理を窮める

「窮理」という古い言い回しをご存じでしょうか。
「窮」は何かが極まった状態を意味します。
「窮鼠猫を噛む」の鼠は極限まで追い込まれています。
「困窮」「窮状」「窮屈」も悪い状態の表現ですが、本来は必ずしも悪い意味ではありません。
「窮理」は理を極めることを意味します。

「窮理」の語は易経に登場しているため、約三千年の歴史があります。
明治初期以降の日本では、「窮理」の対象は特定分野に限定されるようになりました。

弟(ボク)は理系の分野で活躍していますが、私の話題を見る限り、弟は文系に見えるのではないでしょうか。
理系の人でも、文系とされるテーマに関心を持つ人も多いでしょうし、その逆も然りです。

「窮理」の「理」は、必ずしても「理系」の「理」に限られません。
科学には自然科学以外にも、社会科学や人文科学が含まれます。
文系分野にも「理」はあります。
「ことわり」とも読むでしょう?
私たちの世界を幅広い視点から窮理するためには、理系、文系の括りに囚われすぎてはいけません。

日本の考え方では、唯一神の存在を前提とした神学との整合性に縛られることがないため、
自由な思索がやりやすいです。
伝統的な西洋哲学や東洋哲学と異なる、新たな境地を拓いてみませんか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?