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2010年04月03日(土)

がら、がららら。ミルクの回し車の音が響いている。見に行くと、その隣でゴロも回し車を回しているのだが、こちらはちぃとも音がしない。同じ素材、同じ環境なのに、この音の違いは一体何処から来るのだろう。そもそも、ミルクとゴロの体格の差、どうしてこうも異なるものになってしまったのだろう。不思議でならない。私に気づいたらしいゴロが最初に回し車から降りてやってくる。おはようゴロ。おはようミルク。私はそれぞれに声を掛ける。ゴロはひくひくと鼻を震わせながら、こちらを窺っている。ミルクはというと、早速餌箱の中に陣取って、餌を口に運んでいる。私はゴロの頭をちょんちょんと撫でてやる。ゴロは餌がもらえると思ったのか、私の手をぱちりと挟む。その仕草が何ともかわいらしい。
窓を開けるとぬるい微風。春の証拠とはいえ、まだ私の体はその温度についていききれていない。もっと寒ければいいのにと思う。ベランダに立ち、大きく伸びをしてみる。空には薄い雲がかかってはいるが、とても明るい。今日は晴れるのだろうか。だとすると、公園などは花見客で賑わうんだろう。もう昨日ぐんと散り始めた桜だ。今日を逃したらないかもしれない。
イフェイオンが咲いている。耳を澄ますと、しゃんしゃんと鈴の音が聴こえてきそうな気がする。指で花をそっと突付く。しゃん。目の中で音がする。もう一度突付いてみる。しゃんしゃん。やっぱり音がする。
ムスカリはもうずいぶん花の形が崩れてきた。そろそろ切ってやった方が、球根のためにはいいのかもしれない。明日帰ってきたらそうしてやろう。最後まで綺麗な青紫色を見せてくれた花。本当にありがたい。
ミミエデンを振り返る。新芽は今は出ていない。だから粉の噴いた葉もない。ちょっと安心する。その隣、ベビーロマンティカとマリリン・モンローは、これでもかこれでもかという勢いで葉を茂らせている。萌黄色の若葉と、暗緑色の縁の赤い若葉。それぞれにつやつやと輝いている。
部屋に戻り、顔を洗う。何だかちょっとすっきりした顔になっている。目を閉じて、体の内奥に耳を澄ます。
おはよう穴ぼこさん。私はまず穴ぼこに声を掛ける。穴ぼこはひゅうるりという風の鳴るような音を立てる。とくん、とくん、とゆっくりとした脈打つ音が聴こえてくる。今何をしていたの、と問うてはみるが、返事はない。ただ、ゆったりと、寝返りをうつような気配がしただけ。そういう気配がするということは、私がここに在ることは伝わっているということだろうか。そうだといいのだけれども。
穴ぼこの周りは暗い。まるで闇を纏っているかのような雰囲気だ。でも、その闇色も、以前よりはずいぶん明るくなったように思えるのは気のせいだろうか。少なくとも、穴ぼこの輪郭が前よりはっきりと見て取れるようになってきたということは、少しは明るくなってきたということなんだろう。そう思う。それにしても。何もない。がらんどうの部屋だ。彼女はここで一体どのくらい、たった一人で過ごしてきたのだろう。闇を食べて生きてきたのだろうか。そうとしか思えない。その闇は一体どんな味だったんだろう。どんなに空虚だったろう。
ふと思う。私はいろんなものを切り離して、切り離すことで、生き延びてきたようなところがあるのかもしれない、と。穴ぼこしかり、「サミシイ」しかり。そうやって自分の内奥のモノたちを置き去りにすることで、見ないようにすることで、生き延びてきたところが、きっと多分にあるんだ。そう思えた。
ねぇ、あなたは今、何が一番食べたい? 私は試しに尋ねてみる。すると突然、穴ぼこが、返事をする。おばあちゃんのおはぎ。私は耳を疑った。まさか返事があるとは思ってもみなかった。しかも、おばあちゃんのおはぎ?! でも、確かに彼女は今そう言った。
あぁ、おばあちゃんのおはぎ…。もうずっと食べてないね。食べたいね、そうだ、私も食べたい。
ばあちゃんのおはぎは大きめで、中に餡がたっぷり入っていて、でっぷりと、そう、今のミルクのようにでっぷりとしたおはぎだった。口に含むと、甘みと塩味とが絶妙なバランスでもって溶け合って、私にはたまらなくおいしく感じられた。山のように作っては、近所の人たちに配ってあるいたばあちゃん。私たちはばあちゃんが配り終えるのを待って、ようやくおはぎにありつけた。もうおなかが空いて空いて、待ちくたびれてようやっと、ありつけるのだった。あぁ今日もみぃんななくなった! そう言って満足そうな顔をするばあちゃんが、私にはちょっと誇らしかった。ご飯の前だろうと何だろうと、おはぎを食べるのに、ばあちゃんは何の注意もしなかった。私が食べたいだけ食べさせてくれた。もちろん、もうみんなに配った後だから、残っているのは僅かな数なのだが、それでも、私が好きなように、好きなだけ、食べるのを放っておいてくれた。懐かしい、本当にもう、昔のことだ。
