物事が受け入れられるためには、何が必要か
ある日京都駅の近くを通りかかった。すると上階から高らかな音色で、ブラスバンドの音楽が聴こえてきた。その時の私の心情↓
…うるさい(-_-)(本当にすみません)
あれ、なんでだ? 学生の頃吹奏楽部に憧れて、結局入部出来なかったのが凄く悔しかったのに。まさかこんな日が来ようとは。そう、なぜ私がそんなネガティブな感想を抱いたかというと
その時の私の心境と非常にマッチしていなかったんですね
時刻は16時、湿度も高く小雨の降る中、疲労感を感じていた私。行進曲のような意気揚々とした音楽は心に響かなかった訳です。そういう経験、誰しもあるのではないでしょうか。むしろ重苦しい曲なんて吹いてくれていたらピッタリだったかもしれない。
それでですね、一般的に物事が受け入れられるためには何が必要かと考えると。
需要と受容される要素
これです。料理で言うと、時短レシピや節約レシピが長い間人々の関心を引いていますが、近年の災害の多さを考えるといつかは「サバイバル料理」が上回る日が来るかもしれない。漫画の悪役だってそう。「悪の魅力」もあるのかもしれないけど、そう行動せざるを得なかった事情に惹かれて共感/感情移入し、読者アンケートで上位に入ったりする。その他この世にあるものを挙げれば、キリがありませんね。むしろ資本主義・利益第一の現代社会では、そうじゃないものを見つける方が難しいかもしれない。需要がないものは基本的に作りませんから。
どんなに素晴らしい技術でも、どんなに素晴らしい内容でも、感動しないことはある。それは自分が「発信されるものにハマっていない状態の時なんだ」と再確認する出来事でした。
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