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2010年05月09日(日)

ひとりの寝床から起き上がる。勢いよく窓を開け、ベランダに出る。
空には高いところにうっすらと雲がかかっているだけで、とても明るい。水色の空がもう見え始めている。風が心地よく流れてゆく。街路樹の若葉も、ひらひら、さやさやと揺れている。その街路樹の足元では、オレンジ色の薄い薄い花びらが、これもまた、ひらひらと揺れている。まるで風が歌っているようだ。そう思った。街はまだ眠りの中。人の姿も車の姿もない。大通りはからんとそこに広がっており。向こうのトタン屋根に今ちょうど朝陽が当たっているところらしく。きらきらきらきらと輝いている。
しゃがみこみ、ミミエデンを見やる。挿し木したミミエデン。色艶が少しずつ戻ってきている。枯れたミミエデンは、何がいけなかったんだろう。うどんこ病だけで駄目になったわけはない。でもその理由が分からない。とにかく今は、この挿し木が無事に育つことを祈るばかり。
マリリン・モンローに病葉を見つける。一枚の病葉。私はそれを摘む。他にはないか、じっと見つめる。今のところはないようだ。ほっとする。蕾はもう先が綻び始めた。本当に僅かだが、綻んでいる。とうとう母の日には間に合わず、母に贈ることはできなかった。昨日電話をした折、母にそのことを詫びた。咲いたら贈るよと言うと、そんなもの自分で楽しみなさいとすかさず言われてしまったが、咲いたら必ず、一輪は贈りたいと思っている。
その隣、ベビーロマンティカの蕾の色がぐいぐいと現れ出している。明るい煉瓦色と濃い黄色が入り混じったような、そんな色味。ちょっと怒っているようにも見えるその色合い。私は試しに尋ねてみる。何をそんなに怒っているの? すると、怒ってなんかないよ!と、すかさず返事が来るような気がする。それを怒ってるって言うんじゃないの?と私は思ったりするのだが、でも、なんだか楽しい。ベビーロマンティカを見ていると、いたずらっ子を思い出す。そういう雰囲気が、この樹にはあるのだ。
ホワイトクリスマスはしんしんとそこに在る。しばらく休憩、といった感じがする。大きな濃緑色の葉が枝から垂れ下がっている。新芽の気配はあるのだから、このまま待っていて大丈夫だろう。
パスカリたちの間、薄いオレンジ色の花を咲かせる薔薇に、病葉を見つける。私はそれをそっと摘んでやる。せっかく広げた葉なのに病葉で摘まれてしまうなんて、樹は思ってもみないんだろうな、と、申し訳なくなる。その隣、桃色のぼんぼりのような花を咲かせる樹の、蕾は真っ白で。私は見る度、どうしていいのかと考え込んでしまう。本当は摘むべきなんだろうと思う。ここまで真っ白なものを残しておくのはいけない。病気が拡がってしまう可能性の方が大きい。それは分かっている。でも、そう、でも、なのだ。どうしても摘むことができない。
玄関に回る。ラヴェンダーの鉢をじっと覗き込む。昨日見つけた芽が、今朝も間違いなくそこに在ることを私は確認する。ぐわんと気持ちが盛り上がるのを感じる。デージーの芽が出たのだ。本当に小さな、爪の先よりも小さいと思われるような双葉が、間違いなくあちこちに出てきている。昨日これを見つけたときは、本当に本当に嬉しかった。もう諦めていたから、尚更に嬉しかった。あぁ、デージーは生きていたのか、と、それが何より嬉しかった。目を凝らさないと分からないほどの小さな小さな芽だが、間違いなく彼らはそこに在り。生きているのだった。
ラヴェンダーの一本が、朝陽を浴びると何故かくたんと萎びてしまう。いくら水をやっても、そうなってしまう。何がいけないんだろう。分からない。片方のラヴェンダーはちっともそんなふうにならないのに、片方だけがくたんと萎びる。何か原因があるに違いないのだが。それが分からない。いきなりぐいぐいと伸びすぎたんだろうか。詰めてやった方がいいんだろうかとも思うのだが、どうなんだろう。一度母に尋ねてみようか。
昨日子ども会の野球チームが集っていた校庭。彼らの走り回ったその汗の痕がそこに在る。それを眺めながら思い出す。娘が、学校の朝練にバスケットで参加したいと言い出したこと。そのことを友人に聴かれ答えたら、陰口を叩かれたと娘がしょげていた。私と一緒にやりたくないんじゃないの、と娘は下唇を突き出して言っていたが、そうなんだろうか。そういえば娘と同じ年頃の頃、私も人の陰口に振り回されていたことがあったっけ。気になって気になって仕方なくて、だから誰もが自分の陰口を言っているようにさえ見えて、毎日が針の筵だった。家にも学校にも居場所がなくて、一体自分は何処へ行っていいんだろうと途方に暮れていた。娘はまだそんなところまではいっていないようだが、大丈夫だろうか。少し心配になる。でも、私が今気にしたって何も始まらない。娘に何か起きた時には私がフォローする。それだけ、だ。私はアンテナを張って、彼女のSOSをキャッチする、それが何より大事なことだ、と思う。
