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体育会系と文化系って何だ?

今年になってから新入社員が数名入り、社内の顔ぶれも昔とは異なってくるようになりました。先日、ようやく新入社員たちと対面で会う機会を得て、飲み会でも仲良く話し、これからを楽しみにしているところです。

僕が勤めている会社は、映画や音楽、読書などが好きな人たちが多い傾向にありました。言い方はよくないかもしれませんが、オタク寄りなメンツが多いのです。

しかし、今年の新入社員たちにオタク要素は少なく、野球部出身で趣味は飲みに行くこと、飲み会が終わればカラオケで熱唱する様なタイプでした。会社が変わってきたな、と思ったわけです。

飲みに行くことが好きで二次会はカラオケに行ったり、週末はゴルフに行ったり、それでいて営業の能力がある、そんな人のことを何となくですが「体育会系」とカテゴライズして捉えている節があります。

僕は学生の頃から楽器を弾いたり本を読んだりばかりしていたので、若い頃はそれこそ体育会系の知人とはうまくやっていくことができませんでした。飲み会に行っても二次会のカラオケが始まる前にこっそり帰っていましたし、飲み会自体もうまく理由をつけて断ることが多かったです。家でひとりで音楽を聴きながら飲みたいのです。

しかし僕ももう大人なので若手の体育会系の社員とは非常に仲良くやっています。おかげで仕事もやりやすくなっており、充実した日々を過ごせています。

こういった経緯を経て、そもそも「体育会系」とか「文化系」というカテゴライズって何なんだろうな、と疑問に思い始めました。確かに分類できる要素は多いですが、変に分類してしまっているおかげで、若い頃の僕の様に勝手に接触を断ってしまい、本来は仲良くなれる要素も多かった機会を逃しているのかもしれないと思ったわけです。

これは、「飲み会」とか「カラオケ」とか、趣味を限定した集まり方をしてしまっていることに原因があるように思います。一緒に仕事をして同じ目標を目指していく過程を経れば、体育会系だろうが文化系だろうが、仲間意識を持って仲良くすることはできるはずです。

だからと言って、何か解決策が思い浮かんでいるわけではないのですが、あまり人を勝手な思い込みで分類して過ごしていると、せっかくの機会を逃してしまいもったいないことになると痛感している次第です。

社会では「多様性」や「誰一人取り残さない社会」の様なスローガンを掲げているのですから、「体育会系」とか「文化系」とか、そんなことで余計な気を遣っている場合ではない気がします。

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