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当事者が言語化しきれないことたちのひとつ

私自身性暴力被害当事者だけれど。被害に遭った時のことをひとつひとつ言語化できるかといったら、否、だ。
まず被害直後私の頭はショートした。真っ白になった。いや真っ黒だったのかもしれない。とにかく映像の記録の一切合財を拒絶した。ゆえに私の記憶は傷だらけのレコードみたく、飛び飛びに、ところどころしか残っていない。それも無声映画のような状態でしか残っていない。微かに残る音声は、私を二重三重に傷つける代物でしかなかったりする。
そんな自分にとって、あの時どうして、レイプされずにすむほどに抵抗しなかったのか、と問われたら。もう、答えようがないのだ。
むしろ、私はその度自分を責めてきた。これでもかというほど自分を責め苛み、傷つけてきた。あの時十分に、十二分に抵抗できていたなら、私はレイプ被害者になんてならずにすんだだろうし加害者なんて産まずにすんだだろうに、と、ひたすらそうやって自分を責め続けてきた。
でも。
最近ようやっと、たとえば今回触れようとしている「凍りつき」について、科学的に語られるようになった。私自身それを読んで、或る意味、愕然とした。こんなことをこんなふうに証明してくれる世界がやってくるなんて、と、呆然とした。あり得ない、私が被害にあった時代にはあり得ないことが、十数年後や二十年後に、必然の事柄として語られることがあり得るなんて。
短い動画だ。
でもこの短い動画の中に、「凍りつき」状態がきっちり語られている。ぜひ大勢のひとに観てほしい。自分には関係が無いと思っているひともどうか、立ち止まって、数分でいい立ち止まって、観、考えてみてほしい。想像を巡らしてみてほしい。
誰もが被害者になり得るのだから。明日あなたの大切なひとが、被害に、あなた自身が被害に、遭うかもしれないのだから。

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