部屋に戻ると、がしがしと籠を齧る音が響いている。近づいてみると、やはりミルクだ。この大きな音は間違いなくミルク。私は苦笑しながら彼女の籠をとんとんと叩く。そういえば昨日安売りしていたキャベツの葉があったと思い出し、私はちぎって彼女に差し出す。途端にがしっと掴みかかり、齧り始めるミルク。本当に食いしん坊なんだなぁと思う。だからこんなにでっぷりと体格がいいんだろう。病気にならなければいいのだが、それだけが心配。
その気配を察して起きてきたゴロとココアにもキャベツの葉を差し出す。ゴロはちょっと齧っただけで、飽きたらしく、後ろ足で立ってこちらを見上げている。ココアはゆっくりと、キャベツの葉を齧っている。三人三様。本当に、人それぞれ、だ。
開け放した窓の際には、昨日洗ったセーターがそのまま干してある。触ってみるとまだちょっと湿っている感じがする。でも今日のこの天気なら乾くだろう。私はそれをそのままに置いておくことにする。
ふと思い出す。昨日届いた手紙に、強い人間というのは、決して弱音を吐かずに前に進んでゆく人間というイメージがする、ということが書いてあった。でも、果たしてそんな人間はいるんだろうか。全く弱音を吐かずに前進だけしていける人間なんて、いないだろうと私は思う。誰にでも弱くなる時期はある。強いときもあれば弱いときもある。それが人間なんじゃぁなかろうか。私はそう思う。
ネガティブにしかなれない時期だってもちろん在る。そういうときこそ、ポジティブな時の自分を思い出すといいのかもしれない。それを思い出して、イメージしてみる。そして、それを辿ってみる。今の自分と比較するんでなく、前向きな自分をイメージして、それがどれだけ自分にとって心地いいことかを思い出してみる。そして、じゃぁ今の自分に何ができるのかなと問うてみる。最近私はそういうふうにしてみるようにしている。それさえできないときがあるじゃないか、といわれるかもしれないが、それさえできないと思う時ほど、イメージしてみることにしている。そして、思い出すようにしてみる。私の中にはそういうエネルギーも在るということを、思い出してみることにしている。自分の中にそういうエネルギーが在ったということを憐憫をもって思い出すのでなく、そういうエネルギーが在ったという事実をそのまま見、大丈夫、今もまだ残ってる、どこかに残ってる、と信じるようにしている。そうすることで私は、ずいぶんと救われる。
でも、そういうふうな心の持ち方ができるようになったのは、はっきりいって最近のことだと思う。長いことそんなふうには考えられなかった。誰が何を言っても、無駄だった。私はもう駄目なんだと、そう思い込んでいる自分が在った。長い長いトンネルの、向こうの出口の光さえ見えない長いトンネルの、闇の中に在た。でも多分、そんな中でも、少しずつ少しずつ、進んでいたんだろう。やがて光が僅かに見えるようになり。そうして今ここに、在る。
私は洗面台に向かい、顔を洗う。鏡の中顔を覗くと、さっき見たデージーの新芽への喜びに溢れている顔が在った。ちょっと笑ってしまう。たったそれっぽっちのことでこんなに、と人には思われるかもしれないが、でも、私にはとてもとても嬉しいことだったんだ、と、改めて思う。
目を閉じ、体の内奥に耳を澄ます。
すぐに、鈍色の痛みが浮かんできた。私はちょっと躊躇する。正直、今会っても、何を言っていいのかが私には分からないからだ。
ただ黙って向き合う。すると、じわじわと何かが伝わってくるのを感じる。
痛みは、私に、おまえはやはり否定している、と言っていた。否定しているということから逃げている、とも言っていた。そうしてただそこに、在った。
私は黙って、その言葉を噛み締めてみた。否定している、否定していることから逃げている。それはどういうことなんだろう。私はしばし、その言葉に体を預けてみた。
ふと思う。母子家庭や父子家庭を営んでいるその人たちは、今たとえばどんなことを思っているんだろう。どんなふうにして家庭を成り立たせているんだろう。
私にとって今間違いなく、一番は娘だ。娘が何とか、生きていってくれることを、願っている。そのことを思ったとき、あぁ、と何かが過ぎった。
そうだ、私は同時に、焦ってもいるのだ。
確かに、私は今一番に娘のことを考えている。私の女としての人生より、母親父親としての人生を一番に考えている。でも同時に、じゃぁ私の女としての部分は、とも、私自身が思っている。そのことに、気づいた。
