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2010年09月12日(日)

娘の居ない夜。本棚を整理していたらあっという間に時間が過ぎた。気づけば真夜中。開け放した窓からは、遠いけれども虫の音が響いてきている。蝉の声が止んだと思ったら今度は虫の音。夏と秋の境目がそこに在ったんだなと思う。
横になる前に、ミルクたちに挨拶を。と思ったら、ミルクはちょうど回し車のところにひっくり返っており。まさに腹を出して寝ているといった具合で笑ってしまう。ゴロは最近、人の気配を感じると、ちょこちょこと扉のところに出てくるようになった。そして、出して、出して、と扉を叩く。ミルクやココアとの違いはそこ。齧るのではなく、小さな小さな手で叩く。ココアはじゃぁどうしているのだろうと思ったら、ちょうど砂浴びをしているところで。彼女はとても清潔好きなのだ。抱っこされた後、ご飯を食べた後、必ず砂浴びをする。私はふと思いついて、乾いたクランベリーを一粒ずつ差し出す。すると、とても上手に三人とも食べてゆく。あらまぁ、こんなものも好きだったの、と思わず声に出してしまう。娘が帰ってきたら教えてやろう。
シャワーを浴びて横になる。洗い立ての髪の毛は、ふわりとしていていつもよりずっと軽く感じられる。腰より伸びているというのに、この軽さ。ちょっと不思議。
夕方からしくしく痛んだ胃もだいぶ治まった。なんであんなに痛かったんだろう。しかも、胃に悪いというロキソニンを飲んだら治った。ちょっと謎。
うとうとしている間に気づけば四時半。起き上がり、窓からベランダに出る。薄い薄い、本当にヴェールのように薄い雲が空に広がっているが、きっとあっという間に晴れてゆくだろう。そんな気がする。白み始めた空。紺色をたっぷりの水で溶いて流したような色合い。
ふと見ると、デージーの一房がぽてっと足元に落ちている。まだ触っても何もいないのにどうしたのだろう。でも、こういうことが時々ある。何故か、数本ずつまとまって、抜けているということが。それはすっかり褐色になり、もう終わったよと言っているかのよう。私は、お疲れ様、と小さく声を掛ける。
吸血虫にやられたパスカリ。新芽は一通り出てきたけれど、本当に弱々しい。もう一本のパスカリの新葉と比べても、間違いなく葉が薄くて。大丈夫なんだろうか。それでも、新芽を出してきてくれるのだから、今一生懸命踏ん張っている最中に違いない。
桃色の、ぼんぼりのような花を咲かせる樹。今あるのはみっつの蕾。ひとつが綻び始めている。そして、前へ前へと新しい葉を伸ばしている。
横に広がって伸びているパスカリ。もしかしたらこちらの枝にも花芽がついたかもしれない。私はじっと一点を凝視する。多分、そうだ。蕾だ。まだ本当に小さいけれど、きっと。
友人から貰った枝を挿したそれは、それぞれに紅い新芽をぐいぐい出してきている。そして蕾がひとつ。まだ何色かは全く分からない。
ミミエデン、ひとつの蕾が綻び始めた。真っ白な外側の花弁から、内へいくほど濃く現れるピンク色。そのグラデーションは見事で。思わずしばし見惚れてしまう。
ベビーロマンティカは幾つもの蕾が明るい煉瓦色から濃い黄色へ徐々に徐々に変化しようとしている。黄色といってもそれは、まろやかな色合いで、デージーのそれとは全く異なる。ぽん、ぽん、ぽん、と丸い蕾が幾つも。見ているとそれは音符のようで、楽しくなってくる。
マリリン・モンローはふたつの蕾を今日も大事に抱えており。ひとつの蕾がクリーム色の花弁を少し見せ始めた。そして体のあちこちから、紅い新芽を吹き出させており。マリリン・モンローもこの夏を無事に越えて、今、元気いっぱいというところなんだろうか。
ホワイトクリスマスは、新芽をひとしきり出して、紅色の縁取りが取れてきた。今はこの新芽たちに集中して力を込めているのかもしれない。
そしてアメリカンブルーは今朝、ひとつきり、花を咲かせてくれた。真っ青な花がしんしんと立っている。風もない朝。
私は部屋に戻り、お湯を沸かす。ポットいっぱいに今日もふくぎ茶を濃い目に作る。昨晩のうちに作っていたものはそのまま冷蔵庫へ。今、三つのポットを順繰り使っているが、本当にあっという間になくなっていく。私が飲みすぎなんだろうか。それとも、それだけ今年の夏が暑かったということなんだろうか。
最初ひとつに結って下ろしていた髪の毛だが、やっぱり暑い、ひとつに丸めて留めてしまうことにする。
お茶を入れたカップを持って机へ。椅子に座りPCの電源を入れる。大事なメールが幾つか届いている。ひとつひとつに目を通し、今返事を書けそうなものは書いてしまうことにする。
それにしても。私は窓の外の街路樹を見ながら耳を澄ます。風がぴたりと止んでいる。そよとも吹く気配がない。どうしたんだろう。

