2010年08月09日(月)
悶々としながら夜を過ごす。慣れているつもりだったけれど、それでも割り切れないものを感じる。
あまりに割り切れず、親友に打ち明ける。或る人に、こんなことを言われたのだけれども、と。それは、あっけない一言で。「いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ」と。
いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ、と、それはどういう意味なんだろう。私は別に、今常に、私は被害者ですという看板を背負って歩いているつもりはないし、私にできることをひとつずつ重ねていっている、ただそれだけのつもりだ。それだけのつもりだった。でもその人は、私の左腕の、夥しい切り痕を見、そう言った。
この傷痕が、そんなにもその人を不快にさせたのかと思うと、ぞっとした。私にとってこれはもう私の一部であり。皮膚移植でもしない限り、消えない痕であり。どうしようもない痕。それを、「いつまでも被害者ぶってるんじゃないよ」と言われて、私はどうしたらいいというんだろう。
友人が、私に、そういう人とは縁がなかったと思えばいい、と言ってくれる。あなたは何も悪いことはしていない、と言ってくれる。それを聴きながら、ふと、思った。この腕が、この傷痕が、娘にとってもその足をひっぱる要因になってしまうのだろうか、と。これから先、ずっとついてくるこの傷痕。私にとっては別にそれはどうってことはない。でも。将来のある娘にとって、それが足枷になるのかと思ったら、がくんと落ち込んだ。
でも。じゃぁ今私に何ができるだろう。私に出来ることは、ただ、堂々とこの人生を歩いてゆくことだけだ。それ以外に何もない。凛として、しゃんとして、歩いていくだけ。
二晩ぐでんぐでんに悩んだけれど、結局そこに行き着く。今私ができることは、やっぱりそれだけなんだ、と。
夜中から降り出した雨。ベランダに出ると、アメリカンブルーが濡れながらも六輪も咲いている。この灰色の空の下、明るい明るい青い澄み渡るような色味。なんだか見つめていると、ほっとする。
ミミエデンも咲いた。ちっちゃなちっちゃな花だけれども、きれいなピンク色を見せてくれている。そしてその隣では、ベビーロマンティカがこれもまた、花を開かせている。
ふとホワイトクリスマスを見て、驚く。新芽の間から、くいっと花芽が顔を持ち上げている。いつの間に。こんなにしっかりとした蕾をつけていたとは。嬉しい。とても嬉しい。そしてその隣のマリリン・モンローは、あちこちから新芽を吹き出させている最中で。こちらもまた、忙しげに動き始めている。
いろんなものがこうやって、毎日毎日変化してゆく。止まっているものは何もない。私もまた、少しずつ少しずつかもしれないけど、やっぱり変化し続けているに違いない。そう信じたい。
部屋に戻り、起きだしてきているミルクに挨拶する。おはようミルク。ミルクは必死な形相で、遊んで遊んでと言っている。私はこわごわながらも、ミルクを手のひらに乗せてやる。途端にあちこち動き回り始めるミルク。お嬢がいれば、たっぷり遊んでもらえるのにねぇ。私は声を掛ける。ひとしきり私の足や肩を登ったり降りたりしていたミルクは、いきなり私の指を噛む。甘噛みだったけれど、噛んだら終わりよ、と私は声をかけ、彼女を小屋に戻す。
それを見ていたココアが、こっちも遊んで、とかりかり扉を齧ってみせる。おはようココア。私は苦笑しながらココアを抱き上げる。ココアは肩に乗せておけば大丈夫。私は、乗せたまま、洗い物を始める。娘も留守だから、洗い物といっても、私のいつも使うマグカップとおちゃわん二つきり。あっという間に終わる。ココアが私の耳たぶをちょこちょこ手でいじっている。くすぐったいよ、と笑うと、きょとんとした目でこちらを見上げている。さぁそろそろおうちに戻ってね。私はココアを小屋に戻す。ゴロはぐーかー眠っているのか、出てこない。
私はとりあえずいつものようにお湯を沸かし、生姜茶を入れる。生姜茶のパックも、あと三つきりになってしまった。これがなくなったら、一体私は何を飲めばいいんだろう。私は首を傾げる。飲みたいものが、まだ見つからない。
マグカップを持って、椅子に座る。煙草に火をつけ、雨がまだ降る外を見やる。じきに止むんだろうか。でも、もう南の方では台風が発生したそうで。天気予報がそれを知らせる。もう台風の季節なんだな。なんだか実感がまだ沸かない。
西の町、友人のところに昨日、ようやく子猫ちゃんがやってきた。友人の喜ぶ顔が目に浮かぶ。私はほっと胸をなでおろす。
猫を探しての日々、あっという間のようで、でも、長かった。どうして、と思うことに何度も出会った。でも。諦めなくて、本当によかった。
応援してくれた人たちに、改めてお礼を言わなければ。今日にでも、手紙を書こう。
朝、これもまた西の町に住む友人から電話が入る。彼女と冗談交じりに、こんなことがあったよーと私の失敗話を話すと、友人がばっさり言う。うん、あんたの腕の傷は、確かに怖いかもしんない。初めて見る人には、刺激的すぎるかもしんない。言われて、私も大笑いしてしまった。そうか。そうなのか。笑いながら、涙がぽろり、一粒零れた。
私には、そうすることでしか、越えてこれない道があった。でも、それは私にとって、であって、他の人から見たらどうかは、また別なんだよな、と、納得する。
でもあんた、そんな奴、ほっぽっておいていいわよ、と友人が電話越し、これもまたばっさりと言う。
ふと先日届いた入院中の友人からの手紙を思い出す。その手紙には、生きていると本当にいろいろあるね、と書いてあった。まさにそうだ。生きてると、実にいろんなことがある。ありすぎなほど、ある。それでも。
それは生きているから味わえることで。だから、一日一日、生きていられることに、私は感謝したいと思う。
迷った挙句、自転車を諦め、バスで出かける。バスの中、何故かみんな虚ろな目をしている。私はおずおずと、席に腰かけ、窓の外をぼんやり見やる。
すぐ海へ繋がる川の水が、泥水のような色になっている。昨日の激しい雨のせいなんだろうか。それにしたってこの色はどういうことだろう。私は呆けながらしばしその川の水の色に見入る。
それでも川は、滔々と流れ続け。とどまることなく流れ続け。海へと至る。海はそんな川の水を、きっと拒むことなく受け入れ、懐に抱きとめるに違いない。
そんなふうな人間になりたい。私は、じっと流れ続ける川を見つめながら思う。
さぁ、今日も一日が始まる。しゃんと背筋伸ばして、歩いていきたい。
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