バイパス道路
りんご娘のメンバーだったジョナゴールドの『7号線』を、たまに聞く。ひま、といい加減に付けたタイトルの、フォーク系の楽曲が中心のプレイリストに入れている。
抑制された歌声。別れ、そして思い出の喪失を紡ぐ歌詞。
"答え合わせもない"
"もう何もかもがそばにない"
"行くあてなんてない"
"もういらない"
"もう何も聞こえない"
折り重なる否定形。
さらりとした淋しさで、麦茶が何にでもまあ合うみたいに、いつでもどこでも聞いていられる。
7号線という曲名に引きずられて、聞くたび思い出す道路がある。大阪南部にのびる、泉北1号線だ。泉北高速鉄道の線路を挟んで、両側に広い車道が通るバイパス道路である。運転していると隣を電車が過ぎ去っていく。
交通量が多く、死者が出て全国的なニュースになった某煽り運転事件も起きた。堺市出身のR-指定はかつて「煽り運転の聖地から」と地元をラップしたが、それを象徴するような道路と言える。
道沿いには山間を切り拓いて開発されたと思しき小高いニュータウンが広がる。夜には、窓や廊下灯の光が整然と並んでいて美しい。
18の冬、友人らと毎日のように泉北1号線を走った。みんな免許を取ったばかりで運転しているだけで楽しかったし、進路が決まって学校の授業も少なくなり時間を持て余してもいた。
時には人数が集まりすぎてギュウギュウ詰めになった車が、交通量も落ち着いた殺風景な深夜のバイパス道路を走り、いつもどこに辿り着いたのか、今となっては思い出せない。たぶん、どこでも良かったからだ。
よく覚えているのは、解散してからのこと。
家の近所で車を降りて、ひとりきりになる。ついさっきまでの車内の騒々しさが唐突に消え去り、やけに静かに感じられた朝焼けの空と町。
車に流れていた曲を口ずさんで、沈黙を紛らわせた。
運転席か助手席にいて選曲係になった時には、amazarashiの楽曲群を好んで選んでいたように思う。頻繁に聞いていたのは当時よりむしろもっと幼い頃のはずだから、よく集まる顔ぶれが共通して知っているアーティストとして選んでいたのかもしれない。
少なくともどっぷり身を浸すというよりは、青春という言葉も最早いまいち似合わないという自覚のなかで、一定の距離感をもって聞いていた。
ガラスの破片のように危なっかしく透明な感受性に目眩を覚えながら、そのような美しい季節として若さを生きられなかった自らの過去を、そしてもう二度と取り戻すことはできない喪失を噛み締めた。
特に胸に響いたのが『美しき思い出』という曲。
"吉祥寺の街中、手を繋いで見上げた青い空、桟橋に座って見た花火、登校拒否、夏の夕暮れ、飲みすぎてゲロ吐いた中野の駅前、月明かりを反射してキラキラしてたあの娘のピアス"
"あの娘に手を引かれて病院へ向かう途中の長い坂、虹色のレジャーシート、レスポール、青森の星空"
畳みかけられる、名詞化された風景。まるで走馬灯のように、連なりながら切れ、浮かんでは消える記憶の断片。苦しい呼吸に似たリズムに飲み込まれて、切なさに胸が染まった。自らの青春へ手を引かれ立ち返るのではなく、立ち返るべきあの頃がないことの切なさに。
更に年を重ねた今になってみれば、かつての空虚さえも、瑞々しく見える。青春の喪失にも青春の匂いを嗅ぐほどには、もう遠くにいる。
喪失の感覚を眩しく振り返るという、二重の喪失として、俺にとっての「美しき思い出」は、ある。
いま、泉北1号線を懐かしく走る時、ふたつの声が脳裏に鳴る。自分からはあらかじめ失われている記憶だからこそ一層美しかった「青森の星空」と、新潟から青森へのびるという7号線。大きな白い団地の立ち並ぶニュータウンの灯が、うしろへと流れてゆくその車窓に、遠い空と道とを幻視する。amazarashiも、のちに『七号線ロストボーイズ』というアルバムをリリースした。
青森には、まだ行ったことがない。
いつか訪れる日があれば、どこよりもまず、7号線を走ってみたい。できれば冬がいい。
どんな道だろう。泉北1号線と似ているだろうか。でも、たとえ他人の目から見てどれだけ似た道であろうとも、やっぱり似てない、と胸の内で俺は呟くのだと思う。
そうして、憧れた土地で、憧れたあの頃を、偲ぶのだと思う。
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