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ザ・料理人 ~村上 知規~

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大切な人と、大切なひと時を過ごす空間を。 心地よい空間とおもてなし、心のこもったお料理で、心に残る時間を提供したい。
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村上 知規 MURAKAMI Tomonori

経歴 1969年、岩手県盛岡市に生まれる。洋食の料理人である父の背中を見て、小さな頃から料理に興味を持つ。学生時代にフランスから帰国したシェフたちの活躍に刺激を受け、高校卒業後大阪あべの辻調理師専門学校へ。その後、リヨンにある辻調グループフランス校へと進み、オーヴェルニュ地方の4つ星ホテル「オセアニア・クレルモン・フェラン(Oceania Clermont Ferrand)」で研修。帰国後、ホテルニューオータニに入社し、コンチネンタルレストラン「バルゴ」を経て、「トゥー

料理人を志すきっかけ

ロシア客船の料理人を務めていた私の祖父である村上倉蔵が、岩手県盛岡市の生姜町(旧名)にとんかつを中心とした洋食レストランを開業したのは昭和12年のことです。父も同じ道を歩み、その後を継ぐため東京の日活ホテルで修業しました。幼い頃から父の背中を、その周りで働く料理人の姿を見て育ってきました。周囲に「3代目」と呼ばれ、地元の人たちに愛されてきたこの店を継ぎたいという思いはずっと持っていました。しかし、その後の人生を決める転機が、高校生の時にやってきました。大好きなテレビ番組に

食に対する思い

食事は、お互いが大切に思う人とのコミュニケーションの場。「ごゆっくりなさってくださいませ。」レストランにいらしていただいたお客様には必ず、私はそうお声掛けをしています。多くの方にとって、普段の食事には時間の制約があり、ゆっくりできるのはレストランで食事をされる時なのだと思います。忙しない日常から離れ、ハレの日に大切な人と心ゆくまで食事を楽しんでもらえる空間を提供したいといつも考えています。だからこそ、絶対にお席の回転はしません。閉店時間ももちろん設けていません。シェ・ムラ

食材に対する思い

私が地元に戻ってきた理由のひとつに、テロワール、即ち地元食材を生かしたフレンチの追求と確立があります。私の場合は「みちのくフレンチ」です。それは、成し遂げたい目標でもあります。岩手は土壌に恵まれ、農家の方々の意識も高く、素晴らしい食材ばかりです。海の幸も豊富で、三陸には多種多様な魚介類がそろっています。朝採れた野菜の美味しさ、活きの良さ、香りの強さにはいつも驚かされ、メニュー考案のエネルギー源になっています。毎朝新鮮な野菜を収穫して届けてくれる農家の澤口瞬さん(写真)をは

こだわりの調理器具

私は、器具にあまりこだわりを持ちません。ただ、調理をする目の前の食材をきれいに、手早く切るために、包丁の手入れは毎日欠かさずします。お客様に喜んでいただきたいから、美味しいと感激していただける料理を。まずはそれが大前提で、その為に「こんなことがやりたい」、だから「この器具がほしい」となります。写真は、使い慣れたペティーナイフと特別なフルシェット(ミートフォーク)です。このペティーナイフは、料理人に成り立ての頃に購入したもので、もう30年近くいつも一緒にいます。野菜のトゥル

料理に込める思い

お料理を召し上がっていただくのは、お客様です。シェ・ムラを選んでいただいたお客様に、来てよかった、満足した、楽しかったと、喜んでいただきたい。常に、その思いを込めて料理します。今自分の中にある引き出しを開け、その時その時の季節を感じ、お客様の笑顔を想像しながらメニューを作ります。良い食材を揃えてしっかりと準備をし、料理を提供するまでをシミュレーションし、イメージトレーニングして、お客様をお迎えするよう心掛けています。料理を完成させ、その皿をサービスに託すギリギリまで、「お

料理人として目指しているところ

レストランという言葉は、18世紀中期以降パリで使われるようになった“restaurer(元気づける)”を語源とするものです。お客様を元気にさせる至福の時間を提供する為、我々料理人には、美味しいのは勿論のこと、思わず笑顔になってしまうような、普段の食卓では目にすることもないハイセンスな美しい盛り付けと味わいが求められると思っています。特別な日に、大切な人と一緒にお洒落して、至福を求めて店を訪れるお客様に、可もなく不可もない無難な普通のお料理を提供しても、お客様のテンションは