あなたはその頃のことを覚えているのね。私は穴ぼこに声を掛ける。返事はない。私、今改めて思い出したよ、もう長いこと、忘れていたのに。あのおいしいおはぎ、また食べたいよね。うん。私は彼女に言うでもなく、呟く。穴ぼこがごそり、動く気配がする。食べたいように食べる、というのが、たまらなく幸せだったよね。私が言う。穴ぼこはただ黙って、私の声に耳を傾けている。
思い出させてくれてありがとう。また来るね。私は穴ぼこにそう挨拶して、その場を離れる。そうして、今度は「サミシイ」に会いにゆく。
「サミシイ」は、相変わらず砂の上に横たわっており。半ば埋もれるようにして横たわっており。おはよう、と私が声を掛けると、ただじっとこちらを見つめるのだった。そういえば、ここの温度は何処かひんやりとしている。じっとしていると、肌寒さを感じる。ねぇ、寒くない? 私は声を掛けてみる。「サミシイ」はじっと私を見つめている。寒くないわけがないよね。こんなにここは冷たいのだもの。こういう場所にあなたは、ずっと在たのね。私は呟くようにそう言う。ねぇ、今、あなたは何がしたい? 何を見たい? 何を感じたい? 私は試しに尋ねてみる。彼女の目が、ちらりと動いた。動いて、天井の方を指した。私も見上げてみる。するとそこには、真っ暗な、天井があった。それはまるで闇が蠢いているかのような、深い深い、暗い天井だった。いや、でも、あなたが見たいのはこれじゃないのね? 私は、「サミシイ」を見つめる。すると、「サミシイ」からイメージが伝わってくる。ススキの陰から見上げた、あの真っ青な空。あぁ、あの空き地から、ススキの野っ原から見上げていた、あの青空だ、と気がつく。幼い頃、住んでいた近くに、そういう場所があった。私はかくれんぼや何かで遊ぶとき、いつもススキの陰に隠れて、見つかるまでの間、そうして空を見上げていたんだった。雲の描く模様が、たまらなく好きだった。決して止まることなく、新たに次々生まれ来る雲の模様を眺めて過ごすのが、たまらなく好きだった。思い出した。あぁ、あなたはあの頃からここに在たのね。私は「サミシイ」を見つめながらそう言う。「サミシイ」は私をじっと見つめているけれども、何も言わない。そうか、そうだったんだ。あなたはあの頃、私がまだ外でよく友達と遊んでいた頃、もうすでにここに在たんだね。私はなぜか、すとんと落ちてくるようなものを感じる。納得ができた、そんな気がした。
うん、もうちょっとあの頃のことを思い出してみるよ。そうしてまたここに来るからね。私はそう言って、その場を立つ。手を振って、そうして目を開ける。
懐かしくて懐かしくて、でも思い出すには切なくて、思い出してしまうとそこに帰りたくなって、だから思い出さないようにしていたことたちを、彼女たちはしっかりと覚えてそこに在り続けていたのか、と、改めて思う。だから穴ぼこで、だから「サミシイ」なんだ、と。
一度、いつまでもいつまでも見つけてもらえなかったことがあった。かくれんぼをしていたときのことだ。名前を呼ばれても、もうどうやって出て行ったらいいのか分からなくなって、ただひたすらしゃがみこんで空を見上げていたことがあった。あぁこのまま溶けてなくなってしまえたらいいなぁと思った。そうしたら、パパやママにとって邪魔な自分はいなくなることができるのに、と。思えば、あの頃からそんなことを私は考えていたのか、と、ちょっと驚く。
お湯を沸かし、お茶を入れる。オレンジスパイサーというハーブティー。ちょっと癖になりそうな味だ。しばらくは朝一番のお茶はこれになるのかもしれない。

それじゃぁね、じゃぁね、と言いかけたところで、立ち止まる。何か話したいこと、あるの? …。なぁに? ここじゃ話せない。じゃぁ何処だったら話せるの? 電話かメールで話す。何それ、今言えばいいじゃない、気になるよ。いや、いい、後でメールする。…わかった。
時々、そういうことがある。届くメールは他愛のないものだったりするのだが、彼女にとっては声に出していうことが憚られることがあるらしい。年頃のせいなんだろうか。それとも、彼女独特の心の動きがあるんだろうか。どちらにしても、私は待つしかないらしい。
手を振って別れる。私は左、娘は右。ホームに上がると、明るい陽射しが燦々と降り注いでいる。一羽の鳥が、長い翼を広げ空を渡ってゆく。
さぁ今日も一日が始まる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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