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おちんちんを切り落とすのが遅かった

私はおちんちんを切り落とすのが、他の女の子たちよりも遅かった。

母はそれこそ物心つく前から切り落としていたので、おちんちんがついていた頃の記憶が全くないらしい。
伯父と共に被爆していた祖母は、原爆手帳のおかげで優先的に家族を原爆病院にかからせることができたので、そこの婦人科外来に娘である私の母を診せたという。
幼い頃の母は、数日前から抗生剤を与えられ、充分な麻酔の下で切除され、その後は小児科で入院し、炎症から来る熱や排尿にいたるまでの導尿などの適応処置を受けたらしい。
「そういえば、退院のときに、しゃがんでおしっこをする練習をしたかな?」と母は言う。とにかく、カツレ、と言われる一連の作業の恐怖や痛みなどは、母は一切覚えていないのだ。カツレ前のおちんちんがついた状態をパシヴァ、カツレを受けたあとはレシヴァ、と呼ばれる。母は物心ついたときは既にレシヴァだった。

祖母は外海のキリスト教集落の家の娘で、当時はあまり外部との行き来がなかったため、カツレの儀が遅れた。また、充分な器具もなかったのだけど、当時亡命してきた刀子匠の女性が近隣に住んでおり、不十分な環境ながら施術してもらえたという。
カツレを控え、おちんちんを失う私は幼いながら不安がっていたのだろう。それを落ち着かせるためか、祖母は私に当時の様子を話してくれた。集落のはずれに専用の小屋ががあり、しばらくはそこで断食をしながら過ごしたこと。手術後の傷痕を汚さないように、浣腸をほどこされたこと。約束の日になると、「おちんちん切っちゃうお姉さん」と呼ばれる刀子匠の女性たちが来て、身体が清められること。
母はその話をほとんど母親である祖母からは聞いておらず、祖母の死後、私の話を聞いてひどく驚いていた。
早くにカツレを施された母は、傷痕も美しく、フキとよばれるおちんちんの再生もなかったため、おかげて良縁に恵まれたと祖母は自慢している。
祖母自身は、非常に容姿端麗で美しく、高等師範を出て小学校の先生として働き、その後は修道院にも入っていたけれど、カツレが不十分だったのか、傷痕の間にフキが少々残り、良縁に恵まれなかったことをずっと悔いていた。
祖父は伊王島で船会社を経営しており、新日鉄とも提携していてかなり羽振りがよかったようだし、皇室の方を船にお乗せしたりと近隣では名士であったので、良縁ではあったのだと思うのだけれど、祖母は学のあるひとと結婚したかったと嘆いていた。親に決められた縁談をいつまても恨んでいたようだ。

私のカツレが遅れたのは、おちんちんを切り落とすのに適齢と言われる時期に、はしかにかかってしまったこと。その後、肌が弱くてかぶれやすかったり、
身体が弱く発熱することも多かったので、切除後の発熱に耐えられるか、身体がアナフィラキシーに近い拒絶反応を示すのではないかと懸念されたかららしい。

おかげで私には、パシヴァとしておちんちんと過ごした日々の記憶がありありとある。
母親は、おちんちんのあるパシヴァの娘に女の子らしい姿をさせる気分にならなかったのか、私はショートカットで、服も紺色、ショートパンツで過ごすことが多く、よく男の子に間違われた。「色の白かー、男の子にしとくのはもったいなかごとしと」と言われ「そいぎんた、うち、女の子やもん」と答えて笑うのが楽しかったのも覚えているが、母や祖母たちはそれをやきもきしながら聞いていたようだ。

近所にはとよくんという幼馴染がいて、一緒に立っておしっこをしたり、裸でプールに入ったりした。
とよくんのおちんちんは私のもののように、白くて細いけれど、男の子なだけあって、2つの丸い睾丸があり、それは私にはないものだったので、面白く、ときどき引っ張ったりてどこまで伸びるか実験とかしていた。とよくんは年下だったせいか、特に抵抗もせず、大人しくわたしに袋を引っ張られていた。
とよくんのお母さまが育ちがよくておっとりしたかただったので、おそらくとよくんに、私がパシヴァであることをとやかく言わないように言い含めてあったのだろう。そもそもとよくん自身は私におちんちんがついていることも特に不思議がってるふうもなく、一緒に遊んでくれていた。むしろ、私がその後、ミッション系の幼稚園に入るにあたり、カツレを余儀なくされ、レシヴァになったあとのほうが、どうしてもおちんちんを切った跡が気になっていたようだ。当時の写真を見ても、カツレ以前と以後では、とよくんの私との距離の取り方に違いがある。
年中の5歳から私は幼稚園に入園したが、とよくんも私を追いかけて、年少の途中から来ることになったので、私たちは幼少時代をずっと一緒に過ごした。

あるときとよくんからプロポーズをされて、将来結婚しようと約束したが、それはやはり間にカツレの儀があったからかもしれない。
私におちんちんがついたパシヴァのままだったら、とよくんは私にプロポーズを申し込んでいたのかな?と思うと、やっぱりそこは怪しい。
私はがカツレを受け、おちんちんを切り落としたレシヴァだからこそ、とよくんは私を女の子として認めプロポーズをしたのだ。きっとそういうものなんだろう。
そういえばカツレ以後、私はとよくんの睾丸を引っ張らなくなっていた。
とよくんが自分のおちんちんを隠すようになったからなのかもしれない。


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