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2010年10月04日(月)

何度も目が覚める。そのたび時計を見、まだだ、と目を瞑る。その繰り返し。途中娘に勢いよく腰を蹴られ、痛いよと言い返すが娘はもちろんぐーすか眠っている。羨ましいよなぁと娘の寝顔を見やりながら、私はまた、目を瞑る。
もういい加減いいだろうと時計を見る。午前四時。まだ早いかもしれないが、横になって過ごすのはもう限界。起き上がる。
まだまだ外は闇の中。お湯を沸かそうと台所に立つ。気配を感じて振り返ると、ゴロが後ろ足で立ちながら、こちらを見上げている。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロはちょこちょこと入り口に寄って来て、私の手をくんくんする。でも、ゴロは絶対自分からは手に乗ってこない。いつでもへっぴり腰。私は笑いながら彼女を手のひらに乗せる。手のひらに乗せても、彼女は必ず一度は後ずさりするから、お尻が落ちないように見ていてやらなくてはならない。そして手のひらの上、じぃっとしている。ミルクやココアとは、ここらへんが全く異なる。
しばらくそうやってじっとしているゴロの背中を撫でてやる。ふと思いついて、娘が買ってきたドライフルーツの角切りのものを、ゴロに手渡す。ゴロは上手に手で受け取ってがしがし食べ始める。それを見て、私は彼女を籠に戻す。
お湯を沸かし、生姜茶を濃い目に入れる。生姜の香りは、正直私には分からない。でも、一口含むと、ふわり、独特な生姜の味が薄く広がる。それだけでも分かることが、嬉しい。
マグカップを持って机に座る。PCの電源を入れ、メールチェックをする。今朝最初に流れたのは中島みゆきの「一人で生まれて来たのだから」。もうこの曲はそらで覚えてしまっている。自分も小声で歌いながら、やるべきことに取り掛かる。
プリントした写真をスキャンする。スキャンするだけ、と言えば至極簡単に思えるが、これが結構手間。一作品一作品、目を凝らしながらスキャンしていく。一度スキャンしたものを二度三度やり直すことがない自分の性格。一度スキャンし取り込んだら、それがずっと残るわけで。それなりに緊張しながら作業を重ねる。
このスキャナーももう何年使っているだろう。離婚した後買ったから、ほぼ十年。年代物だ。いい加減新しいものを買わないといけないのかもしれないが、そんな余裕は正直今ない。
あっという間に一時間半という時間が過ぎてしまう。私は慌てて窓を開け、ベランダに出る。まだ闇色かと思ったら、すっかり空は鼠色。いや、アスファルトが濡れている。いつ雨が降ったのだろう。気づかなかった。
プランターの脇にしゃがみこみ、ラヴェンダーとデージーを見やる。デージーはなんだか昨日より花がたくさん咲いているように見える。気のせいだろうか。私は首を傾げる。この薄い闇の中で、黄色い鮮やかな小花が浮かんで見える。まるで夜の虫たちの灯りになっているかのよう。ラヴェンダーはしっとりと濡れ、葉をちょっと指の腹でこすると、やさしい香りが漂ってくる。
弱っているパスカリ、でも、ちょいっちょいっと新葉を出しており。それがまるで、将校か何かのちょいっと丸まった髭みたいで、笑える。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。根元からぐいっと伸ばしてきた枝のひとつに、確かに花芽がついていることを確かめる。今まであった茂みより一段高いところまで伸びてきたその枝。きれいな黄緑色の細長い葉を広げている。
友人から貰った枝、今、ひとつの蕾がすくすくと育っている。細身の蕾。膨らむ、というより、スレンダーな体のまま、花開く。いつ頃花開いてくれるだろう。今から楽しみ。
横に広がって伸びているパスカリ。やっぱり、二本の支え棒で支えても、落ちていってしまう。どうしたらいいんだろう。私はじっと考える。もう一本あれば、下から支えられるかもしれない。それなりの枝を公園で探してこよう。私は心にそうメモする。
ミミエデン、ふたつの蕾が徐々に徐々に膨らんできている。下から白い花弁が僅かに見える。この薄闇の中でも、その白ははっきり浮かび上がっており。そして新葉がきれいに出揃って、小さな茂みになっている。
ベビーロマンティカは、まだ中央に陣取っている花が咲かない。一体どうしてしまったんだろう。私は首を傾げる。普段ならもうとうの昔に花開いている頃合なのに。そして他の蕾たちはぐいぐい膨らんできており。新芽も後から後から出てくる。
マリリン・モンローは、ふたつの蕾を天に向けて立たせており。新葉が、多分今日陽光が注いできたら開くつもりなのだろう新葉が、赤い縁取りを持って控えている。でも残念ながら今日は陽光は降り注がないんだろう。明日まで待ってね、私は心の中、そう声を掛ける。
ホワイトクリスマス、ふたつの蕾を凛と立たせて悠然と構えており。マリリン・モンローが勢いを増すほど、ホワイトクリスマスは泰然と構えているような、そんな感じがする。ひとつの蕾の外側の花弁が、僅かに見え始めた。白い、美しい、花弁。
イフェイオンもムスカリも、まだ早いと私が言うのにも関わらず、ぐいぐい出てきている。本当に気が早い。というより、放っておきすぎた私が悪い、とも言えるのだが。私は苦笑しながら、イフェイオンの平たい葉を、ぴんっと指先で弾いてみる。弾力のある感触が、指先に返ってくる。
そしてアメリカンブルーは、今、十個もの花を開かせようと準備しているところで。十個も花が一度に咲くなんて初めてじゃなかろうか。私はもうそれだけで、わくわくどきどきしてくる。
小さな、挿し木だけを集めたプランターの中でも、順調に新芽が出てきており。
私は立ち上がり、大きく伸びをする。いつ雨が降り出してもおかしくはない空模様。それでも、こんなにベランダの植物たちが頑張っている。それが私の気持ちを元気にしてくれる。

