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純米酒で挑む、タイパ社会への控え目な反抗

良く飲んでいるお酒は日本酒なのですが、日本酒のなかにも様々な種類があります。

僕が基本的に好んで飲んでいるのは「純米酒」で、近所の酒屋に行って一升瓶で買い込み、ぐい吞みカップにトクトクと注いでじっくりと飲んでいることが多いです。

醸造アルコールを使わずに、米・米麹・水だけで作られた日本酒を「純米酒」と呼びます。醸造アルコールを使用している日本酒は「本醸造」と呼ばれ、味わいは調整されて香りが少し華やかになります。醸造アルコールを使って味わいや香りを調整するのです。

これらは原料によって名称が異なりますが、原料の米をどれだけ磨いているかを表している名称が「吟醸」です。

「大吟醸」と呼ばれる日本酒は高価格で売られています。日本酒造りではお米を削って精米する過程があり、その際に米の外側を削って中心に近い部分を使うことで、雑味のない味わいができあがります。

また、削ったお米を低温で醗酵させることでアルコールの揮発性が下がって香りの成分がよく残るようになります。こうして雑味がなく華やかな香りの上品な「大吟醸」が出来上がります。

僕が純米酒を飲んでいるのは、価格帯がリーズナブルなことももちろんですが、日常に贅沢品を入れ込みたくないからです。大吟醸は意識的に避けているのです。

吟醸酒を造るためにはお米を削る作業が必要になり、大吟醸ともなるとお米の50%を削って中心に近い部分を残す作業が必要になります。かつて酒蔵見学で説明を聞いた時に、その酒蔵では「大吟醸を造る時は従業員の勤務シフトに夜勤が発生する」と言っていました。

大吟醸の値段には夜勤をしている従業員の人件費が載せられていたのです。つまり僕が日本酒を飲み始める時間は21:00前後が多いので、自分が大吟醸を飲み始める頃に大吟醸を造る人たちの夜勤が始まるわけです。

これは何だか忍びない気持ちになるので、僕は純米酒を飲むことにしています。

さて、純米酒を飲む時の器は「ぐい吞みカップ」が適していると言われています。

普段使用しているぐい吞みカップ(東京・小澤酒造の銘酒「澤乃井」の酒造見学にて購入)

これは、あえてひと口で飲み切れない程度の大きさに作られています。純米酒は温度変化によって味が変わるという特徴があるので、ぐい吞みカップを使うことで必然的に長い時間空気に触れることになり、味の変化を楽しむことができるのです。

一方で、爽やかで華やかな香りが特徴の吟醸酒は、10〜15℃という「適温」が存在するので、ひと口で飲み切れるようになっています。温度が変化する前に飲み切るのです。

僕が純米酒を好んでいるのは、大吟醸を飲むのが忍びないことだけではなく、純米酒の味の変化を楽しんでいるからです。

純米酒を一升瓶で買って数日掛けてじっくり飲むことで、日ごとに味が変わっていく過程も楽しむことができます。先日、忘年会で飲みに行った居酒屋では、これから年末年始休業を挟むため、年内の最終営業日には日本酒を販売しないと言っていました。栓をあけてしまうと休業中に味が変化してしまうからです。

この様に、一升瓶をゆっくりと時間をかけて飲むことで味の変化を楽しんでいると、物事を断片的に捉えていては、本当の魅力を理解することはできないと実感します。開栓初日と開栓3日後の日本酒の味は違っているのです。

時々、ビジネス書を速読で複数冊読むことで、短時間でノウハウを吸収するという人がいますが、僕はそういったことができません。一冊を時間をかけてじっくり読み込んでしまうのです。

その他にも、例えば仕事のノウハウを求めて営業の概念やセールストークのフレームワークを調べるときも、Googleを使って見つけた記事を一読しただけで、営業の成約を勝ち取ることができるかというと、そんなことはありません。

やはり時間をかけて吸収することで物事の本当の理解をもたらすことになり、自分自身の血肉となって定着してこそ、価値ある変化だと思うのです。

しかし、ここまで熱心に日本酒の魅力を書き連ねてきて、自分が過去に書いた記事のことを思い出しました。

結局のところ、純米酒の魅力を説明することで「酒呑みの言い訳」をしているだけなのかもしれません。

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