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帰省

ひさしぶりの実家は、どうも居心地が悪い。

みんなの当たり前の中に自分がいないことが寂しいのか。ツーカーで伝わっている話も、補足説明をしてもらわないとついていけない。暖房のない家に何年も住んでいるので、暖房の温風で充満した部屋の中にいると、気分が悪くなってくる。扉を開けて隣の部屋の冷たい空気を吸うとホッとする。炬燵に入り、箱根駅伝を見ながらPC作業をしようと試みるが、身体の向きがしっくりこない。テレビが変な位置にあり無理に首を曲げるので、首も腰も筋が痛い。鳥取の家にあるあの座椅子があればなあと思う。PCの充電をしたくても、コンセントの位置も微妙に届かない。部屋の隅に、保存用のペットボトルが山積みになっている。景観もへったくれもない。なんだかなあ、と思う。

これが、離れてしまった実家というものなのか。

むしろ、今の生活が心地よすぎるのかもしれない。自由で、気ままで、自分の思い通りに空間を作っていけて、年末年始以外は寂しくなくて。

私の今回の帰省の一番の楽しみは、箱根駅伝をみんなで見ることだ。鳥取でも箱根駅伝は仕事の合間に見ていたが、いつも一人だった。友人とラインで実況中継し合ったりもしたが、あくまでもバーチャルだ。同じ瞬間を、同じタイミングでワーキャー言いながら実家で見た記憶は、私の中でとても楽しい時間として残っている。しかし、こんなに特別な思いで箱根駅伝に臨んでいるのは私一人だったようで、途中で兄はマラソンに出かけ、母は家事をしながら気もそぞろ、祖母と叔父は居眠りをしている。別に、みんながどうであれ一人で真剣に見ればいいのだけど、なんだか寂しくて自分も作業など始めてみる。兄が帰って来てゴールの瞬間を皆で見るときは、ああこれこれ、と思った。

つれない兄の顔色を伺っている自分がいる。母は好きだけど、どうも素直になれない。祖母は、昔は厳しかったが今は認知症が進みすっかり丸くなりやわらかくて白くてかわいらしい。私は、みんなにはどういう風に見えているのだろうか。

帰省した時は物理的に近くにいるけれど、腹の内をものすごくさらけ出すことは、あまりない。正月になると自然と集まり、高価なおいしいものを食べ、当たり障りのない会話をして、酒を少しだけ飲み、箱根駅伝を見る。それが、私の家族。