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2010年04月15日(木)

何かが動いている、そんな気配がする。起き上がって見てみると、ちょうどゴロが回し車を回しているところ。おはようゴロ。私は声を掛ける。彼女はその途端、回し車を降り、こちらにひょこひょことやってくる。そうして扉のところに後ろ足で立ち、構ってよのポーズをする。その仕草がなんだかとてもかわいくて、私はつい指を伸ばし、彼女の頭をこにょこにょと撫でる。それじゃぁ全く満足しないというふうに、私の指をぱしと手で挟んでくる。私は思わず笑ってしまう。
窓を開けるとしっとりと雨が降っている。鼠色の重たげな空。隙間なく雨雲は空を覆っている。あぁこれは一日中雨なのかもしれないと思いながら、私は空をじっと見つめる。
屋根も街路樹も濡れている。濡れた若葉がなんだかちょっと寒々しい。鼠色の空の色を映したかのように、萌黄色も今日はちょっとくすんでいる。
イフェイオンが足元で、雨粒を湛え、顔を上げている。すっくと立つその姿は潔くて。私は思わず見惚れる。こんなふうに、雨だろうと晴れだろうと、立っていられたら、どれほど気持ちがいいだろうと思う。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾は、徐々に徐々に膨らんできている。マリリン・モンローは、ここからさらに倍くらいには膨らんで、そうして花開く。花開くまで、どのくらいの時間がかかるだろう。今日は何処にも粉を噴いた葉の姿がないことに気づく。いや、怖いのは、この雨の後、だ。雨ができるだけ早くさっぱりと上がってくれることを、私はただ祈るばかり。
金魚がゆらゆらと、水槽の中、泳いでいる。このところ、金魚に餌はやっても、こうしてゆっくり泳ぐ姿を眺めたことはなかったなと思い出す。ついついハムスターたちに目がいってしまって、窓際のこの水槽の存在を、忘れてしまいがちになっている。いけないなぁと思いながらも。そろそろ水槽を洗ってやる時期かもしれない。今度晴れたらきっと、それをしようと私は心にメモをする。
部屋に戻り、洗面台で顔を洗う。今日はなんだか顔がすっきりしている。正直、昨日はあまり眠れなかった。何度も何度も目が覚めて、そのたび溜息をついた。それでもこんなふうに顔はさっぱりしているのだから、私は休むことはできたんだろう。ちょっと納得がいかないけれども。
目を閉じ、自分の内奥に耳を傾ける。すっと落ちるように、目の前が暗くなる。
暗い、だ。おはよう、私は挨拶する。暗いは、諦めきった目つきで、こちらをちらりと見やる。そういえば暗いには目や鼻、口といったものはない。ないのだが、そこに気配は感じられる。
私は正直、彼女に掛けられる言葉が見つからない。あまりにも伝わりすぎるから、その諦め具合が、だから、これ以上何の言葉を掛けたらいいのか、それが分からない。だから私はただ、彼女に寄り添う。
いろいろなものを、諦めてきた。手放してきた。手放さなければ、棄てなければ、私はあの場所であの頃を生き延びることはできなかった。それでも、悲しかった、虚しかった、どうしてこんなふうにせっかくのものを棄てなければならないんだろうと思った。父が私の本を窓から投げ捨てるかのように、私は真夜中ひとり、父母にこっそり隠れて、私の内奥にあるものを棄てていった。そうやって、私は生き延びてきた。
ごめんね、と思う。父にされることがたまらなかったくせに、私は同じことを、あなたにしてきたんだと思う。だから、ごめんね。本当にごめんね。
同時に、ありがとうとも思う。
あなたがそうやって、私の代わりになってくれなければ、私はあの頃を、どうやって生き延びてこれただろうと思うから。
取り戻すことも、やり直すことも、もはや、できる位置にはいない。過去を変えることなど、できやしないのだから。
でも何だろう、またここから、始めることは、できる、と思う。
ここまでずたぼろにされても、あなたはここに存在していてくれて。だから、私は今ようやくあなたに気づくことができて。だから、私はここから、改めて始めたいと思う。
あなたが本当に私にしてほしいこと、いつかあなたから聴くことができたらなと、だから切に思う。
その瞬間、暗い、が、ひとまわり小さくなった。
私は言葉を繋ぐ。
そのために、私は、あなたに耳を澄ましていたいと思う。あなたに耳を澄ましながら、今私が何ができるのかを、いつも問うていたいと思う。
暗いは、私をじっと見つめていた。小さくなった暗いは、それでも暗くそこに在ったけれど、それでも小さくなって、私を見ていた。
私はまた必要なとき、あなたに会いに来るから。また会おうね。そう言って私はその場を離れる。
私は目を開けて、鏡の中を見つめる。私に出来ること。それは、何だろう。そのことを、私はちゃんと気づいて考えていなかくちゃいけないな、と思う。
食堂に戻ると、ゴロがまだ、扉のところに張り付いている。私は根負けして、彼女を肩に乗せる。そうしてお湯を沸かす。
テーブルの上、山百合とガーベラとが今日も咲いている。ガーベラの花びらはもうずいぶん丸まってきた。もうじき終わりなんだよとそのことを私に知らせている。私は花びらに触れながら、分かっているよ、と返事をする。山百合も山百合で、花弁がずいぶん萎びてきた。じきにぽとりと花殻が落ちる日が来るのだろう。それまでは、それまではここで、咲いていてほしい。
オレンジスパイサーというハーブティを最初入れてみたのだが、なんだか違う、どうも違う、そう思って、生姜茶を入れ直す。やっぱりこっちだ。オレンジスパイサーは、水筒に入れて、とっておくことにする。しばらくはあたたかいままでいてくれるだろう。

