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帰省よもやま

生まれ育った町に帰ってきている。
東京の、古いアパートにほとほと嫌気が差した。虫が苦手だから、暖かくなってきて、虫なんていくらでも出そうな雰囲気のアパートで暮らす毎日が、気が気でない。このアパートで初めての夏が来る。酒を飲まないと虫への恐怖で狂いそうになる。
もし虫が出てきたら、互いに逃げ場もないほど狭い部屋。

東京よりはいくらか家賃の安い地元大阪で、いくらかマシな引越し先を探している。
今は東京に住んでいると言うと、不動産屋は大抵、東京はどうですか?と水を向ける。人が冷たいでしょう、と。
正直言って、俺は少なくとも大阪よりはるかに東京は人が優しい街だと思っている。大阪人は一般的なイメージに反して冷淡だというのが俺が20年と少し、大阪で生きてきた印象だ。外面は良いが排他的。自分も含めて。
しかし、よく馴染んだ言葉の調子で、東京の人は冷たいでしょう、と言われると、思っていなくても頷いてしまう。そのことで連帯を確かめる卑しさに引き込まれてしまう。こうして、大阪の、というか地方全体の、東京の人間は冷たい論が強化されてしまうのだろうな。

しかし、この町もこの町で、本当にろくでもない。近所のパチンコ屋で、自己破産したと噂の知人が奇声をあげているのを目撃したり、俺の幼馴染の姉を名乗る見知らぬ女が、実家に突然やって来て、鍵をかけていなかった玄関(これも問題なのだが)を勝手に開けて缶チューハイを片手に上がり込んできたりした(泥酔していて、帰らせるのにほとほと苦労した)。こういうことが、半月足らずの間で連発する町だ。地元にずっと残っている旧友と会ってみんなの近況を聞いても辛い話ばかり出てくる。幸せそうにしてるやつはみんな、地元を出て、二度と戻ってこない連中である。彼らの判断が正しいと思う。
そうやって不愉快な気分で毎日過ごしていて、ここでは中学生になる頃まで暮らしていたのだが、そういえば1ヶ月も自転車が盗まれずにいたことはなかったと、そんなすっかり忘れていたことも思い出す。保険に入っていたので自己負担なしで新しい自転車を買えるのだが、自転車屋にいつも怪しむ視線を向けられた。



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