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オリジナルモノマネ

 なんて矛盾したネーミングだろう。オリジナルモノマネ。でも確かにモノマネは奥が深い。オリジナルに対する愛情、もしくは偏執が無いと成立しない。同じ人物を時期に応じてモノマネし分ける芸人が居る。本人を超えると言われるモノマネも枚挙に事欠かない。そしてそれは演芸に留まらず、文芸も芸術も工業製品も、そもそも殆どの事物がモノマネ無しでは成り立たない。何百年も前にある天才と呼ばれた音楽家は言ったそうである。「全てのメロディは出尽くした。今後は完全なるオリジナルメロディは存在しえない。」この真偽は別として、洋三自身も良く自覚している事で有るが、文学的実験もほぼ出尽くした感が有る。文体もプロットも、下手をするとストーリーまでも、まったく新しいもの等無いのかもしれない。

 遺伝情報で大部分が決まるとすれば、人は誰独りとしてオリジナルでは有りえない。そしてこれは間違いなく誰かが全く同じ事を得意顔で言っている筈だが敢えて言おう。モノマネは恥ずべき事では無く、全てがオリジナルでありモノマネである事を認め、唯、愉しめば善いのだ。
 唯、在るがままを愉しめは善いのだと。


〈掲載…2018年5月28日 週刊粧業〉

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