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語りえないことと、聞き取りえないこと

東京の生活史の入稿が終わった。

昨年の9月から取り組んでいて3月末が締め切り。余裕だろうと思っていたら、気づけばギリギリになってしまった。ともあれ、大仕事を終えてホッとする。

途中で、監修の社会学者・岸政彦先生から、「是非、苦労話が聞きたい」というお話があり、アチャーと思った。インタビューの中で語り手さんから「苦労という苦労はしなかった」という発言があったからだ。だめじゃん、お話を聞く相手を間違えたかな?と不安になった。東京時代の立派な武勇伝を話してくださるのも気になった。もっと普通の話が聞きたいのに。そんな焦りもあったように思う。

編集に取り掛かる中で、そんな焦りから私は話の中からストーリーを見出してそれに沿って編集しようかという力技を思いつく。しかし、質問会で岸先生に相談したら、「本人が話した通り、素直にまとめるように」とアドバイスを受ける。そうだった。我々は断片的なものをそっと拾い上げる作業をしているのだ。余計な私のフィルターは邪魔だ。そう反省する。

観念した私は、もう少しお話を聞きに行くことにした。初対面の私にしてくれたお話と、少し面識のできた私だったらまた違うかもしれない。結局私は、その後4回訪問しお話を伺っていった。

そんな葛藤の中、支えになった言葉がある。
朴沙羅さんの『家の歴史を読む』という本の中にあった

「語りえない」ことなど、おそらくそれほど多くはない、ただ調査者や聞き手が聞き取り得なかったことがあるだけだ。

という一節だ。彼はきっと語っている。私が聞き取り得ていないだけだ、と思い、自分の文脈に当てはめずに彼が語っていることを素直に聞くようにした。

インタビューを重ねていくうちに、「この方は私の東京の生活史の語り手として相応しい人材か」という偏った見方から、「この方の人生の一部を一緒に味わう」ように変化していった。この視点は、今後の自分の聞き書き活動にもつながる大きな学びだ。

じっくりとお話を伺っていると、最初は熱心に聞けなかった、東京以外のお話ーー鳥取や満洲のお話もとても興味が湧いてきた。今回の原稿には入りきらない鳥取のお話は、別でまとめさせてもらうことにした。

もう一つ。私の聞き手の方は、脳梗塞になる前までワープロで自分史をまとめていたそうだ。見せてもらったら、とても文章がお上手で驚く。この方は、自分のことばを持っている。そういう方に、私の聞き書きは一体どう受け止められるのだろうか。緊張した。自分のことばを持っていない方の話こそ、聞いて残した方がいいのではないか、とも思った。

形になったものを見ていただいた第一声は「上手くまとめてくださって」だった。自分のことばを持っていたからこそ、脳梗塞になり、ワープロが壊れ、自分史が途中までしか書けていないことへ後悔があったようだ。話すことはできても文章に残すことはできない。そこを代わりに行うことができたと知り、嬉しかった。

こうやって150人が聞き取った150人の語りが、一冊の本になる。楽しみだ。