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2010年06月25日(金)

真夜中に目を覚ます。寝床でしばらくじっと身を潜めている。何となく、そうしていたかった。娘は珍しく、枕に頭を乗せてくーかー眠っている。こんな日もあるんだな、なんて、ぼんやりと思う。
起き上がり、窓を半分開ける。すっと冷気が忍び込む。こんな夜でも風は吹くのか、と、ぼんやり思う。お湯を沸かし、レモン&ジンジャーのハーブティーを濃い目に入れてみる。一口啜ると、強いジンジャーの味が口の中に広がる。
灯りの代わりに、蝋燭をつけてみた。会津で買った花の絵の描かれている蝋燭。長いこと使わずにしまい込んでいたが。こんな夜は、ちょうどいいかもしれない。
蝋燭の火を使って煙草に火をつけてみる。母の言葉がふっと浮かぶ。大叔父や叔父が癌になったのだって煙草のせいでしょう、それなのにあなたはまだ煙草をやめないの?! 確か二月か三月頃、そう言われた。叔父も大叔父も、煙草が大好きな人だった。私はふぅっと煙を吐き出してみる。大叔父のように輪っかは作れないけれども。
大叔父が亡くなった。あっけない最期だった。脳溢血で倒れたという知らせから一日、経つか経たないかで、次の知らせが飛んできた。亡くなった、と。
明るい人だった。いつもユーモアに溢れ、私や弟を笑わせてくれた。車を運転することが大好きで、大叔母が元気だった頃は、日本中を走って回っていた。その大叔父が、死んだ。
私と弟のことを、いつも気に懸けてくれている人だった。あの父母に、私たちのことで食ってかかってくれたのも、大叔父だった。そんなんじゃいつか二人は駄目になってしまう、どうしようもなくなってしまう、こんなんじゃいけないんだぞ、と、父母を怒鳴りつけたのは大叔父ただ一人だった。そのことがあって、しばらく縁遠くなった時期もあったけれど、それでも大叔父や大叔母はまたやって来て、私たちに笑いかけてくれた。大叔母は精神科の看護婦長をやっていたこともあり、私が病んでゆくのに気づいて、二人していろいろ心配してくれた。でもあの頃私は、全くそれらに応えることができなかった。今更ながら悔やまれる。そうしているうちに今度、大叔母が病に罹り、戻らぬ人となり。そして今、大叔父が。
何の恩返しもまだ、私は彼らにしていない。していないうちに、彼らはこうして逝ってしまった。今まだ、私には涙さえ、ない。
何だろう、私はまだ、彼らがどこかで生きているように思えて仕方がないのだ。ちょっと旅行に行ってくる、と、二人してドライブに出かけたような、そんな気がして仕方がないのだ。それは私の勝手な、妄想だと分かっていても。
私はもう一本、煙草に火をつける。窓を思い切り開けて、風を部屋に呼び込んだ。そうして天井を見上げながら、煙草を吸った。
すべてが遠くなる、そんな気がした。いろんなものが遠くなってゆく、そんな気がした。何が、と言えないのがもどかしいけれども、ありとあらゆるものが、遠くなってゆく、そんな気が、した。
弟と二人、毎晩のように私の部屋でこっそり、飲んで語り合った場面が思い出される。弟の作る酒を酌み交わしながら、私たちは朝まで語り合った。その時よく、大叔父の話が出た。もし大叔父がいなかったら、と。大叔父がいなかったら、私たちはどうなっていただろう、と。
あの笑顔に何度、どれほど、救われてきただろう。おうっと手を上げて車を降りてくる大叔父の姿に、何度私たちは励まされただろう。あぁ来てくれた、大叔父がいる間は大丈夫だ、と、そんなことを思った。縋るように、思った。
私がだいぶ元気になり、娘を連れて叔父の家でみんなが集まったとき、大叔父が、よくまぁここまで大きくなれたもんだ、と、私に笑いかけた。私の娘を叔父が膝に抱きながら、大叔父がへたくそな手品を披露してくれていた。
すべてが懐かしい、でももうはるか遠い、昔の出来事のようで。手を伸ばしてももう、届かないのだった。
長い蝋燭も、消えかかり。私はふっと、息を吹き消してその火を消した。もう空は十分に明るかった。
ベランダに出、大きく息を吸う。いつものようにラヴェンダーのプランターの前にしゃがみこむ。茶色くなった枝。もう新芽も茶色くなり。完全に枯れてしまった。それが分かっても、私はそれを抜くことができないでいる。いずれ抜かなければならない時期が来るだろう。それまでは、そっとそこに挿しておこうと思う。
デージーはこんもりと葉を茂らせ。まるで絵本の中の世界の枝葉のようだ、と思う。明るい黄緑色のその葉の下には、誰かがこっそり隠れているんじゃないかと思えるような、そんな感じ。
沈黙していたパスカリから、少しずつ少しずつ新芽が顔を出してきている。紅い紅い新芽。まだ葉は開いてはなくて閉じているのだが。今のところ、白い粉は噴いていない。
ミミエデンは病葉に塗れながら、それでも必死に立っている。私はそっと指で葉の白い粉の痕を拭う。歪んだ葉の形が痛々しい。
ベビーロマンティカは今朝もくすくすと笑っているかのようで。四つの蕾のうち、二つが花開いた。もう切ってやらないといけない。そう思いつつ、今朝はそれをする気持ちになれない。帰ってきたら切ってやろうと思う。
ホワイトクリスマスはただじっと、じっとそこに在り。まるで私の様子を見つめているかのようで。私が見つめているのに、そのまま見つめ返されているかのようで。私は一瞬下を向いてしまう。
マリリン・モンローの蕾はただまっすぐに、ひたすらまっすぐに天を向いて立っている。もうじき咲くんだろうその花。先が綻んできている。濃いクリーム色がこの空の下、鮮やかに映える。
私はマリリン・モンローの蕾の脇にしゃがみこみながら、空を見上げる。晴れろ。今日は晴れろ。思い切り晴れて、大叔父を見送らせておくれ。