久しぶりに友人と会う。友人は、やってくるなりいつもよりずっと早口で話し出す。この、合わなかった二ヶ月近くを、埋めるかのように。私は、彼女がいつか舌を噛んでしまうのではないかと思いながら、彼女の話しに耳を傾ける。
彼女には二人の娘がいる。その上の娘がこの夏引っ越していったらしい。そして、下の娘とのふたりきりの生活。諍いは、前からあった。というより、それは頻繁にあった。でも、暴力を振るうことまではなかった。
それが、ここにきて、立て続けに暴力を振るわれたこと。そして娘さん自身は、その暴力を悪いとは思っていないとわざわざ彼女に言ってきたこと、そういったことが、繰り返し繰り返し話される。私は頭の中で図を描きながら、彼女の話しに耳を傾け続ける。
彼女が言う。私、病院の薬をこの二ヶ月、ずっと飲んでいないの。私はうん、と相槌を打つ。今の状態は過覚醒かもしれないとも思うけど、でも。飲んでないの。
そんな彼女に、後どのくらいこの状態が耐えられるのだろう。私はじっと考える。彼女は、その間にも喋り続け、そして何度も何度も、娘は今過程にいるから、と、まるで自分に言い聞かせるかのように繰り返す。
でも。その言葉はもう、一年前から彼女が使い続けている言葉だった。娘さんが彼女の元に戻ってきて、ぶつかりあうたび、彼女はそう自分に言い聞かせている。確かに、成長過程、と、言えるかもしれない。でも、暴力は暴力だ。
彼女はDVの被害者でもある。その経験を経ている。私は、彼女の堤防というのが、実に低いものなのではないかと感じ始めていた。つまり、普通なら決壊している状態であるにもかかわらず、それに気づけないほど、低いものなのではないか、と。
私は、彼女も彼女の娘も両方大事だ。でも、どちらかを選べといわれたら、私は迷わず彼女を選ぶだろう。そして、彼女に、自分を大事にしてほしい、と言うだろう。
もし私の娘が暴力を振るったら。私はどうするだろう。
私は彼女の話を聴きながら、そのことも考えた。一度や二度は、取っ組み合いをするんだろう。でもそれでだめなら、第三者を介入させるという選択をするかもしれない。多分、きっと。それが私の為でもあり、娘の為でもあると思うから。
そのことは、彼女には言わなかった。
ただ、帰り道、彼女からきたメールに、「自分を大事にしてね」とだけ、返事をした。

ねぇママ、今日授業参観だって知ってる? え??? 今日授業参観だよ。えーー! わ、わかった、何とか調整する。もっと早く言ってよぉ。だって、ママ、知ってると思ったんだもん。ママ、すぐ忘れるんだからさ、必ずそういうことは事前に言って。ね? わかった。
じゃぁね、それじゃぁね。手を振って別れる。
階段を駆け下り、自転車に跨る。でも私の頭の中は、ただひたすら、今日の予定の再調整でぐるぐるになっている。
坂道を下り、信号を渡って公園へ。とりあえず、二股に別れている枝を探してみる。ない。ない。ない。うーん、困った。私は朝の仕事に間に合わないのでは困るので、探すのを切り上げて走り出す。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。
一瞬、ほんの一瞬だが、ギンナンの匂いがした。あぁ、そういう季節なのだ。そう思いながら、銀杏並木を走る。ちょうど青になった信号を渡り、左折。そしてまっすぐ走る。
駐輪場で、駐輪の札を貼ってもらい、私は駆け足で歩道橋を渡る。
さて、本当にどうしよう、授業参観には出ないと申し訳ない、でも、調整できるかどうか。とにもかくにも話してみないと始まらない。自分のドジさ加減を後悔しながら、私はさらに駆け足になる。
もう一日は始まっている。転ばぬよう、それだけ気をつけて、さぁ走り抜けよう。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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