ぎ出す。公園の桜はすっかり散り落ち、代わりに葉を伸ばし。もうすっかり緑の茂みに変わっている。じきに、この辺りにまでその緑の匂いが立ち込めるようになる。
大通りを渡り、高架下を潜る。最後の最後に残っていた落書きも、消された。薄いクリーム色の壁に変わった。一瞬立ち止まり、私はまた自転車を漕ぎ出す。
銀杏の樹にはたくさんの新芽。萌黄色のそれは朝日を受け輝いており。少しずつ雲の間から零れ始めた陽光に、きらきらと輝いており。
さぁ今日もまた一日が始まる。唯一無二の、今日という一日、が。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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