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2010年07月30日(金)

いつの間にか雨が降り出したらしい。しかも結構な勢いだ。窓際に立って私は外を見つめる。ざんざんと降りしきる雨は、何処かちょっと怒っているかのようで。私は耳を澄ます。何にそんなに怒っているのだろう。気になる。
傘を持ってベランダに出る。ぱしっぱしっと傘に当たる雨。弾かれてそれは何処へ堕ちてゆくんだろう。私はラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。濡れたラヴェンダーとデージー。絡まり合った枝をそっと解いてゆく。濡れているからいつもより余計にそっと解いてやらないと切れてしまう。黄色いデージーは、こんな空の下でも明るく咲いている。
パスカリの、根元からようやく新芽を出した方を見やる。新芽はもう五センチをゆうに越えており。もうじき十センチに届こうとしている。どこまで伸びるつもりなんだろう。くいくいと伸びてゆくそれを私はちょっと不思議に思いながら眺める。まだまだ赤い縁取りをもって、伸びてゆく枝葉。この週末の間に、他の枝に負けないの高さにくらいぐいぐい伸びてきそうな気がする。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせている樹。この雨の中、桃色はひっそり微笑んでいる。ピンク色と桃色は、どうしてこうも輝き方が違うのだろう。ピンク色は、見て、私を見て、というように華やかに輝くのに対して、桃色は静かに密やかに輝く。私はどちらかといったら桃色の方が好きだ。
花芽を抱いているパスカリ。白い蕾は小さいながら綻び始めた。やはりちょっと肥料が足りないんだろうか、こんな小さいまま綻んでくるということは。私はちょっと申し訳なくなる。この花が終わったら、肥料をまた継ぎ足してやろう、そう心にメモをする。
アメリカンブルーは今朝は一輪も開いていない。ちょっと寂しい。
ミミエデンは新葉の色がぐんぐん変わってきている。もうほとんど緑色だ。葉脈から緑になり始めて、全体が緑色になっていって、そうして最後、縁取りの紅色もやがて消えていくのだろう。カーテンで折ってしまった花芽は、今、テーブルの上、花瓶に挿してある。咲いてくれるわけはないと思うが、それでも、やっぱり。
ベビーロマンティカの蕾は、昨日のうちにぐいと大きく膨らんできた。花びらの色がこぞって見えるようになった。明るい煉瓦色のそれ。かわいらしい色。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー、揃って新芽を出してきている。こんな空の下でも、くいっと空を見上げている。私もそれに習って空を見上げる。鼠色の雲にびっしりと覆われた空。そして絶え間なく雨が降り堕ちる。
部屋に戻り、お湯を沸かす。昨日試しに買ってみたジンジャー&マテのハーブティー、結構おいしい。それを今朝は入れることにする。
窓を半分だけ開けているのだが、カーテンがぶわんぶわんと風に吹かれ、揺れている。そして激しい雨の音。時間が経つごとに強くなっていくような気がするのは気のせいか。
おはよう。いきなり声がする。振り向くと、娘がすっくと立っている。どうしたの、こんなに早く。なんか起きちゃった。眠くないの? 全然。それよりおなかすいた。分かった、じゃぁチャーハンでも作るよ。うん。
娘は最近、起きると一番にミルクを起こしにかかる。そして手のひらに乗せてというよりほとんど握って、あぁだこうだと遊んでいる。今朝もやっぱりミルクを起こしに行った。ミルクぅ、と言いながら、ミルクの背中を撫でている。私はその声を聴きながら、冷蔵庫の中を漁る。

ママ、この女の子リストカットしてるって言ってるけど、ママの傷痕とずいぶん違うね。DVDでとあるドラマを見ながら、娘が言う。あぁ、ママのはちょっと酷いから、違うように見えるんでしょ、そう言って私は笑う。なんかずいぶん違うよなぁ。娘が首を傾げる。私は黙ってそれを眺めている。娘が言う。でもさ、このくらいで済んだなら、この子、きっとじきに元気になるんだよね。そうだね、うん、きっと。私は返事をする。
フライパンでご飯を炒めながら、私は何となく、自分の右腕と左腕を比べる。右腕の傷痕は、まぁさもありなん、というか、よくあるリストカットの傷痕なんだろう。娘が言うように、ドラマにも出てきそうな傷痕、その程度で済んだ。娘はきっと、その右腕の傷痕は、ほとんど目に入っていない。私の左腕の傷痕のことを、娘はリストカットの痕と思っているに違いない。
どうなんだろう、私も、今まで自分の左腕のような痕は見たことがないから、ふつうというものを知らない。娘にどう応えていいのか、だからよく分からない。
娘はもう、すっかりドラマの中に引き込まれて、ガンバレ、だとか、負けるな、だとか言っている。娘のこの、気持ちの転換の早さに、私はちょっと感謝する。

