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2010年05月10日(月)

窓を開けると、空の高みにうっすらと雲が広がっている。それは空全体に広がっており、風と共に動いていた。昨日より湿気があるんだろうか、何となく髪の調子がそう言っている。街路樹の若葉がそよよと風に揺れている。私の髪も、風に揺れる。
ふと、先日亡くなった師のことを空に思い浮かべる。厳つい風貌の先生だったが、でもその内面はとても繊細で、柔らかかった。私がまだ虐めに遭っていた頃、その気配を一番に察してくれたのもその先生だった。直接担任になったことはなかったが、部活で顧問だった。短い期間だったが、それでも印象に残っている。もう、こうやって見送るばかりの時期に私もさしかかっているのだな、と、改めて思う。そういえば若い頃は、多くの友人を自殺で失ってきた。どうしてそんなに多くの人がと思うほどの数だ。それらはいってみれば、暴力的な死だった。でも何だろう、こうやっておのずと迎える死というのは、なんて自然なんだろう、と思ってしまう。穏やかな、時の流れを感じる。
私はしゃがみこみ、ベビーロマンティカを覗きこむ。五つの蕾が、膨らんで膨らんで。今、その一番最初の蕾が綻び始めている。明るい明るい煉瓦色。ちょっと黄味がかっている。葉の柔らかな色合いに反して、このベビーロマンティカの花の色は、どういったらいいのだろう、なんというか、しっかりしている。しっかりと、厚い花弁だ。そこからはバロックの旋律が淡々と流れ出してきそうな、そんな気配。
その隣で、マリリン・モンローも花びらを綻ばせ始めている。まだまだほんのちょっとだが、それでも綻んでいる。薄いクリーム色の花びらの先はもう、ほんのり朱色がかっている。最初の蕾だからなんだろうか。時折こういう具合になる。
ホワイトクリスマスはその隣にしんしんと立っている。新芽の気配はあるものの、しばし沈黙、といったところか。でも何だろう、ベビーロマンティカやマリリン・モンローに比べたら今、葉の茂り方も何も貧相なのだが。それでも、ホワイトクリスマスには気品がある。凛とした気品が。私はそれが何より好きだ。
パスカリたちは、まるでこのところ続いている強い陽射しに縮こまっているかのよう。新芽を出してきてはいるけれど、それでもこじんまりしている。この季節の、この陽射しの強さに閉口している、といった感じ。私はそばに挿してある液肥の量を確かめる。大丈夫、ちゃんとある。
桃色のぼんぼりのような花を咲かす樹の、根元の蕾。相変わらず真っ白に粉を噴いている。それでも摘めない私は何なんだろう、とふと思う。こんなにも明らかに粉を噴いているというのに。無駄と分かっていながら、指先でそれを拭ってやる。それで病が治るわけでもないということは百も承知で。
玄関に回り、ラヴェンダーのプランターを覗き込む。大丈夫、デージーの芽はちゃんと在る。私はほっとする。まだこうやって覗き込まなければ分からないほどに小さい芽だが、それでもちゃんとここに在る。まだ広げた葉先に、種の殻をつけているものもいたりして。本当にかわいらしい。その横でラヴェンダーは、風にさややと揺れている。こんなにも新芽をくっつけて、疲れているだろうに。それでもラヴェンダーのその枝は、必死に体を支えている。このエネルギーは一体何処から来るんだろう。見習わなければ、と思う。