帰って来た娘に、大叔父が亡くなったことを告げると、娘はいきなり問うてきた。ママ、なんでそんなあっけらかんとおじさんが死んじゃったって言うの? え? だってあんまりにもあっけらかんと言うから。じゃぁどう言えばいいの? うーん、もっとこう、考え込んでっていうか、いや、まぁいいんだけど。考え込んで、静かに、おじさんが亡くなったよって言ったら、ママの気持ち、伝わるのかしら? うーん、分かんない。ママも、どういうふうに言えばいいのか分からないのよ。悲しいんだけど、まだ実感が沸かないの。おじちゃんはどこかに生きていて、こっち向いて笑ってるみたいな、そんな気がしてならないの。ふーん。
ねぇママ、おばちゃんの時みたいに、おじちゃん、冷たくなってるの? え、あぁ、そうだねぇ、人間死んじゃうと、冷たくなるねぇ。冷たくなって、固くなるんだよね。そうだねぇ。真っ白にもなっちゃうよねぇ。そうだねぇ。どうしてそうなるんだろう? 分かんない。どうしてそうなるんだろうね。でもさ、みんなでお見送りすれば、元気になるよね。え? だから、みんなで笑ってお見送りすれば、死んだ人も元気にあの世にいけるんでしょ? あ、あぁ、なるほどねぇ、そっかぁ。そうだねぇ。そうかもしれない。

「生きていながら死ぬことは可能でしょうか。ということは、死んで無になるという意味なのです。すべてのものがより以上のものになろうとしたり、またそれに失敗したり、すべてのものが出世し、到達し、成功しようとしているような世界で生きていて、果たして私たちは死を知ることができるでしょうか。すべての記憶を清算することはできるでしょうか。それは事実や、あなたの家の道順などについての記憶のことを言っているのではありません。それは記憶を通しての心理的な安全に対する執着や、あなたが今までに蓄積し貯えてきた記憶で、その中にあなたが安全や幸福を求めているような種類の記憶のことなのです。そのような記憶をすべて清算して片付けてしまうことはできるでしょうか。ということは、明日新しく生まれ変わるために、毎日毎日死んでゆくという意味なのです。そのときに初めて、私たちは生きていながら死を知ることができるのです。そのような死と、持続の終焉の中にのみ新生と、永遠のものである創造が生まれるのです」

じゃぁね、それじゃぁね、また後でね。手を振って娘と別れる。ふと思った。これがもし最期のじゃぁねだったら、私は一体どうなってしまうんだろう、と。
娘は学校へ、私はバス停へ向かう。道を挟んでこちらと向こう、再び手を振り合う。娘の姿がちょうど学校の中に消えるところで、バスがやって来た。
眩しい陽射しが窓の外、きらきら輝いている。こんな日に喪服を着るなんて、なんかちょっとおかしいよ、と私は心の中に在るおじちゃんに話しかける。おじちゃんのせいだからね、と付け加えて。
駅に着いた。バスからどっと人が降りてゆく。私もその中の一人。
ふと立ち止まる。こうして交叉する人たち。その間にも幾つの命が消え、同時に幾つの命の火が点るのだろう。はかりしれない。
さぁ、今日も一日が始まる。私は、階段を思い切り駆け足で降りてゆく。

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クリシュナムルティの日記やメイ・サートンの日記から深く深く影響を受けました。紆余曲折ありすぎの日々を乗り越えてくるのに、クリシュナムルティや長田弘、メイ・サートンらの言葉は私の支えでした。この日記はひたすらに世界と「私」とを見つめる眼を通して描かれています。

世界と自分とを、見つめ続けた「私」の日々綴り。陽光注ぎ溢れる日もあれば暗い部屋の隅膝を抱える日もあり。そんな日々を淡々と見つめ綴る。

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