母に電話をすると、今菅平から帰って来たところだと言う。あら、菅平、お父さんと一緒に行ったの? だって、あまりにこっちが暑いから、車しんどいけど、頑張ってみたのよ。そうなんだ、でも今週はこっちもそれなりに涼しかったよ。ほんと、帰ってきてそう思った、これなら車でしんどい思いしなくてもよかったかもって。でもねぇ、あっちは昼間は半袖でも、夜はやっぱり長袖じゃなきゃだめなくらい涼しかったわよ。よかったね。
そしていきなり母が言う。あなた、恋とかしてないの? はい? だから、恋愛とか。してないしてない、全然そういうの、ない。そうなの。母が黙る。なんでそんなこといきなり聴くわけ? いや、あの子が、ママは全然恋愛しないから駄目なんだとか言ってたから。あぁ、そういうことか。別にいいじゃない、恋愛してなくても。今はあの子で手いっぱいだから、無理無理。そう、それならいいけど。え? あ、恋愛してほしくないってこと? そりゃそうじゃない、下手に恋愛なんかして、またどうしようもなくなったら、こっちの身が持たないわよ。あ、はい。分かりました。まったくもう。はいはい。それにね、今度また失敗なんかしたら、今度こそ本当にあの子がかわいそうなんだからね、分かってる? 分かってます分かってます、分かってますってば。分かってるならいいけど。はいはい。
母の口からまさか恋愛なんて言葉が出てくるとは思わなかった。吃驚した。でも、こんな話をできるようになったということが、ちょっと嬉しい。母と他愛ない話をすることが、私の一つの夢だった。その夢が、言ってみれば、叶ったということか。
授業で一緒になる女性の一人が、今改めて、機能不全家族というものに悩んでいるという。授業でそれを扱ったことで、自分の家が明らかに機能不全家族だと自覚したのだという。でも今更、何処からどうそれを掘っていけばいいのか、分からない、でも、ここからどうにか何かを変えていかないと、私はきっとずっとこのままになってしまう、それはいやだ、と彼女は言った。
自分の中に、ACを自覚し、かつ共依存傾向が強いことも自覚した彼女が、それに合うような本はないかと問うてくるので、私は本棚を探した。昔々、読んだ、ACや共依存に関して書かれた著書を見つける。渡すと、彼女はじっとそれに目を落としていた。
今更かもしれないけど、私、自分を変えていきたい。彼女のその言葉に、私はうんと頷いた。変えていきたいと自分が思ったその時が、ちょうどいいタイミングなのだと私は思う。自分がそう思えなければ、周りが何を言おうと無駄なのだ。

ママ、Hちゃん、どうしてる? あぁ、頑張ってるよ。猫、まだ見つからないの? うん、まだ見つからない。みんな駄目だって? そうだね、今まで当たったところは、全部駄目だったみたい。でも、きっと何とかなるよ。どうしてそんなこと言えるの? 諦めたらもうそこで終わりだけど、まだHちゃんもママも諦めてないからね。必ず見つかるよ。そう、ならいいんだけど。大丈夫、きっと何とかなる。
何とかなる、なんて確証は、何処にもない。でも。諦めたらそこでまさに終わりだけれど、諦めなければきっと。私はそう信じたい。
きっと何処かに、出口は、在る。

ママ、雨酷くなるね。学校大丈夫? ほんとだねぇ、酷い酷い。こんな中行くのはやだねぇ。ママ、雨の中歩くと蕁麻疹出るよね。うん、だからイヤなんだよね。頑張ってね。うん。
娘に見送られて家を出る。降りしきる雨の中、バス停へ。誰もがうんざりしたような顔をしてバスを待っている。
バスはほどなくやって来た。どこかで娘の声がする、と思って見上げると、ベランダから大きく手を振ってくれている。私も大きく手を振り返す。
バスに乗って駅へ。何台も止まっているバスやタクシー。どっと降りる人、人、人。その中を、私も、縫うように歩いてゆく。
川を渡るところで立ち止まる。水嵩がいつもの倍以上になっている。泥水色に濁った川。魚の姿など何処にも見えない。
授業も今日を入れてあと二回。あと二回、何ができるだろう。
さぁ今日も一日が始まる。私は真っ直ぐ、教室に向かって歩き出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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