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2010年04月11日(日)

目を覚ますと隣には娘が居ない。そりゃあそうか、娘はじじばばの家に行っているのだから、今居ないのは当たり前だ。当たり前なのだが、何となく違和感を感じる。彼女が枕元、散らかしていったものたちはそのままに在って。だから余計に違和感を覚える。彼女はちょっとトイレに行っているかのような、そんな感じ。あぁ、こういう感じを以前別のところで受けた、そのことを思い出す。清宮質文先生のアトリエを訪れたときのことだ。今はもうどうか分からないが、その当時、亡くなられて数年が経とうとしていた頃だった、アトリエの机の乱雑具合はそのままに、でも塵ひとつ落ちていない、きちんと掃除はされている部屋、煙草の吸殻までがそのままに残っていた。奥様は、毎日きちんと掃除をして、でも、先生が亡くなられた当時のままに、そこを残していた。だからカレンダーも、先生が亡くなった月で、そのまま止まっていた。ちょっとすると、先生が部屋に帰ってきそうな、そういう雰囲気だった。そのことを、ふと思い出す。
私は娘が散らかしていった本を、一冊ずつ片付け、そうして起き上がる。今朝はミルクもココアもゴロも、みんな静かだ。昨日の夜中、散々遊んでいたせいかもしれない。ココアは餌を手でとる術を、もう少しで覚えてくれそうだ。昨日も、私の手から何度か、手で受け取って食べてくれた。ミルクは無理なんだろう、これはもう、仕方がない。餌となると、勢い込んで食べるのだから、手なんて言ってられない。ゴロはどうだろう、娘曰く、ゴロが一番最初に覚えてくれそうだとは言っていたが。私に対しては、あまり手を出してはくれない。まぁそんなものか。
空が暗い。窓を開けて外に出る。昨日干した洗濯物をそのままにしておいてしまったことに今気づく。雨が降らなくてよかった。そう思いながら見上げる空は、何となく重い。雨が降るんだろうか。灰色の雲が、どんよりと空を覆っている。
そんな空の下、イフェイオンは相変わらずぱっと咲いている。枯れた花殻を見つけては摘み取る。花芽が出るまでは、一輪も咲いてくれないんじゃないかとどきどきしたものだが、長いことこうして咲いていてくれることに、感謝する。まだしばらくは私の目を楽しませてくれるんだろう。今朝もまた、新しい花芽が見られる。
パスカリの樹に一枚、粉の噴いた葉を見つけ、私は摘み取る。改めて見ると、今まだほんの少し顔を出しただけの葉も、もしかしたら粉を噴いているのかもしれないという気配。まだ摘むには早いから、そのままにしておくが、油断は禁物だ。気をつけて見ておかないと。そうしてミミエデンに目を移す。ミミエデンはもう本当に裸ん坊で。かわいそうなほど裸ん坊で。できるなら藁でくるんでやりたいほど。新芽らしい新芽はまだ見られず。私は次に目をベビーロマンティカとマリリン・モンローに移す。同じ若葉なのに、こんなにも違う。萌黄色の若葉と、暗緑色の若葉。マリリン・モンローの暗緑色の若葉は、最初紅い。縁が赤くなって生まれてくる。それが徐々に徐々に、暗い緑色になっていくのだ。まるで人間の赤子のようだ、と見る度に思う。
部屋に戻り、顔を洗う。鏡の中、少し白い顔が映る。ちょっと寝不足で瞼が腫れている。目の周りをそっとマッサージして、それから私は目を閉じる。
ちょうど胃と食道とが繋がるあたりで、違和感を覚える。びくびくしている。びくびくしながら、こちらを窺っている気配がする。
あぁ、凄まじく、自信がないのだな、と思った。だから私はとりあえず、挨拶してみる。おはよう、びくびくさん。あなたは何でそんなにびくびくしているの?
