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「人間の輪郭を文学とテクノロジーから読み解く」感想


素人には難しい話題でしたが、とてもおもしろく、とても勉強になりました。

少し考えたこと(つぶやき)を投稿。
後ほどグラレコも投稿しようと思うので、よかったら見てください。

専門家ではないので、間違った点があれば申し訳ないですが、感想ということでご容赦いただければ幸いです。これから勉強します。


今日の話(抜粋):
・行動によって学習し、学習するしたことが次の行動になっていく。
・しかも行動することの方がただ情報をインプットするよりも学習効率がよく、精度の高いアウトプットにつながる。

noteフェス初日の有賀さんと坂口さんのセッションでは、坂口さんの共感覚的な、細かい(?)感覚のお話があった。

「土と会話している」とか「空に台風きますか?と聞いたら、天気図を見よと言ってる」とか、「神が現実を見る目を与えよう」と言ったとか。

よく精神病を抱えている方は、自分の感覚を坂口さんのように擬人化した形で受け取ることがあると聞いたことがある。

つまり感覚で捉えたことを自己報告的に認識しようとすると、幻覚じゃない?と思われてしまうような体験になるということなのかな。

今日は、人は生物的にも、文化的にも、「自己報告→自分を認知する」という仕組みが話されていたけど、その自分の認知の表現を他人からおかしい(幻覚?)と言われてしまうことで、自分の認知を信じられなくなってしまうのかな。だから、治療?にpeer reviewが有効なのかな。(認知が似ている人同士なので、「自己報告→自分を認知する」の機能が正常に働く?)

そういう感覚の鋭い人は他の人より、より細かくて複雑な認知・学習(インプット)をしているわけで、そのアウトプットの段階でAIの助けを借りたら、どうなるんだろう。なんだかすごいアウトプットができそう。

感覚レベル(インプット)が普通の人がAIの膨大なインプットや整理結果を活用することによって、新しい創造につながるのでは、というお話もあったけれど、その反対もできたりして。。


あと、当たり前かもしれないけど、行動することの方がただの情報インプットより学習の効率が高く、アウトプットの精度が高いというのは、行動に伴ってものすごい量の「感覚のインプット→自己報告によるアウトプット→自己報告を認識するインプット→行動を調整するアウトプット→調整した感覚のインプット・・・・・」が繰り返されているからじゃないかな。

こうして書くと、人間って体と脳の合わせ鏡の中にいるんだなっていう、ちょっと気持ち悪いというか、ぞわっとしつつも静かな気持ちというか。。その合わせ鏡の中の虚像か実像かわからない自分みたいなものに混乱するんじゃなくて、「ああ、合わせ鏡ですね・・・」っていうのがマインドフルネスなのかしら。


そんなことを考えました。

平野さんの「本心」、読みたくなりましたー!


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