確かに、私は勝ち組のように見えるのかもしれない。
父母が望んだことを、そのハードルを、そのたび越えてはきた。越えられるという才能が、少なくともあったと、人は見るのかもしれない。友人が言う。羨ましい、と。それができたということが羨ましい、と。
それはとても、よく分かる気がする。
弟が、そうだった。姉貴が羨ましいと、いつもいつも言っていた。私は弟の不器用さをよく知っていた。彼がどんなに努力しても、叶わないことを、私がいとも簡単にしてしまうこと、その現実も、よく分かっていた。
弟から見たらそれは、どんなに残酷であるのかも、だからいつも思った。
その弟は、年頃になると、荒れ狂った。これでもかというほど、家の中に嵐を起こした。部屋の壁という壁は彼の拳によって穴ぼこだらけになり、扉という扉は、折れ曲がった。俺の気持ちがおまえらに分かるものか、と、荒れ狂った。
私はそれを後ろで見つめながら、羨ましい、と思った。
こんなふうに、爆発できたら、どんなにいいだろう、と思った。もちろん弟は爆発しながら、どんなに悲しかったか。どれほどの悲しみや虚しさを抱えていたのか、そのことも、思う。でもやっぱり、私は、彼がそうできる、そのことが、羨ましかった。
もし私にその力があれば、もし私にそのエネルギーがあれば。そう思った。
そういえば、私は人によく、羨ましいと言われるな、と思う。その強さが羨ましい、その才能が羨ましい、いろんな角度から、そう言われる。
そのたび、私は、切なくなる。ぎゅうっと心臓を鷲掴みにされるような感覚に陥る。
私は何も好きで、そうしているわけじゃなく。必死になってそれをしているだけのことであって。ただその必死さを見せないだけのことであって。
本当は。
でもそんなこと、言葉に出すものでもなく。
だから私はいつも、笑って流す。そして心の中、思う。私の方こそ、あなたたちがとてもとても、羨ましいんだよ、と。

でも今なら分かる。そうやって比較しあったって、何も生まれないということも。
だから私は今なら、羨ましいという友人の言葉も、そのままに受け取ることができる。
そうして、私はやっぱり笑っている。

人の言葉は本当に難しい。そんなつもりがあって言ったわけじゃないことが、驚くような誤解を生むことが多々ある。
それでも人はやっぱり、人の間にいてこそ人間なのであって。
人の間にいて、コミュニケーションを交わさずには、おれないのだ。

人間という字は本当に、うまくできた字だな、と、つくづく思う。

そうしてふと、ヒトのアイダに在ることさえ、できなかった時期があったなと思う。それはまだ遠い昔ということはできない距離にある。だから私は時々、ぎゅうと胸が鳴るのを感じる。
私を見る人たちが、あなたはいつも人の輪の中にいるだとか、世界と繋がっているように見えると言ってくれるたび、ぎゅうと胸が鳴る。
ヒトのアイダになど、とてもじゃないがいられない時期があったから。だから今があることを、私は少なくとも、知っている。そんな自分を、知って、いる。

じゃぁね、いってらっしゃーい。緑のおばさん役をこなして、私はみんなに手を振る。傘の花を咲かせて、学校へ向かってゆく子供たち。私はそれに背中を向け、バス停へ走る。
バスの窓に雨粒がかかる。ひっきりなしに降り続く雨。その中を走る混み合うバス。
さぁ今日もまた、一日が始まる。私は駅へと駆け出してゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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