ちなみにわたしはパンケーキが食べたい
わたしたちは色んな事実が存在する世界で生きている。でもその大半はわたしたちの心に寄り添ってくれるものじゃない。
勝手に生み出された枠組みに“事実”だけで勝手にはめられて、勝手に自分の心に傷をつけられる。
そのひとがどんな思いを持っていて、どんなことに苦しんでいて、どんな葛藤を抱いてるのか
そんなことも考えずに、あなたは○○だからこっちよね、って勝手に決められる。
え?事実ってそんな決定打になるほど偉かったっけ?って感じ。
それだけじゃない。
その枠組みが故意であれ運命的なものであれ、与えられた事実のせいで手に入れられなかった幸せだってあるかもしれない。
もしもう一方の事実にはまっていたら感じられたかもしれない幸せ。
そんなこと考えたらそりゃやるせなくもあるよ、泣きたくもなる。なんで自分はこっち側なんだろう、って思いたくもなる。
事実だけでときには自分の心と相反することを求められて、押し付けられる。しかもそれは個人間じゃなくてわたしたちが生きてる世界全体で起こっていること。そんな大きなものに抵抗できるはずもなくて、結局いつも、“そういうものなんだ”ってこっちが妥協しなきゃいけない。意味がわからないよね。
事実は所詮事実でしかありえないのに、そこに付加価値をつけ始めたのはたいして偉くもない人間。人間固有の変な価値観が、いかにもそれも事実の一部なんです、ってまかり通ってる。だからそれで、本来は苦しむはずのない事実に苦しめらるてるひとがいる。
別にどんな価値観を持つかは個人の自由だけど、誰が決めたかもわからない価値を赤の他人にまで適用するって前提がまずちがくない?って思うのです。別に自分のなかだけで完結していいじゃん〜ほっといてよ〜って感じ。
だからもうさ、事実なんてどうでもいいから、みんなもっと他人に対して不干渉でいこうよって思う今日この頃なのです。
なんか色々考えてしまうことがあってバーっと書いてしまったけれど、とりあえず色々言ってるよりも明日のおやつはなににしようかなって考えていたほうが世界は平和になると思いました、まる。
最後までお読みいただきありがとうございます✽ふと思い出したときにまた立ち寄っていただけるとうれしいです。