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【540球目】80才での引退

先日、長年三陽工業で働いていただいた80才の方が引退されました。色々と感じる事、考える事がありましたので今日はそんなお話です。


研磨職人

80才のこの社員さん、研磨職人です。

研磨歴は50年以上。1つの事を50年継続することはなかなか難しいですが、それをやりきっての引退になります。かっこいいですよね。50年継続していくこと。言葉では簡単に言えますが、実際にそれをやりきる人の方が少ないのではないでしょうか。50年前、1973年です。私はまだ生まれていません。年齢も私より上の人生の先輩ですし、私よりも社歴の長い数少ない社員さんです。本当に長い間ありがとうございました。感謝です


玉津研磨第2工場

引退日に玉津研磨第2工場に来られる、という話をお聞きしたので朝一で私も向かいました。
(⇩玉津研磨第2工場についてはコチラ)

玉津研磨第2工場と森友工場、両方の工場で研磨を行っていただいていました。玉津研磨第2工場には、50代、40代、30代、20代の研磨職人がいます。80才の社員さんが引退する、その姿を20代から50代の研磨職人が見ています。見ているのと同時に何かを学んだり感じたりしています。玉津研磨第2工場の責任者は40代です。80才の職人さんの他にも、60代の社員さんが現在も数名森友工場に在籍しています。今まで三陽工業を支えてくださったみなさんの姿を見て様々なことを感じ、若い人達に繋がっている、それが現在の三陽工業の研磨職場です。


研磨という仕事

メインのオートバイ部品は10年、20年前と比較するとその仕事量は格段に減少しています。

オートバイ以外の部品で少しずつ幅が広がってきています。もし、オートバイ部品のみをやっていたとするならば、今の研磨職場は存在しません。リスクを取って攻めていった成果が今に繋がっています。そして、いまもリスクを取りながら攻めていくことが未来の成果に繋がると確信をしています。それを現実にしてくれる心強い仲間がいますから。三陽工業において研磨という仕事はフラッグシップの様なものです。三陽工業=研磨と考えてくれているお客様もいます。その研磨という仕事をこれからも未来へ向けて広げていく。その役割を1人1人が担ってくれています。数年前であれば、若い力もここまでは育っていません。この数年間の取り組みが着実に成果へと繋がって来ました。これからもそれを継続していきます。


未来へ向けて

いまの玉津研磨第2工場が出来たとき、それはもう広く感じました。

品物も人数も少ない。スペースだけが広かったです。それが少しずつ品物も人も増えていき、今ではちょうど良い程度まで来ました。そのうち狭くなってきます。どんな未来が待っているか。もっともっと広いスペースで、研磨という仕事に取り組んでいる未来を想像しています。ベストは1ヶ所ですね。心強い仲間がそこで研磨を行っている姿が目に浮かんできます。研磨を含むGT製造部=ものづくり事業は三陽工業の歴史と、新しい三陽工業が入り混じったハイブリッドの状態です。新しい力も増えてきています。このGT製造部がこれからも三陽工業のものづくりを成長、シンカさせていきます。そして、日本の製造現場を元気にするために、HR事業部=製造派遣事業に負けない動きをこれからも取ってくれると信じています。

本日もありがとうございました。
明日もよろしくお願いします。



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!