世の移り変わりと人の心

世も末だと嘆く者はどの時代にもいますが、
日本ではっきり記録として残っているのは、紀元1000年ごろから流行した末世観です。
平安時代の折り返し地点で、藤原道長の活躍していた頃です。
11世紀は温暖な時代で、異常な豊作が続く一方、海水位上昇や病人の発生などの問題が発生し、
逆に平安時代末期の12世紀になると寒冷な年も多く、寒さが飢饉の原因となったとの調査結果もあります。
昨今、温暖化対策が問題となっていますが、食物生産の観点で見ると温暖化は喜ばしいことです。
飢饉は土地が支えることができる人口が減ることを意味するので、
文字通り、生き残りを賭けた戦いが発生します。
末世観(末代観)は、世の中はどんどん悪くなっていくのが当然だとの厭世的な考えです。
飢饉が続く暗い時代の中、多くの人が救いを求めたのが仏教です。
平安時代から鎌倉時代に移るとき、世の中がさらに混乱しました。
鎌倉時代前半にはいわゆる鎌倉仏教が成立し、新たな心の拠り所が生まれました。
これらは現代でいう「末法思想」とはほぼ無関係で、末法を憂える当時の記述はほぼ残っていません。
人々に受け入れられる信仰を立ち上げる、信仰に逃げる以外にも、
世の中の流れは循環するものだから良くなる時が来るだろう、
徳政が行われた古き良き時代を取り戻そう、
との考え方の持ち主もいました。
歴史はその時の人々が必死に生きた結果の物語です。
歴史が繰り返したとき、以前とられた行動と結末を知るのは、とても参考になります。
悪手を回避したり、うまく乗り切る術を選んだり、よりよい解決策を見出すヒントになります。
皆さんはどう立ち回ることを選ぶのでしょうか。

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