風を受けながら振り返り、校庭を覗き込む。幾百幾千の足跡がそこに在る。昨日は野球チームの練習日だった。だからだろう、大きく滑り込んだような痕も残っている。そういえば娘は、野球の練習をここから眺めるのが好きだと言っていた。好きな男の子たちがこぞって野球チームに参加しているからかもしれない。いつも時間があるときは、ここから応援している。私はそんな娘の後姿を、眺めている方が好きだったりする。
部屋に戻ると、Elegieが流れ始めている。私の足元で、何かが動く。ゴロだ。おはようゴロ。私は声を掛ける。ゴロはその声に反応し、こちらを見上げてくる。なんだかほっぺたの様子が妙だ。多分ひまわりの種をいっぱいに詰め込んでいるんだろう。私はつい笑ってしまう。ゴロは扉を開けてもまだ自分では出てこない。だから私はそっと扉を開けて、彼女の頭をこにょこにょと撫でてやる。娘がよく最近言う、ママはゴロばっかり構って、ゴロにえこひいきしている!と。そうかもしれない。正直、ミルクは怖いのだ。すぐ噛み付いてくるから、それが怖い。娘の手に乗っているときにミルクを撫でるのは全然平気なのだが、私が進んで彼女を手のひらに乗せるかといえば否だ。ココアはココアで、しょっちゅう眠っているから、どうもタイミングが合わない。そうなると、つい、こうやって声や音に反応して出てくる、噛み付かないゴロばかりを、構ってしまうということになる。そうやってえこひいきするから、ミルクは余計に噛むんだよ!と娘は言う。確かにそうなのかもしれない。そうなのかもしれないが、ミルクの噛みは強くて、流血せずにはいないから、余計に私は怖気づく。申し訳ないと思いつつ、つい。
ふと見ると、机の上に、紙切れが載っている。つまみあげてみると、それは娘からのメモだった。「ママ、母の日、何もできなくてごめんね。いつもありがとう」。そう書いてあった。あぁそうか、昨日、私が母に、私と娘からだよと、ガーベラを贈ったから、彼女はまずいと思ったのかもしれない。でも、お小遣いも何もまだあげていないのだから、何かをプレゼントするなんてまだ娘にはできない。だからこういう、言葉だけで、もう十分なのだ。私は娘の寝顔を見ながら、ありがとね、と声を掛ける。
洗面台に行き、顔を洗う。毎朝見ている顔だけれども、どうも馴れない。自分の顔なのだけれども、できれば自分の顔じゃない、と思いたいのかもしれない。鏡の中の顔は、そんなことを言っているかのようだった。私はおまえの顔じゃぁない、と。でもそれは間違いなく私の顔のはずであり。私は苦笑する。
目を閉じ、体の内奥に耳を傾ける。
私はあの痛みたちの気配を再び感じ取る。でも何だろう、先日感じたような躊躇は、もうなかった。だから私は躊躇いなく、彼女たちに挨拶をする。そうして傍らに、座り込む。
鈍色の痛みたちは、少し軽くなって、そこに在った。私を待っているわけでもなく、でも、やっぱりどこかで待っていたのかもしれない。じっとそこに、在った。
私は、ちょっと考えていたことを、口にしてみることにした。
あなたたちの居場所を、作ろうと思うの。そんなふうに痛んでいるのは、疲れるんじゃないかと思って。ううん、私が、疲れるの。だから、あなたたちの居場所を作って、あなたたちにそこに居てもらおうかと思って。どうかな?
私はまだあなたたちに、直接触れられるほど、強くはないから。だから、あなたたちを包装紙に包んで、しまっておきたいの。あなたたちを忘れるというのではなく、ちゃんとあなたたちはここに在って、そのことを私もちゃんと覚えていて、でも、お互いに痛くないようにしたいんだけど、どう?
痛みたちは、何も言わない。言わないで、私を見ていた。私を試しているようだった。
包装紙でも布でもいいの。そうやって大事に包んで、私はこの肩の辺りの棚にあなたたちをしまいたいのだけれども、どう?