途端に、いろんなものが、走馬灯のように私の中で流れる。飛ぶように流れてゆく。それは、私がかつて仕事をばりばりこなしていた頃から、今に至るまで。どうしてそんなものが流れるのだろう、と思いながら、私はびくびくを見つめる。
あなたは私に何を伝えたいの? そう言って、私は傍らに座り込む。座り込んで、びくびくをじっと見つめる。感じられるよう、ただ耳を澄ます。
自信がない、びくびくは、そう言っていた。自信がないの。何もかもに自信がないの。私なんて、何の役にも立たないし、何もできないの。びくびくは、そう言う。
ふと思い至る。これは、私の中の不安なのか、と。最近仕事が思うようにいかない。そのための不安なのかもしれない。思い至る。
ちょっと今うまくいっていないだけじゃなくて? と言いかけて、やめた。そうじゃない。そうじゃないのだ。びくびくは、もっと別のことを伝えようとしている。
私なんて所詮、私なんてどうせ。びくびくは、そればかりを繰り返す。私になんて何の価値もない、何の役にも立たない。びくびくは、ただそれを繰り返す。
そうして気づく。私の中の、自信のなさに、改めて気づく。何をしても、自信は、ない。これでいいのかどうか、いつだって不安だ。大丈夫だと思えた試しはない。
試しに尋ねてみる。どうなったらあなたはすっきりすると思う? たとえば自信があったときのことを思い出せる?
そう問いかけて、はっと気づいた。自信があった試しが、ないということに。
確かに私は一時期、ばりばり働いていた。これでもかというほど仕事に専心していた。でもそれも、それさえも、自信があってやっていたことじゃぁなかった。自信がなかったからこそ、仕事に打ち込んでいたんだという自分が、在た。
そのことに、気づいた。
愕然とした。自信って何だろう。改めて考えた。でも、考えても、そんなもの、分かるはずもなかった。だって、自信をもった試しがないのだから。思い出すものなんて、あるわけが、ない。
さて、困った。どうしよう。私はびくびくを見つめながら思った。今私がびくびくに言ってあげられる言葉が、思いつかない。
しばらく見つめ合った。そうか、今、あなたが思っていることが、ちょっと分かった。今私が為している仕事も、私が自分に自信がないがゆえに選んだ仕事だと思えているのね。その結果、余計に私が自分を貶めている、辱めている、そんなふうに、思えるんだ。
私はしばし途方に暮れた。途方に暮れて、ただびくびくを見守った。
びくびくは、まさに言葉どおり、びくびくしながら私を遠慮がちに見つめていた。それは奥底で悲しげで。自分なんて消えてなくなればいい、とさえ思っているかのようだった。
だから私は言ってみた。消えてなくなられちゃうのは困るのよ。せっかく会えたのに、あなたに今消えてなくなられたら、私は悲しい。
するとびくびくは、びくっと体を震わせて、私を見た。一体自分に何をしろというのか、という感じだった。そうして思い至った。そういえば、私はいつでも、何かをしなければならない、という状況に在た気がする。幼い頃からずっと、そうだった気がする。いや、気がする、じゃなくて、そうだった。しなければならないことがいつでも在って、だから私はそれを必死にこなして、次々こなしていた。それは自分がしたいことではなく、いつでも、しなければならないこと、だった。でもそれをクリアしないと、私はもっと価値がなくなる、そんな存在だった。存在自体が、危うくなるような、そんなモノだった。
一体誰がそんなレッテルを貼ったのだろう。それは、父母の態度から、私がそう解釈したことだった。
そうしているうちに、したいことなんて、何もなくなった。したいことなんて、何もなくなって、分からなくなった。自分ででさえ、気づけなくなった。なぁんにもなくなって、見えなくなって、私はひとりになったとき、途方に暮れた。
写真。あぁ、写真があるじゃない。私はふと思った。と同時に、写真は私が唯一好きで自分で選んで始めたことだけれど、それさえ、自信があるものではない、ということに。気づいた。
参った。まさに、参った。どうしよう、私ってこんなにも自信のない存在だったんだ、と、改めて思った。びくびくは、その象徴だ。そのことが、嫌というほど伝わってきた。
そこまで思い至って、ふと、気づく。自信って何だ? 今私が自信と言ってきたものは何だ? 他人と比較しての、自信じゃぁなかったか?
そうだ。私は、他人と比較して、比較の上での、自信を、今、思い巡らしていた。でも、それってちょっと違うんじゃないか? 自信って、自分を信じるって書くじゃぁないか。自分を信じる、ということを、私は本当に何も、してこなかったのか?