そうか、私自身がそう思っていたのか、と、私は愕然とした。だから、この痛みたちは、訴えているのだ。私のちぐはぐさを。そのことが、分かった。
私自身が焦っているのだ。勝手に年齢を数えて、娘をひとり立ちさせた後では、もう時間なんてないじゃないか、と思っているのだ、と、気づいた。
どうなんだろう。本当に時間が残っていないんだろうか。
娘が成人する頃、私は五十になっている。そこからまたさらに、私が元気なら、二十年、三十年の時間が残っている。その間を私は、どうやって過ごすんだろう。
そのことがきっと、不安なのだ。私は。不安でたまらないのだ。
私は笑いたくなった。なんだ、私が勝手に不安になって、だから私は今自分の性を否定することで楽になろうとしているのか、と。
いろんなことが在った。私が私の性を否定するしかない、それしか術がないような出来事が多々あった。そういうことを経て、私は否定することに馴れてしまった。否定していることの方が楽になってしまった。そして今、こういう状況の下にあって、さらに私は、今度は自分自身によって否定しようとしているのだ、と。
じゃぁ共存させる方法はあるんだろうか? それは正直分からない。私が女になったらどうなってしまうんだろう、という気持ちの方が大きい。その怖さの方が大きい。だから私は、進むことができないでいるのだ。
私は、黙ってこちらを見つめている痛みを見つめ返し、ぷっと吹き出してしまった。ごめん、笑っちゃいけないと思うんだけど、あまりに愚かで、笑ってしまったよ、と、言った。そう、あまりに愚かだ。私は愚かで、これっぽっちのちっぽけな人間だ。
私は否定していることを認めようと思う。拒絶し、今は楽な方に逃げようとしていることも認めようと思う。それでもなおかつ、今しばらくは、このままで在りたいと思っている自分が在ることも、認めようと思う。そのままに、認めよう。うん、そうだ。
私にはそこまで幅はないから、残念ながらそこまで器用には生きられないから、だからいっぺんにそこまでのことを為すことはできない。残念ながら。
私はあと十年は母親として生きていたいし、そうでなければ一個の人間として、生きていたい。女としての部分は、二の次、三の次、だ。確かに、もうその頃には私の性は失われて、女の部分が空っぽになってしまっているかもしれない。でも。
先のことは、正直、分からないから。今私がどうであるのか、そのことしか、私には今分からないから。今在るそのことを、そのままに認めていこうと思う。
私は痛みたちに、ありがとうと言った。そして、あなたたちが在ることはとてもよく分かった。だから忘れることはない、ちゃんと覚えている。その上で、私は生きていたいと思う、と告げた。
痛みたちはそんな私をじっと見ていたが、すっと後ろへ下がった、そんな気配がした。納得したわけではないんだろうけれど、それでも、私を尊重しようと、すっと後ろへ下がってくれた、そんな気配を感じた。
ありがとう、と私はもう一度言った。ちゃんと覚えているから。決して忘れることはないから、あなたたちの存在を。私は覚えているからね。私はそう言って、また来るよ、と声を掛け、立ち上がった。

お湯を沸かし、生姜茶を入れる。それと一緒に、レモンティーも入れてみる。何となくレモンの味が恋しい。そう思って。せっかくだから仕上げにメープルシロップをスプーン一杯入れて。
ステレオからは、Invitationが流れ始める。その音を聴きながら、私は一本煙草をくゆらす。後方では、まだミルクの、がしがしと扉を齧る音が響いている。

昨日届いた本を鞄と授業のノートとを鞄に入れ、玄関を出る。階段を駆け下り、自転車に跨る。坂を一気に駆け下り、信号を渡る。
公園の緑はどっしりと茂っており。池の端に立つと、千鳥が今日も集っているのが見える。千鳥たちはやけに忙しそうに動き回っている。躑躅の陰に猫が一匹。大きな欠伸をして、また寝転がる。
そういえばこの先には猫屋敷があった。もう猫おばさんはいなくなり、猫屋敷も今は、誰も住んでいない。空き家になっている。空き家になってもう何年経つんだろう。
私は大通りを渡り、高架下を潜り、埋立地へ走る。プラタナスの若葉が輝く通りを一気に走り抜ける。新しく出来た公園、小さな公園、まだ誰の姿もない。
海と川とが繋がる場所、鴎たちが集っている。大きく空を旋回して海に舞い降りる姿。雄々しさをそこに感じる。
さぁ今日も一日が始まる。私は再びペダルを踏み込む。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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