幼馴染に誘われて、写真を撮りに出掛ける。何度も道を間違えて、結局目的地に着くのに二時間以上かかってしまった。二人して苦笑しながら、ゆっくり歩き始める。小さな小さな漁港。幼馴染には言っていないが、その昔、そう私が中学生の頃、何度かこの辺りまで学校をさぼりにやってきたことがある。その頃と、殆ど変わらない景色。
小さな猫が三匹、こちらをじっと見つめている。こんにちは、と挨拶すると、一匹が警戒したのか、にゃぁっと啼いた。でも、逃げる様子はない。私は小さく笑いながら、その場をそのまま通り過ぎる。奥へ奥へ。船が泊まっている辺りを過ぎて、さらに海の方へ。満潮の時刻が近いのか、波がすぐそこまで打ち寄せてくる。その合間合間を飛んで、岩のてっぺんへ。見下ろす景色は、青一色で。私はしばし、カメラを弄るのを止めて、辺りの景色を眺める。
こうやって、景色の色が見えるようになったのは、いつの頃からだったろう。事件に遭って、しばらくして、気づいたら世界から色が消えていた。一切の色が消えてしまった。そうして何年過ごしたか。すれ違う人、人、人、みんな、のっぺらぼうに見えた。時折口だけ見える人がいたけれど、そのくらいで、たいていはのっぺらぼうで。そうか、娘を産んでしばらくした頃から、のっぺらぼうが表情を持ち始めたんだった。そして離婚してしばらくして、徐々に徐々に、世界に色が戻っていった。今は時折、こうやって色の洪水に呆然とすることさえある。そういう時は、カメラは敢えて持たないのがいい。
帰り道を波で塞がれてしまう前にと、慌てて岩場を下りてゆく。それでも遅かったのか、サンダルを少し濡らしてしまった。まぁこのくらい、少しすれば乾くだろう。
漁師さんが何人か、地べたに座っておしゃべりしている。頭を下げて通り過ぎようとしたら話しかけられ。気づいたらあれこれ話しこんでしまっていた。ふと気配を気づいて振り向くと、幼馴染が呆れた顔をしてこっちを見ている。それじゃぁまた!と漁師さんに手を振って幼馴染と合流すると、まったく誰彼構わず仲良くなっちゃうの、やめなよ、と笑われる。
帰り道は楽チンだった。さすがにあれだけ道に迷えば、帰りはもはや迷うところは残っていないといった感じで。それでも気づけば辺りはもう夜で。駅前で解散。

夜、娘に電話を掛けると、何故かぶぅたれている。どうしたの? 尋ねても返事をしない。無言のままばばに電話が変わられてしまう。どうしたの? あなたからの電話がいつもより遅いって怒ってるのよ。あぁ、ごめん、おなか痛くて、電話掛けるの遅くなっちゃったんだよ。そうなの、じゃぁしょうがないわね。ごめんごめん、言っといて。わかった。電話を切って、娘の机を何となく眺める。足元に何本も鉛筆が落ちている。私は一本一本拾って、わざと娘の机の真ん中に置いておくことにする。帰ってきたら、机の下に落ちたものはちゃんとその都度拾いなさいと言わなくちゃ、なんて考えが頭を過ぎる。まぁ私が言ったからとて、すぐやってくれる娘じゃぁないことはこちらも承知の上なのだが。

朝、いつもより早めに家を出る。カメラを持って。久しぶりにこの辺りを撮りたくなった。東から長く伸びてくる陽光のせいで、影が長い。私は自然、その影を追いかける形になる。校門から伸びる影、裏門から伸びる影、大きな大きな柳の樹から伸びる影。そして気づいたらもう公園の前へ。
いつも自転車で上がるのと逆側から、階段でゆっくり上る。すると、猫が一匹、白地に黒ぶちの猫が一匹、でーんと階段のてっぺんで横になっている。ちょっと失礼するよ、と断って、階段の端を歩く。猫はびくともしない。ただ顔だけはこちらに向けて、じっと私を観察している。何もしないよ、と苦笑しながら手を振って別れる。
池にはアメンボがたくさんいて。光を受けて輝く部分と、影になって黒々と光る部分と。その狭間をアメンボが行ったり来たり。
そうして大通りを渡り、高架下を潜ろうとするところで、警察官二人に呼び止められる。何してるの? 写真撮ってます。こんな時間から? はい。気をつけてね。はい。それだけ言って去って行ってしまった。何がしたかったんだろう、私は首を傾げる。そもそも私は警察官が苦手だ。好きじゃない。何となく嫌な気分になって、それを振り払うように銀杏並木を見上げる。黄緑色になり始めた樹と、まだまだ青い葉の樹と。入り混じって立っている。
横断歩道を渡り、左へ折れる。自転車で走るのと歩くのとではこうも違って見えるのかと、改めて辺りをゆっくり見回す。気づくと背中から汗がたらたら垂れている。振り返ると朝日が煌々と輝いており。空はもうすっかり水色で。
さぁ、今日も一日が始まる。私は、カメラを抱えながら、真っ直ぐ歩いてゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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