それでも痛みたちは何も言わない。黙っている。そうして私を見つめている。私も彼女たちを見つめている。
私は試みてみることにした。イメージした。彼女たちを包んで、そっと包んで、しまいこむイメージ。そうして肩の、この辺りの奥に、そっと置いておくイメージ。
適当な距離を、もちたかった。そう、適度な距離。あなたたちと私の間の、適度な距離を。今の距離はちょっと近くて、だから私は、息苦しくなってしまうから。適度な距離をもって、時間をもって、そうしてあなたたちをちゃんと見つめていたいから。
すると、ふっと痛みが軽くなった。軽くなって、私の手を離れ、棚の奥にしまわれた。
ありがとう、と声を掛けた。私はあなたたちを忘れはしないし、また会いに来るし、だからここに在てね。そう声を掛けた。
そうして私は、その場を離れることにした。
次にふっと浮かんできたのは、穴ぼこだった。穴ぼこが、まるで何かを歌っているかのようだった。私は耳を澄ます。何の音だろう、何の言葉だろう。
穴ぼこが、さみしいよぉ、さみしいよぉ、と歌っていた。私は吃驚した。何故穴ぼこがさみしいよぉ、などと歌うのだろう、と思ってしまった。思って、はっとした。
そうか、長いこと会いに来なかったから、穴ぼこはまた、自分がひとりぼっちにされたと思ってしまったんだ、と気づいた。あぁごめんなさい、と私は詫びた。
そんなつもりはなかった、あなたを放っておくつもりはなくて。ただ、ちょっと立て込んでいて、あなたに会いに来れなかっただけで。あなたを忘れたわけでは、全然ないんだよ。私は言った。穴ぼこは、しくしく、と泣いていた。彼女が泣くにつれて、胃の辺りがしくしくと痛んだ。
でも。何だろう。同時に私は嬉しくもあった。そうやって泣けるって、どれほど幸せなことだろう、と思った。
子供の頃、私は、そうやって泣くことなんてできなかった。いつでも強く、優秀で、立派な父母の子でいなければならなかったから、さみしいと泣くことなんて、冗談でも赦されなかった。子供じみた真似なんて、父も母も好かなかった。
いつでもだから、背伸びしていた。私は背伸びして、先を先を生きていた。そうやって走って走っていかなければ、到底追いつかなかった、父母の望む像には、とてもじゃないが追いつかなかった。
でも。もうそんな必要は、ない。あなたは子供らしくあっていいし、泣いても笑っても、そんなこと自由にやっていいことで。
私は穴ぼこにそっと手を添えた。しくしく泣く穴ぼこを、そうやって撫ぜた。穴ぼこは、冷たく冷え切っており。でも、生きているのだな、と思った。
自分の中に潜んでいるこういったものたちを、私は慈しまなければいけないな、と思った。いや、それは義務ではなく。決して義務ではなく。でも、私こそが為さねばならぬことなのだな、と思った。
穴ぼこが泣き止むのを待って、私は言った。大丈夫、また来るよ。そう言って、手を振って、別れた。

じゃぁね、それじゃぁね。あ、その前に、チュー! ええっ、やだよ、あなたのチューは、チューじゃなくてぶちゅーなんだもん。なんでよぉっ、いいじゃんいいじゃん! じゃぁぶちゅーじゃなくてチューにしてよ。やだ。やだじゃないってばぁ。
笑いながら別れる。私は階段を駆け下り、バス停へ。空は薄く霞んでいるが、それでも明るい。涼やかな風が渡っている。
連休がようやく終わって、駅の様子も普段に戻ったようだった。制服を着た子供らの姿も多い。私はその間をぬって先を急ぐ。
今日は病院。そういえば、病院に何も期待しなくなって、どれくらい経つんだろう。昔の私は、病院が支えだった。週に一度、二度、病院に駆け込んで、悲鳴を上げる。それが、日課のような日々もあった。今思い出すと、ちょっと恥ずかしくなる。
川を渡るところで、本から目を上げる。川は朗々と流れ。今陽射しがこれでもかというほど川に燦々と降り注ぎ。川は白銀色に輝いている。
さぁ今日も一日が始まる。私は再び、本に目を戻す。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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