嘘も方便|優しい嘘を聞きたい時
「嘘も方便」という言葉がありますが、解釈の仕方は人それぞれであることから都合よく使っているケースが多いように見受けられます。
例えば仕事において若手社員に「頑張れば必ずできるようになるから安心してね」といったコミュニケーションをすることは、本当にその社員のためを思って使っている言葉なのか疑問に思うことがあります。
仕事の場合は筋トレのようにやればやるだけ成果が出てくるものではないことが多いからです。そして往々にして未来は不確実なものです。
そのため、厳しい現実をしっかり理解してもらいつつ、そのうえで共に成果をあげられるように成長してもらえるコミュニケーションが求められます。
これは別に「嘘」というわけではないと思いますが、「嘘も方便」だとしたら使い方があまり相手のことを考えられていないように思います。
しかし、だからといって厳しい現実だけを伝えればいいのかというと、相手を傷つけてしまうことにも繋がりかねません。人は感情が豊かな生き物だからです。
僕は過去に胃がんの治療をしたことがあります。身体にがんを宿している状態というのは、どうしても極度の不安が付きまとってしまうものです。
こういった時に看護師や医療従事者から「きっと良くなりますよ」といった声掛けをされると非常に心強かったことを強く覚えています。
その「良くなる」という言葉にどれだけ医療的な担保があるのかわかりませんが、嘘でもいいから「良くなる」と言って貰いたいような心境だったのです。仮に嘘だったとしてもそれは僕にとって「優しい嘘」だったと思います。
もちろん、治療に関わる局面では厳しい現実もしっかりと伝えられています。起こり得る可能性を全て把握したうえで手術や化学療法に臨むのです。
そう考えると、もしかしたら今では不用意に「良くなる」などと言ってはいけなかったりするのかもしれません。
しかし、治療という直接的な医療行為と、患者と医療従事者のコミュニケーションというのは分けて考えても良いように思います。コミュニケーションによって勇気づけられるのであれば、それは治療においても有効に作用します。
相手に何かを伝えるというのは非常に難しいものです。その時に嘘を「優しさ」として伝えることができれば、それは立派な「嘘も方便」になり得るのではないかと思います。