腕を組んでじっと考える。同時に、びくびくを見つめながら、私はびくびくから伝わるものが何なのかを、感じ取ろうと耳を澄ます。
そうか、私は、何だかんだ言って、自分を信じきってはいないのだ、と、思った。自分で自分のことを、蔑ろにしているのだ、と。そのことに、気づいた。
でも。じゃぁ自分を信じるって、どういうことなんだろう? 自分の一体何を信じればいいんだろう? 私の中に、信じるものなんて、信じられる価値のあるものなんて、果たして存在するんだろうか?
そう思ったら、笑い出しそうになった。なんだ、私はそうやって、ただひたすら自分を貶めているだけじゃぁないか、と、そう気づいた。じゃぁ、私を信じてくれている人たちは、一体何なんだ? 私を信じてくれている人に対して、私は、今、自信なんてこれっぽっちもないし、自分なんて何の価値もないし、役にも立たないのよ、なんて、私は言ってのけられるのか?
ねぇびくびく。私は話しかける。そうでもないかもしれないよ、そこまで、価値のないもの、じゃぁないかもしれないよ。だって、少なくとも今、私を信じてくれている人たちが、数えるほどかもしれないけれども、いるじゃない?
確かに、私が今為していることは、大した価値も何もないかもしれない。社会的に見れば、どうしようもないことばかりかもしれない。でも。
私という一個人を、見てくれている人たちは、少なくとも、いるんじゃぁないか? そういう自分、信じても、いいんじゃないか?
びくびくには、想像もつかないらしい。それほどに、私は自信がないところで生きてきたということか。私はちょっと、恥ずかしくなる。そうか、私はそれほどに。そう思ったら、びくびくに、申し訳なくなる。
自信ってものがそもそも、私にはよく分からない。分かっていない。だから、あなたに説明してあげられる言葉が、何も思いつかない。でも。
またここから、やっていけばいいんじゃないか? 私は生きているのだから、何度でも書き換えは可能なはず。ここからまた新たに、書き加えていけばいいんじゃないか?
びくびくは、まだ消えない。それはきっと、私の中に、不安が残っているせいだと思う。でも、その不安とも一緒に付き合っていけば、それはそれで、何とかなるような気がする。不安であるということに、少なくとももう気づいたのだから。
じゃぁまた来るね、そう言って私は立ち上がる。そうして手を振って、その場を後にする。
自信、という言葉が、私の中ぐるぐる回っている。正直、よく分からない。他人と比較してしまうと、もう私は途端に、木っ端微塵になってしまう。けれど、自分自身を信じるという位置なら、何とかとれるんじゃぁなかろうか。そうも思える。
比較したら、外と比較したら、取るに足らないものばかり。確かにそうだ。どうしようもないことばかりが山積みになっている。でも、それらでさえ、私自身にとっては、価値あるものじゃぁなかったか?
目を開けると、灯りが目を射る。私は思わず手を翳す。
食堂に戻ると、山百合とガーベラとが、そそと立っている。もうそろそろガーベラは終わりかもしれない。花弁の先が丸まってきた。約半月、こうして私の目を楽しませてくれてきたのだから、終わってもおかしくはない。でも、もちろん長くもってくれれば、嬉しい。
お湯を沸かし、お茶を入れる。生姜茶のほんのり甘い味が、私の口の中、広がる。

自転車に跨り、坂を下る。赤信号に変わる間近で横断歩道を渡る。公園の桜には、いつの間にか葉が現れている。あぁ葉桜かぁ、思いながら見上げる。萌黄色の若葉が、薄桃色の花の抱き込むように広がっている。何となく、道明寺が食べたくなる。
池の水面はもう、花びらでびっしり埋まっており。今日もこの公園では花見があるのだろうか。ずいぶんゴミが散らばっている。桜が何となく、かわいそうだ。
大通りを渡り、高架下を潜って埋立地へ。灰色の空は何処までも続いており。川と海とが繋がる場所で立ち止まる。海鳥たちの声が何処からか聴こえる。橋の下に大勢が集っているのに気づく。わさわさと、揺れる羽が、川面に映っている。
さぁ、今日もまた一日が始まる。私はさらに、自転車を走らせる。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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