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2010年08月11日(水)

起き上がり、窓を開ける。薄い雲が空の低いところに広がっている。水色の空は今日も暑くなりそうな気配。私は大きく伸びをして、それからプランターの脇にしゃがみこむ。
ラヴェンダーとデージーの、絡まり合った枝を解く。解きながら、デージーの、茶色くなり始めた花殻をちらちら見やる。茶色く閉じて、固くなってゆくその殻。どのくらいで摘み取ってやればいいのだろう。そのタイミングがよく分からない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。ひとつの蕾がちらちら揺れている。だいぶ伸びてきた根元から芽吹いた枝。私は黄色くなり始めた葉を、幾つか摘む。
パスカリの、根元から二本の枝葉を伸ばし出した樹。横に横に広がってゆくその様は、なんだかとっても不恰好で、ちょっと笑ってしまう。二つの新しい枝葉の先には、ちゃんと蕾が生まれている。
ベビーロマンティカの、一輪の花とミミエデンの一輪の花を切り落とす。ミミエデンは、ちょっと心配だから、葉の裏側を丹念に撫でてやる。ベビーロマンティカは元気一杯、次々新芽を吹き出させている。
ホワイトクリスマスに一つの蕾。マリリン・モンローに二つの蕾。それぞれに天を向いて凛と立っている。その立ち姿に、いつものことながら私は見惚れてしまう。こんなふうにいつも前を向いて、上を向いて、歩いていけたら、どんな心持になるんだろう。
アメリカンブルーは、三つの花を新たに開かせ。ちらちら揺れるその真っ青な色が目に眩しい。もう一度空を見上げれば、水色のきれいな空が、薄い雲を抱きながらきらきら輝いている。
出会ったのは十六の頃、一度縁を断って、そうして再会した友人。その友人が、目の前で顔を覆って泣いている。彼女のそんな泣き方を、私は初めて見る気がする。
人との関係って、こんなにも哀しいものだったんだね。こんなにも重たいものだったんだね。彼女はそう言って涙をぼろぼろと零している。私はじっと、その彼女を見つめている。今彼女の中で、もしかしたらどくんどくんと血が脈打っているのかもしれない、そんなことを思いながら、彼女を見つめている。
誰かと関係を持つとき、いつでもその終わりを考えている。きっと、必ずきっと、終わりが来るのだからと、構えている。その終わりを想像しながら、常に誰かと接している。そんな彼女だった。私との関係でも、いつかきっと私に棄てられる、切られるに違いない、きっとそうだと思って私と接している。彼女には、そういうところがあった。
それが今、失いたくない緒を、彼女は、まざまざと実感していた。それは彼女にとって、多分、初めてに近いことだったんじゃなかろうか。失いたくない、大切な大切な緒を、目の前に見、それを守るために、自分はどうしたらいいんだろうと、足掻いている。誰かを守りたいと思うこと、大切にしたいと思うことが、どれほど重たいものか。それを今、彼女は感じている。
彼女も私も、それぞれ機能不全家族に育った。いってみれば、人生の最初の人間関係で、すでに躓いていた。私は今彼女を目の前にしながら、私にも、最初から終わりを考えて人と面していた時期があったなと、思い出す。どんなに自分が大切に思おうと、信じていようと、人は必ず自分から去ってゆく。去ってゆかないわけがない。そう思っていた。最初から諦め、或る意味放棄して、関係を作っていた。だから人が去っていくときは、あぁやっぱり、と思った。そうやって自分を納得させ、自分を閉じた。自分は所詮、何の価値もない人間なのだから、と、そうやって自分を閉じた。
私がそこから這い出したのは、何がきっかけだったんだろう。改めて考える。
被害に遭い、もう自分を消去するしかない、そう思って何度も試みた。でもそのたび、消せない自分を見せつけられるばかりで。そうしていくうちに私は、生きたい、と、叫んでいる自分を見つけた。消去したいと思うのと同じくらいの強さで、生きていたいんだと叫ぶ自分。それを正面から見るのは、最初耐えられなかった。だから何度も逃げて、自分なんて、と自分を閉じた。でも。
一度見つけてしまった、生きたい、という叫びは、どうやっても私からなくなってはくれなかった。日毎大きくなって、大きく大きくなって、やがて私が、どうやっても目を逸らすことができないところにまで膨れ上がっていった。
あぁもう、私は生きるしかないのだ。そのことを悟った。その時、何かが弾けた。そう、何かが、弾けた。
閉じているばかりだったものが、もう閉じることはできぬと、私を押し出した。生きろ、と何かが言っていた。そして生きることは、関わりをもつことだと、誰かが何処かで私に言っていた。
あれから私の世界は、少しずつ少しずつ色を取り戻し始めた。誰かと関わること、一秒一秒越えて生きること、その繰り返しの中で、いろんなものが鮮やかな色をもつようになっていった。
今彼女の中で、世界はどんなふうに見え始めているのだろう。そう思っていた帰り道、彼女がふっと言った。世界に色がついて見えるみたいだ、と。
見上げる空は鮮やかな水色から、徐々にピンク色に染まり始めており。それは美しいグラデーションを、描いていた。

娘の留守、ハムスターたちは不満を爆発させている。遊んでくれ、外に出してくれ、扉の入り口に齧りついては主張する。私はそのたび、どうしよう、としゃがみこむ。
餌を遣るときはだから、大変だ。ミルクとココアが、出して出してと飛び出してこようとする。唯一ゴロだけが、ねぇ、出してくれるの?というような顔をして、こちらを見上げている。
とにかく三人平等に、と思うのだが、なかなかうまくいかない。私は正直ミルクが怖いし、娘がいないときのココアもかなり凶暴だし。唯一ゴロだけ。
今朝も、とりあえず三匹に、挨拶して外に出る。バスに乗り、駅へ。私は改札口で一つ深呼吸する。そうして改札をくぐり、電車へ。
混みあう電車の中、皆が何となく下を向いている。気だるそうな表情の人が殆どだ。私はドアの端っこに陣取り、身を縮める。できるなら誰とも接触したくない。こういうときは。
その時、娘からメールが届く。おはよー。絵柄もついたメール。こういうのを、あの子は何処で覚えてくるのだろう。私には全く分からない。
娘も向こうで頑張っているのだから、私もしゃんとしなければ、と思う。とりあえず、午前中の授業をこなして、午後は午後で仕事をして。ついでに食事も忘れないようにしないと。
窓の外、ぐいぐいと景色が流れてゆく。ようやく辿り着いた駅。飛び降りるようにしてホームに降り立つ。ここから歩いて十五分くらい。改札口の脇でふと立ち止まる。誰もが一様に、目的地に向かって黙々と歩いている様を、何となく見やる。
さぁ、今日も一日が始まる。私は気持ちを切り替えて、改札口を出る。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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