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2010年04月20日(火)

がしがしと、噛む音がする。起き上がって見てみると、ココアが扉のところに齧りついているところ。音の大きさからするとミルクを想像していたのだが。最近ココアも、このがしがしの音がずいぶん大きく派手になってきた。おはようココア、私は声を掛ける。ココアはそんな声はどうでもいいの、と言わんばかりの勢いでがしがしやっている。
窓を開けると、どんよりとした曇天。空一面、薄鼠色の雲で覆われている。ひんやりとした空気が流れている。微風ながら、風が流れている。街路樹の萌黄色が、そんな空の下、鮮やかに浮かび上がる。まだまだ柔らかいその色味。私は手を伸ばしてそっと触れてみる。ひんやりとした、でも何処かあたたかいその温度に何となく口元が緩む。
イフェイオンの萎びた花殻を摘んでゆく。まだ咲き残っているものもあり、それらは懸命に空を向いている。水色と蒼との間のようなその色味が、もうじき終わりであることを物語っている。
ミミエデンに粉の噴いた葉を見つける。パスカリにも。私は順々に摘んでゆく。ミミエデンの方は、葉だけでなく、その根元から粉がついていることが分かり、私は根元からくいっと新芽の束を折る。せっかくここに現れた新芽だというのに、そう思いながらも、これをしなければ、もっと病気は拡がってゆくのだから、仕方がない。
ベビーロマンティカとマリリン・モンローの蕾は、しんしんとそこに在り。まさに、孕んでいるという言葉が似合いそうな気配。そう、生命を孕んでいるのだ、そこに。だからこんなにも静謐で、美しい。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、ぼんやりと自分の顔を眺める。まだ眠り足りないというような表情に、ちょっと苦笑する。昔よりずっと長く眠れるようになったのに、何を贅沢言ってるんだ、という気がする。これだけ眠れるようになっただけでも、儲けものというものだ。
私は目を閉じ、内奥に沈み込む。
ごぼごぼの残骸が、そこに在った。昨日のようなヘドロではなく、まさに残骸、だ。元々の形など、もう分からないくらいに砕け、朽ちて、そこに在った。私はその欠片を、ひとつずつ、拾い集めてゆく。
ふと見ると、穴ぼこが、傍らで微かに震えていた。まるで、怯えているかのようだ。どうしたのだろうと声を掛ける。すると、さらにその震えは大きくなる。
まだごぼごぼと何かを吐き出したいのだろうか、と一瞬思ったが、でも、それよりも何よりも、今穴ぼこは怯えているのだと分かった。
あぁそうか、こんなことをしてはいけない、と、穴ぼこは思っているのだ。私は声を掛ける。そんなことないよ、大丈夫だよ、と。
穴ぼこは、やがて、すすり泣き始めた。
私はただ、隣に在ることにした。ただ黙って、寄り添っていることにした。
穴ぼこはひとしきり泣いたのか、じきに泣き止んで、そこに在った。私は間を置いて、穴ぼこにそっと触れてみた。
泣き疲れているはずなのに、穴ぼこはびくんと大きく震え、私の手を怖がっているようだった。だから私はそっと、そのまま手を置いていた。
そうだよね、あなたは、泣いた後、こんなふうに手を置いてもらったことなどないんだものね。感情を吐き出すのは罪、泣くのも罪、だったものね。私はそう話しかける。
でも、多分もう、そんなことはないから。というよりも、私の内でどれほどどくどくごぼごぼやろうと、そんなこと、構わないから。それに泣くのは自然なことでしょう? だから、そんなふうに怯える必要はないんだよ。
怖かったんだよね、ずっと。見捨てられることが。そうしてしまうことで、見捨てられることが、怖かったんだよね。でも、私はあなたを見捨てることなんてしないから。
穴ぼこが、さらにまた泣いているのが分かった。私はだから、ただそばに在た。
私は私の、こうした怯えて萎縮しているものたちを、順繰り撫でていってやらねばならないな、とその時思った。穴ぼこだけじゃぁないだろう、きっと、もっともっとたくさんのものたちが、こうして怯えて、凍えているに違いなかった。
なんだかひとつ、憑き物が落ちたみたいな、そんな感じがした。吐き出すだけ吐き出して、その後、空っぽになるまで泣いて。だから今この空間は、澄んでいた。ただ私と穴ぼことが、そこに在るのみ、だった。
穴ぼこは、疲れ果てたのか、動かなくなり。気配さえ動かなくなり。もしかしたら眠っているのかもしれない、と思った。小さな小さな吐息だけが、規則正しく、伝わってきた。だから私は、また来るね、と挨拶して、その場を後にした。

