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野暮ったい雑貨



昨日はクラフトフェアに行った。
開催場所がかなり地元。我が地元でその手の催しがあるって、とても意外。文化とは程遠い町だというイメージなので。
しかし2009年から行われてる催しらしいので、俺がなにも知らないだけで、それなりに良い町なのかもしれない。

クラフトフェアのお客さん、という感じの小綺麗な老若男女で賑わっており、ここは本当に俺の地元なのか、と不思議な気持ちに。
出展されてる作品も素敵なものばかり。美術とか工芸ではなく、雑貨という言葉がしっくりくるような「感じの良さ」を纏ったものが多い印象を受けた。
芸術なるものに興味を持ち始めたのは10代も半ば過ぎた辺りだった俺だけれど、そういえば小さい頃から雑貨はかなり好きだったなと思い出した。近所のショッピングモールにあったヴィレバンなんかによく足を運んだ。
表層的な意匠に対する好悪で物を選別する、雑貨嗜好的感性が、今でも自分の根っこにある。思えば、芸術も含めたこの世のすべてを、そういう眼でもって消費してきたのかもしれない。「お気持ち」以上の物差しを持ったことがない。


以下、買ったものの自慢をば。見て。

作:坂井幸史

かわいすぎる〜!!
あまりに素敵で、誰かに贈りたくなり、ふたつ買った。問題はこんなふうな贈り物をする相手のいない、淋しい生活を送っていることだ……。
誰かへ贈りたくなる、そのことこそが、雑貨の雑貨たる所以かもしれない、なんて思う。「使う」ことを価値の核とする民藝と少し似ている。でも決定的に違う。
背面には安全ピンが付いていて、つまりはブローチなわけだ。
マフラーにでも付けて、ひと冬を過ごしたい。
薄汚い男には少しかわいすぎるか? まあいい。似合う格好をする楽しさもあれば、似合わない格好をする楽しさだってある。

作:白井隆仁

なんとこれ、煙突に花を立てられるのです。煙突に花を立てる! こんな素敵なことがありますか!
大小の異なる、同じデザインの作品がいくつも並んでいて、そこから気に入るひとつを探すのも楽しかった。他のお客さんが手に取るのを横目に「あなたはそれか〜〜確かにそれっぽい人だなあ」などと思いながら。

たくさんのブースを、眺めては過ぎ、眺めては過ぎ、どうやら俺は芸術の類より雑貨的なものが、そしてなかでもどこか野暮ったい雑貨が好きらしいと深く納得した。そういえばそうだった。どうして今まで忘れてたんだろう。
つるんとした、プロダクト感の強い雑貨も良いけれど、どこかあざとい素朴さをのぞかせる物が好き。
なんというか、そこには慎ましさがある。ストイックに練り上げられたものではない、人の (ちょっぴり怠惰な) 暮らしそのものの慎ましさが。


数時間歩き回ったけれど、ずっと、よく晴れていた。
公園の広場にブースが円形に並んでいて、その中心に小さな音楽ステージと、それを聞いて体を揺らす人たちの姿がある。飲食店のブースもあったから、そこで売られているコーヒーやお弁当を口にしている人もいる。昼時なのもあってそちらは行列ができていた。並んでいないから知らないけど、きっとナチュラル志向のものなんだろう。
キーボードやチェロ (なのか? 楽器の知識がないので確かなことは知らない) などを持ったグループが、穏やかな音色を演奏する。
洒落た服を着せられた、前髪の短い小さな女の子が走り回って、ぽてんと転んだりしていた。泣くかなと思ったけれど、泣かないで立ち上がり、また走っていった。


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