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早起きは三文の徳なのか|生産性と損得勘定

「早起きは三文の徳」ということわざがありますが、実際に早起きをすることができた日には、一日を有効に過ごすことができた気になり、得した気分になります。

しかし、早起きは本当に徳(得)をすることに繋がるのか、甚だ疑問に感じることもあります。

夜遅くに仕事や勉強などの価値ある営みを続けている人の方が得を稼いでいる可能性もあるので、早起きすることを肯定させたいバイアスが世間全体に奔流しているのではないかと思ったわけです。

完全な正解にたどり着けてはいませんが、過去に読んだ本を読み返したりネット記事を調べてみたところ、ひとつ有力な情報が見つかりました。

電気が発明されていなかった時代の仕事は主に農業で、日が暮れてからは農作業をすることができません。そのため、日の出とともに起きて農作業に従事し、日が暮れてから農作業を終えることが、単純に最も労働時間を長く保つことができたのです。

つまり、寝坊をしてしまった場合は農作業の時間確保ができなくなってしまうので、生産性がシンプルに低下してしまっていました。

だから「早起きは三文の徳」と呼ばれており、昔の人もその時代に合わせた合理的な理由でこの言葉を使っていたのでした。

この理由は何だか非常にしっくりときたので、これで余計なバイアスを排除したうえで本当に早起きは必要なのか考えることができるようになります。

世の中には朝方の人間もいれば夜型の人間もいます。現代は夜中でも電気を付ければ仕事も勉強もできるので、わざわざ早起きをしなくても得を稼ぐことはできるのです。自分の特性にあわせた行動を習慣化すれば良いのだと思います。

しかし、個人的には早く起きることができた日は色々なことが捗って、本当に得した気分になります。勉強をするにせよ、仕事をするにせよ、早朝に周囲から連絡が来ることはなく、集中して取り組むことができるのは間違いありません。

そして何より、朝の早い時間帯は空気が澄んでいて清々しい気持ちでいることができます。

そんな空間で、音楽を聴きながらコーヒーを飲んでいると、得した気分になるどころか贅沢な時間を過ごしていると思うことができます。

やっぱり生産性の様な損得勘定で測るのではなく、自分にとって価値ある時間を過ごせればそれでいいかな、と思った次第です。

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