「人は恐怖から自由にならなければならないのですが、それは行なうのが最も困難なことの一つです。私たちの大部分は自分が恐れていることに気づいておらず、何を恐れているのかに気づいていません。そして自分が何を恐れているのかを知っても、どうすればいいかがわからないのです。だから私たちは現実の自分から、恐怖から逃げ出します。そしてその逃走が恐怖を募らせるのです。かくて私たちは不幸なことに、逃走のネットワークを発達させてきたのです」「私たちにとって思考は非常に重要です。それは私たちがもっている唯一の道具です。思考は経験を通じて、知識を通じて、伝統を通じて蓄積されてきた記憶の反応です。そして記憶は時間の産物であり、動物から受け継いだものです。この背景と共に、私たちは反応するのです。この反応が思考です。思考は特定のレベルでは不可欠なものです。しかし、思考はそれ自らを未来として、また過去として、心理的に投影します。そのとき、思考は快楽同様、恐怖をつくり出すのです。そしてこのプロセスの中で精神は鈍らされ、それゆえ、無活動〔=怠惰〕は避けがたいものとなるのです」「物に、人に、または考えに依存することは、恐怖を育みます。依存は無知から、自己理解の欠如から、内的な貧しさから起こります。恐怖は精神-心の不確実感を生み出し、コミュニケーションと理解を妨げます。自己理解を通じて、私たちは恐怖の原因を発見し、理解し始めます。表面的なそれだけではなく、深い層にある思いがけない、累積された恐怖を。恐怖には生まれつきのものと後天的に獲得されたものとがあります。それは過去と関係します。そして思考-感情をそれから解き放つには、過去は現在を通じて理解されなければなりません。過去は、たえず現在の中に生まれ出ようとしており、それは〈ミー〉、〈私のもの〉、〈私〉の記憶に同一化しようとします。自己がすべての恐怖の源泉なのです」

お湯を沸かし、お茶を入れる。何となく、両方飲みたくて、生姜茶とオレンジスパイサー、両方を小さめのカップに入れてみる。それぞれ立ち上る香り。微かに感じられるそれらに、ちょっと笑ってしまう。こんな、両方いっぺんに入れたって、しょうがないじゃない、と思いながらも、そうしたかったんだからそれでいいじゃないという思い。カップを机の端に置いて、とりあえず朝の仕事に取り掛かる。

坂を上ると、右一面、丘がハナナダイコンの花で埋もれている。その所々に菜の花がまだ咲いており。丘の一番上に立つ桜の樹には新芽がぼうぼうと萌え出ており。モンシロチョウたちが集っている。まるでそこだけ、別世界のような色合いで。私は思わず立ち止まる。
そういえば、玄関先に挿し木したラヴェンダーからも、新芽がにょきにょき出始めていたことを思い出す。そういう季節なのだ。

鞄に入れたい本が見つからず、本棚の前をうろうろする。ちょっと前から、活字を拒絶している自分がいる。それを何とか戻したい、そう思って探すのだが、うまいものが見つからない。
高村薫の文庫本に伸ばした手を引っ込め、梨木香歩の文庫本に伸ばした手を引っ込め。小川洋子や佐々木譲にも手を伸ばしてみるのだが、やっぱり引っ込め。山本周五郎のながい坂を読むのもいいかもしれないと思ったところで、ふと目が留まる。
そうか、久しぶりに、これがいいかもしれない。手に取ったのは、星野道夫の「長い旅の途上」。とりあえず、ここからぱらぱらと読んでみようか。

じゃあね、あ、待って、はい、そう言って娘が差し出した手の上にはミルクがこてんと乗っている。昨日私のほっぺたを齧ってから、私はミルクを避けていたのだが。ママ、ミルクがごめんねって言ってるよ。ええー、ほんとに言ってるのかなぁ。言ってるってば! なら赦す、はい、撫で撫で。私は娘の手のひらの上のミルクの頭を、こにょこにょと撫でる。
階段を駆け下り、ゴミを出してから自転車に跨る。大声で携帯電話で話をしている男性の脇をすっとすり抜け、坂道を下る。公園は、一面緑の渦で。これからもっともっと、萌え出してゆくのだろうと思うと、ちょっとぞくぞくする。
大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ。そのすぐ脇の土手に、桜が一本だけ植わっており。その桜がこの辺りで最後の花になるだろう。上の方、ほんの少しだけ、残っている花。風にさやさやと揺れている。そのたびに流れてゆく花びら。
モミジフウからも新芽が現れ出した。黒褐色の幹に、微かな萌黄色。あぁこれからなんだ、ということを確かめ、私はさらに走る。
海は暗緑色の波を重ねており。海と川とが繋がる場所に、鴎が集っている。飛び跳ねる魚を狙っているのかもしれない。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私はそうして、再び自転車に跨り、走り出す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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