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2010年08月13日(金)

猛烈な下腹部の痛みに襲われて、寝床をばたばたのた打ち回る。顔から汗が噴き出してくる。またあの痛みかぁと思いながら、逃れる術がないことに苛立つ。のた打ち回ることにも疲れ始め、でもばたんばたんと体勢を変えていないと辛くて、何度も向きを変える。
そうやってどのくらい経ったんだろう。覚えていない。
痛みがやってくるのも突然なら、引くのも突然なのだ。ふっと下腹部の緊迫感が抜け、痛みも一緒に抜けてゆく。荒くなった息を、何とか整えようと、ゆっくりゆっくり意識して呼吸をする。
深呼吸をようやくつけるようになって、私は状態を起こす。ぐしゃぐしゃになった布団の上。片付ける気力もなく、起き上がる。閉めておいた窓を思い切り開けて、私はベランダに出る。
今日娘のいる場所は、晴れるだろうか。空を見上げながら思う。晴れてくれるといい。前日雨で潰れてしまった登山と水遊び。今日こそできるように。私の立つ場所から見える空は、一面雲に塗れており。水色は何処にも見えない。涼しい風がゆるやかに流れている。街路樹も今日は、静かだ。
私はラヴェンダーのプランターの脇にしゃがみこむ。絡まり合ったデージーとラヴェンダーの枝葉を、そっとそっと解いてゆく。雑念が頭の中ぐるぐる回るのを、何とか追いやって、私はその作業に集中する。時折ラヴェンダーの香りがふわり、漂ってくる。
パスカリの一本。蕾が真っ直ぐ上を向いている。ちょっとひ弱そうな樹だけれど、それでも踏ん張ってくれている。私は黄色くなった何枚かの葉を、指先で摘む。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾。それにしても、この樹は本当に小さい。私の両手のひらに、こんもり乗っかりそうな、そんな大きさ。本来はどれくらいに育つんだろう。他のところで咲いているのを見たことがないから分からない。
もう一本のパスカリ。横に横に広がってゆく。小さな蕾がふたつ、それぞれの伸びた枝葉にくっついている。
友人から頂いた薔薇を挿し木したそれは、今朝も元気に蕾をくっつけており。まっすぐ上を向いて立っている。二本の枝葉が、競うようにして。別に競い合わなくたっていいのに、と私は何となく苦笑する。
ミミエデン。今朝も私は葉の裏側を拭う。だいぶよくなってきた気がするのだけれど、油断は大敵。この子は本当にか弱いから、気を抜くことができない。
ベビーロマンティカは、新しい蕾をつけながら、小さくおしゃべりしている。でも何だろう、今朝はそれさえ、寂しそうに見えるのはきっと、私の心の反映なんだろう。
ホワイトクリスマスとマリリン・モンロー。凛と立つその様。ホワイトクリスマスの蕾がだいぶ膨らんで、下の花びらの色が見えるようになってきた。真っ白のそれは、ほんの少ししか見えていないというのに、私の目には眩しく映る。
生きているってことは、どうしてこうも疲れるんだろう。いや、死んだことがないから、死んだときどうなるのか私には分からないのだけれども。
それにしたって、しんどい。生きていることは本当にしんどい。しんどくてしんどくて、やってられなくなるときが、私にだって、ある。
あなたは前向きだから、とか、あなたは大丈夫だから、とか、そういう言葉に、苦笑しか返せなくなることだって、ある。
いっそのこと、と思わないわけじゃない。でも思うそばから、それはできない、と思う。それをしたら、私は多分、後悔する。

今日はカメラを持ち出して、ふらふら歩こう。

やらなくちゃならないことは山積みだけれど。今日一日くらいそれを忘れて、自分のことだけに浸ろう。

もう一日は、始まっている。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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