邂逅
無数にあるかの様に想える文庫本の棚の中で、主張の強い桜色の背表紙に惹かれて想わず手を伸ばした時、緊張感のある視線を感じて後ろを振り向くと、神経質な風貌の中に幼さを残した青年が、精一杯の何気なさを装う為に視線を逸らすところだった。男性の視線を感じる事はそう珍しいものでは無いが、もう一度、背を向け本棚に手を伸ばすと注がれる彼の視線が、私自身を追うのではなく、手の先にある桜色の文庫本に向けられている事に気付いた。
『どうやら彼の欲しいのはこの文庫の様ね。確かにメジャーな出版社では無いし、著者名も聞いた事が無いわ。この分では発行部数が極端に少ないのも想像に難くないわね。そうだとすれば私では無く、文庫なんかに熱視線を送っている事も許してあげようかしら。』
自尊心を傷つけられた事よりも、彼女はこのマイナーな文庫本に熱い視線を送る男に好奇心を抑えきれず、我知らず声をかける自分の声を聴いた。
「この本をお探しなのですか?」
この台詞が洋三にとって、妻、真帆にかけられた最初の言葉となった。
〈掲載…2007年 展示会用リーフレット〉
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